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著名アニメータによる映画「ヒックとドラゴン2(2014年)」分析

Cartoon Brew に連載されたエド・フックスさんによるオスカー(アカデミー賞)ノミネート作品の分析シリーズ。日本でもカルト的人気を誇る「ヒックとドラゴン」待望の続編は、本年度オスカーの本命(※ブログ掲載当時2015年)と言われていました。フックスさんの分析を読めば、この作品における演技を理解することで映画に出演したりアニメーションを自作したりする際の参考となることもあるでしょう。

(注意点)
 1. 翻訳の正確さは原文(リンクは以下)を参照してください。
 2. 「演技の分析」という文章の目的上、物語の内容に直接触れる箇所が多々ありますので未見の方は一度映画をご覧になってからご覧いただくことをお勧めします。なお日本でもブルーレイならびにDVDが20世紀フォックス・ホームエンターテイメントから発売されています。

役者、脚本、そしてアニメーションの演技の組み合わせ

才能のある役者さんたちは、まったく貧弱に思える脚本の台詞でも力強く聴かせることができます。要は、脚本がその役者に何を言わせて何をさせているかにかかわらず、十分信じるに値すると思われる理由付け、すなわち目的があればいいのです。「ヒックとドラゴン2」の脚本は、監督でもあるディーン・デュポアによって書かれているのですが、台詞が多すぎると思われる箇所が多々あります。説明的な言い回しの多いモノローグと間を埋めるための一般的な台詞に溢れています。キャラクター達に多くの困難が待ち受けていることを説明しているのですが、残念ながらすべてがうまくいっているわけではありません。

ヴァルカを演じているケイト・ブランシェットは、実際に世界レベルで最高の役者さんです。従って彼女の台詞のあるシーンは、台本の上ではそれらしくなくても、もっともらしく響くのです。一方でヒックを演じている、ジェイ・バルチェルは演技の幅が狭く、彼の台詞を実際の台詞以上にあり得ない台詞のように聴かせてしまっていることもあります。ストイックを演じているジェラルド・バトラーは才能のある役者さんですが、単調でステレオタイプなキャラクターのせいで、あまり役者としての能力が使われているとは言い難いのです。彼とケイト・ブランシェットが愛を交わすシーンは可愛らしく、映画の中で最高の演技を見せているといえるでしょう。重要なのは、それらのシーンは台詞が最小限だということです。悪役のドラゴを演じているジモン・ホウソンは、彼のキャラクターが一本調子の悪いやつであることから、演技と言えるものは必要とされていません。大してキャラクターとして成熟することなく唸り声を上げるだけの悪役で、幼稚園児に向けて作くられているかのようなレベルになっています。

いくつかのシーケンスを見てみることで、役者、脚本、そしてアニメーションの演技がどのように組み合わさって機能しているのか見てみましょう。タイムコードはiTunesからのダウンロードを元にしています(訳注:ここでは原文のタイムコードを使用しておりますので、日本版のタイムコードとは異なる可能性があります)。

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ヒックとアスティの会話

(10分16秒から13分09秒)ヒック(声:ジェイ・バルチェル)とガールフレンドのアスティ(声:アメリカ・フェレーラ)の二人が初めてこのシーンで会話します。彼女はなぜ彼が、その日にバーク島のドラゴンレースに参加しなかったのを知りたかったのです。彼が言うには「お父さんに会いたくなかったから」。アスティは「え、いったいどうしたの?」と返して、ヒックは直接質問に答えずにものまねを始めます。

「これ絶対気にいると思うよ」と彼は説明します。「朝起きたら日が照ってね、ひどく恐ろしい歌が屋根からテリブル・テラーが歌っているのが聞こえてね。朝食に行くまで気楽な感じで、この世はすべてうまく行っているって思いながら歩いていたんだ。そしたらね、(彼は立ち上がって歩き回りながら、わざと彼のお父さんであるストイックの話し方を真似て)「息子よ、(強いスコットランド訛りで)話があるんだが。」

ヒックによるストイックの物真似をアスティはひどく面白がります。彼女は目一杯鼻声で、体を使って、必要以上にヒックの物真似を始めます。彼らの会話の中で、この時点では彼女の質問「彼と彼のお父さんの間に何があったの?」は脇に追いやられています。彼らは道化のごとく、可愛らしくも愚かしく見える物真似を続けています。このシーケンスは、ヒックがストイックの物真似を、ストイックがヒックに「お前はある日、バイキングの長になるのだ」と言うところまで続けます。そこでアスティはヒックが元々の質問に答えてくれるようにこう反応します。「まあヒック、それってなんて素敵なの?」彼女は彼の胸に拳骨でパンチをくらわします。

ヒックとアスティの会話はここに達するまでにすでに2分かかっています。とうとうストイックがヒックを彼の後継者として正式に任命する場面になります。ヒックは20歳ぐらいの大人と考えられますが、彼はなんと、年齢相応にそれを名誉として受け取らずに、言葉もなく逃げ出してしまいます。それがヒックをアスティが見つけたシーケンスからの結末なのです。

演技の原理:演技は言葉とほとんど無関係です。一般的に言って、映画の脚本は会話が少ない方が良いと言えます。舞台演劇は言葉によるものです。映画は動きによるものなのです。

「待って、トラブルは無用だ」

また別のシーケンスです。この映画における声優が困難を感じる場面です。(14分11秒から16分49秒まで)アスティのドラゴンであるストームフライが、エレットの軍団によって捉えられ、その過程でアスティもあやうく殺されそうになります。非論理的ですが、アスティとヒックは相手軍に襲いかかります。ヤサグレものたちの軍団に二人で立ち向かおうとするのです。最後には危険に気づいて、ヒックは「待って、トラブルは無用だ」と言うのです。その台詞はアホらしく感じます。彼のドラゴンは空中で暴力的に奪われ、ヒロインがほとんど死にそうだったというのに、トラブル以外の何を期待するというのでしょうか。

バルチェルよりも実力のある役者だったら、その場の緊張をほぐす目的でその台詞を自嘲気味にユーモア溢れる感じ話すかもしれません。でもバルチェルはその台詞をその通りに発して、彼をさらに間抜けな感じにみせることになってしまっています。彼が困難に遭遇したこの状況を切り抜けようとする様を見れば、どうしてストイックは彼を後継者に任命したんだろうか、酔っ払っていたんだろうかと思わざるを得ません。

この部分で良くないのはそれだけではありません。ドラゴンを盗んだエレット(声優:キット・ハーリントン)は、続けてヒックとアスティに彼の個人的なビジネスについて教えようとします。その中には彼と悪役のドラゴとの関係も含まれています。演技に関して言えば、エレットがヒックとアスティにすべてを話してしまう必要はまったくありません。ではなぜそれが台詞に含まれているかというと、映画の聴衆にそれを暴露するためです。台詞を台本に含める理由としてこれ以上良くないものはありません。ハリントンは、理解できることですが、ただ台詞をモノローグとして発する以外にどうしようもないのです。演技に関して、エレットは自分に独り言をつぶやく、という以外の動機は明らかに持っていません。

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ヒックとヴァルカの出会い

早送りしてヒックが彼の母親であるヴァルカ(声優:ケイト・ブランシェット)と出会って話をする最初の場面に行ってみましょう。(30分45秒から32分29秒まで)この場面については参考になることがあります。ヴァルカは頭のてっぺんからつま先までコスチュームに覆われています。彼女はトゥースとヒックを捕まえますが、この若い男が幼少以来会っていない自分の息子だということは気づいていません。この場面では、ヴァルカがヒックに近づいて彼の頬に触れることで、彼が息子だと分かる顎の傷を発見することになっています。

この特に必要とされる演技を考えてみましょう。いったい彼女がこの見ず知らずの男に触れようとする動機として考えられるのは何でしょうか。彼女はこの男が誰か知りません、そうですよね?彼女は、文字通り彼を空中から叩き起こして囚人として連れてきたのです。そんな男の頬に触れるのはヴァルカが一番やりたくないようなことです。彼の頬に触ろうとする理由として唯一考えられるのは、この後に出てくる、そもそも彼の頬になぜ傷があるかを説明するモノローグのためです。

演技に関して、これはブランシェットにとって難しいところです。しかし彼女のような役者であればこの瞬間に原始的とも言える行動に出るかもしれません。ほとんど人間になる前の動物のようにです。ブランシェットの録音時のセッションを(訳注:アニメータが演技の参考にするための)リファレンス用に収めたビデオテープを見たわけではありませんので、彼女が物理的な動きをこの場面で作り上げたのかどうか、私には分かりません。私が思うに、この時間を正当に理由付けされたものにするために、彼女は録音を一時中断して、ヒックの頬に手を伸ばしてから、録音を続けたのではないでしょうか。そのジェスチャは映画で使われることとなったのです。(もしアニメータがこのジェスチャを、特に参考とするブランシェットやモーションキャプチャの映像なしで作り上げたのだとしたら、私はそのアニメータ達に敬意を評し、謝罪します。)

ヴァルカは恐る恐る手を伸ばします。まるでこんな風に人間に触れたことがないかのように。まるで彼女は人間というより恐竜であるかのように。これは素晴らしい演技上の選択だと考えられます。ブランシェットあるいはアニメータはそのアクションに動機を持たせましたが、その行為自体には意味がないのです。彼女が彼に触れて、顎の傷に気がつくと、強く反応します。

演技とは反応すること

演技上の注意点: 演技とは反応することです。言葉を発するのでなく。ヒックは彼女のリアクションに大して反応します。「会ったことあります?」「いいえ。」彼女は反応します。間隔。息継ぎ。「あなたは赤ちゃんだったものね。」間隔。息継ぎ。「でも母親は決して忘れないものよ。」世界最高水準の芝居です。ケイト・ブランシェットはとんでもなく才能があるので、ジェイ・バルチェルの演技がここで生きるのです。さらに注意点:あなたが良い役者と演技をしているのであれば、あなた自身が悪い役者になるということはまずありません。例えばロバート・デニーロは、実力のない役者と一緒に演技をしません。

「ヒックとドラゴン2」は、すでにアナウンスされているように3部作の2番めの作品となります。そのため脚本家であり監督であるディーン・デュボアは多くの困難と対峙することになりました。最も難しかったのは、自分のせいではありますが、最初の映画を見ていない観客に対して前作の内容を伝えることでしょう。

理想的には、この手の2番目の作品は明確に前作の内容を説明することのない、ただそれだけで成り立つ作品であろうとするべきです。例えば、トイストーリー2や、スターウォーズのそれぞれの作品は、それだけで成立しています。観客は、現在演技しているキャラクターたちのアクションを基にして論理的に考えることで、背景にあるストーリーを十分に集めることができるべきです。でもこの作品は、あからさまに示すことが多すぎますし、物語の進行の多くを偶然に頼っているのです。例えば、ストイックとゲップはヒックの小さなヘルメットが広大な氷の海洋上に浮かんでいるのをどうやって発見したんでしょうか。(32分40秒)

一般的に言って、「偶然」はプロットが進行していく台本を書くための装置としてはやっかいなものです。(Robert McKee著「Story – Substance, Structure, Style, and the Principles of Screenwriting」の357ページを見てください。「したがって偶然が突然物語の中に割り込んできて場面転換を行ってどっかに行ってしまう、ということがあってはなりません。」)

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ストイックの火葬シーン

この映画にはいくつか論理的に言って感動できるシーケンスがあります。それらがうまくいっている理由は第一に、それらが古典的なシャーマンによって行われる儀式のような場面だからです。ストイックとヴァルカによる求婚のダンスと子守唄のシーン (56分17秒から1時間00分37秒まで)は十分に入場料を支払う価値のある出来です。魔法のようでいて、感動的であり、明確に脚本が書かれ、演技も繊細です。

ストイックの火葬シーン(1時間14分03秒から1時間18分35秒まで)は、涙を誘う感情を揺さぶる儀式となっています。このことは重要であり、いくら強調しても足りないぐらいですが、この映画における最も印象的な場面には台詞がありません。この映画の最高の部分は、脚本家のデュボアさんではなく監督としてのデュボアさんがその仕事をしている特に出来上がっています。

物語の中で敵役のドラゴについて話をしましょう。残念ながらこのキャラクターは共感を呼ぶことはできず、日陰のような存在です。彼が最も印象を残す場面は、彼が自分の腕の断端を見せつけるシーン(1時間08分10秒から1時間10分32秒まで)です。彼をキャプテン・エイハブ(訳注:ハーマン・メルヴィルの「白鯨」に登場する船長の名前)のようなキャラクターとして見せようとしていますが、文学的な意味合いはありません。1時間11分15秒においては、トゥースがストイックを殺してしまった後にあるチャンスを逃してしまっています。ドラゴはすべての大虐殺について自分がかかわることを拒絶するかのように両肩をすくめて、気にしないそぶりで歩いて去ってしまったのです。この場面でもし彼が2,3秒でも一時立ち止まっていたならば、と思います。この場面を彼のものにして、これはひどいかもしれない、という彼の気持ちを表明するためにです。この死という代償を彼が認識して、すくなくとも後悔の念を観客に見せてから彼は背を向けるべきです。

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すべての人間は自分にとっては自分が英雄

この場面ではドラゴに対するわずかな共感を聴取に呼び起こすことのできる機会だったのです。現実の大人の世界では、悪人は本人達は悪いとは思っていないのです。すべての人間は自分にとっては自分が英雄なのです。ドラゴをこのように性格づけたことで、この映画全体は子供にとっての物語になってしまっています。ケイト・ブランシェットの仕事によって全体がもっと成熟した者達のための物語に行こうとしていたのですが、彼女独りではそれはできませんでした。

全体的に言って、「ヒックとドラゴン2」は芸術性の例として上げる映画というよりは職人芸の例となる映画になっています。何千ものドラゴンのキャラクターデザインは、とんでもなくよくできています。アニメーションについて不満を上げることはできません。ドリームワークスはその部門においては最高峰と言えます。もしアニメーションにおける職人芸に関してのみ賞を上げるとすれば、この映画を打ち負かすのは難しいでしょう。足りないのは脚本です。主人公のヒックは弱い人間として描かれており、キャラクターの変化は複雑で理解しにくいものになっています。ヒックが大した目的を持って行動していない、という点をまず修正すれば物語はもっと良くなったでしょう。これは3部作ですから、ドリームワークスには物語を正しくつくるチャンスがもう1回あります。(翻訳おしまい)

まとめ

いかがでしたか。フックスさんによって語られたもう一つの物語とでも言うべき演技論ですが、どんな物語になれば良かったのか考えてみるのもいいかもしれません。いずれにせよ、この作品は多くの観客に受け入れられた感動作であり、完結編である第3作目が楽しみです。

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