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『正チャンの冒険』読者投稿欄のご紹介(1)

1923年1月25日に連載が開始され、今年めでたく100周年を迎える『正チャンの冒険』。諸説あるものの、コマ割りがされ、絵とセリフとで構成された、いわゆる「マンガ」の元祖の一つと言われており、そのマンガの側面については本コーナーでも色々と紹介して参りました。

そんな『正チャンの冒険』ですが、朝日新聞での連載中に、読者投稿欄である「メモ」コーナーが併設されていたのをご存知でしょうか?「何なりと皆さんが心のままの投書」を受け付けていたと言うこともあり、必ずしも『正チャンの冒険』に向けられたものだけではなく、読者の方々の日常の面白い出来事を綴ったものであったり、あるいは自作の詩やストーリーなどの投稿もあったようです。それらも読んでいると当時の時代が感じられ、非常に興味深く、楽しいのですが、このシリーズでは、不定期連載で読者投稿欄の中から、『正チャンの冒険』に関連するものに限定して、印象的なものをご紹介していきます。

なお、投稿に関しては、読みやすいように文字を現代文で書き起こしをしていますが、元がかなり古い新聞であることもあり、読み取り判別が難しく、間違い等があるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

まずは記念すべき初登場の日のメモ欄からご紹介します。

朝日新聞1923年12月1日朝刊

1923年12月1日の朝日新聞朝刊にて、メモ欄が初登場しました。初回は当然ながら読者からの投書は届いていないので、作者の一人である小星(織田信恒)さんの日常が掲載されています!ポインター犬を飼われていたのですね・・・!!

そして左側には募集要項が記載されています。

◇少年少女の投書をつのる◇
何なりと皆さんが心のまゝの投書をつのります
一、十五字づめ二十行以内
一、匿名を用ふる時も住所、氏名を書きそふること
一、朝日新聞社正チャン係宛

至極簡単な記載で、私などは宛先の住所を記載しておかないと投書が十分集まらないのではないか等気になってしまうのですが、当時はこの記載でも届いたのかもしれません。

その後数日はスタッフの方の記事が掲載されていたのですが、3日後の12月4日、ついに読者からの投稿が初掲載となります!記念すべき投稿はこちらです!

朝日新聞1923年12月4日

投稿者の方が酉の市にいかれたお話ですね。初回は正チャンについてのものではありませんでした。正チャン関連の投書が初めて掲載されたのは12月6日のことでした。

1923年12月6日朝日新聞

正チャンにお願いごとがあります。時々夕刊の一頁に【寓話?】がのっていますが、どうぞこれから毎日のせてくださいませんか。

完全に正チャンに編集権限があることになっていますが、お子様(「ター坊」さんと見える?)からの投書でしょうか?微笑ましいです。それに対して記者の方からの返事も掲載されています。これは投書した方は嬉しかったと思います(内容は「週刊朝日」の宣伝ですが)。

また、日刊アサヒグラフで掲載されていた頃からの根強いファンの方からも投書を多くもらっています。

朝日新聞1923年12月9日

日刊アサヒグラフの初めから愛読して居りました私共はもう正チャンにお目にかかれないと思っていましたが、こんどは朝日紙上で無事に活躍しているので安心しました。

前回の記事で復帰した正チャンに狂喜する街の人々の画像を紹介しましたが、作中の人物だけでなく、全国民に復活を望まれる、愛される存在になっていることが窺われます。

また、この投書欄の特徴として、正チャンが実在するかのような投書も多くみられます。自分の住んでいる街や、営んでいるお店へ招待する内容の投書がすごく多いです。今でこそ「マンガの中のキャラクターはマンガの中のもの」というのは子供たちにとっても常識となっていると思われますが、この当時はマンガというものがまだ新しいので、特に子供たちの間で現実との混同がされていたのかもしれません。

朝日新聞1923年12月13日

正チャンいらっしゃい。オールバック?ハァ。リスさんもハイカラに?ハァ。とくべつによくかります。ヘエ大阪朝日新聞社へおでかけですか。それでは先日の蛇退治の●●会ですな。ずいぶん盛大でしょうな。どうぞ新聞社の皆さんへよろしくお伝え下さい。お帰りにあちらのお話を、お土産に聞かせて下さい。マア行ツてらツしゃい。ごきげんようお代は入りません。

こちらは1923年12月14日に掲載された投書です。作中では正チャンが大阪へ旅をする「オホサカユキ」と言うシリーズが連載中だったのですが、その帰りに散髪においでよという内容です。

また、子供たちは度々正チャンの夢も見たようで、そのような投書も見られます。

朝日新聞1923年12月14日

昨夜僕は正チャンに自動車を送った夢を見ましたが、正夢で、今頃正チャンの手許に届いていると思います

また、人気は正チャンだけにとどまらず、当然といえばそうなのかもしれませんが、リス宛の投書も増えてきます。リス宛の投書が初めて掲載されたのは、意外と早く、投書欄ができてから18日後のことでした。

朝日新聞1923年12月18日

今夜もお月様の明りで友達と一緒に正チャンの冒険を読んで君のうわさをしているよ。正チャンにもよろしく。アバヨ。

「アバヨ」が粋ですね。大正時代からあったのですね。リスも一定の人気を誇っていたことが窺われます。

さらに、読者の皆さんはすごく良く正チャンの冒険を精読されていたようで、作中の出来事についての指摘なども投書として送られてきています。

朝日新聞1923年12月21日

こちらが掲載された3日前の連載で、リスは奈良漬に酔って列車の警報器を鳴らす紐を引っ張ってしまうエピソードが掲載されたのですが、そちらに対する詳しい方からの解説のようです。ちなみに、このリスが奈良漬で酔って失敗するエピソードはなかなか読者にインパクトを与えたようで、他にもリスを戒める投書(列車を降ろされるから正チャンのカバンの中で大人しくしていろ)などもありました。

その後12月23日には、正チャンが年末休暇を取ることが発表されます。

1923年12月23日

編集部の方でも正チャンの実在を信じる子供たちの夢を壊さぬような心遣いをされていたことが感じられます。

いかがでしたでしょうか?印象に残ったもの数本ご紹介して終わろうかと思った本企画ですが、改めて読み返してみると面白いものが多く、思ったよりも長くなってしまいました。

今回は読者投稿欄が作られた1923年12月1日から年末休暇前の12月23日までをご紹介しましたが、次回以降はその後の読者投稿欄をご紹介していきますのでお楽しみに!