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『正チャンの冒険』読者投稿欄のご紹介(2)

こんにちは。

今回も、前回に引き続き、読者投稿欄を紹介していきたいと思います。前回記事はこちらをご覧ください。

前回は1923年の12月23日に行われた年末の挨拶までをご紹介しました。今回はその続きということで、1924年の年明けからの投稿欄をご紹介します。

年末は、現代から考えると少し早めの12月23日から休養に入った正チャンですが、年始は早速元旦から登場です!

朝日新聞1924年1月1日朝刊

◇あけましておめでたう
あけまして、おめでたうございます。正チャンとリスは、おぞうにをすませたとおもうと、もう冒険をはじめました。どうぞことしも、みなさまのよいおともだちにしてやってくださいませ。

本人たちは、正月早々、腹ごしらえをすますとさっさと冒険に出てしまって、挨拶も編集部からの代行という形なのが正チャンらしく、愛おしいですね。

また、名前が同じ正チャンという読者からもお手紙が来ます。

朝日新聞1924年1月2日朝刊

僕の名も正チャンです。冒険家の正チャンにあやかりたいと思いますが、僕はよわむしで、ちょっとしたことにもすぐ泣きます。これからは勇敢な正チャンを見ならいて、せいぜい強くなります。サヨナラ

いい話ですね。読者投稿欄に手紙を出してみようという時点で、結構なエネルギー・勇気が必要だと思うので、強くなる一歩を確実に踏み出しているのではないでしょうか!

名前で思い出しましたけど、マンガのキャラクターだけでなく、スポーツ選手や芸能人のブームが来ると、それにあやかってその名前が付けられる子供が増えるということがあります。ひょっとすると、この当時も「正」の文字を使用したお子さんが増えたということがあったかもしれません!!

そう思ってこちらのサイトで確認したところ、おお!1923年(連載開始年)に「正」が8位にランクイン!!!やはり来てます!!

と、思ったのですが、その前年は「正」は6位だったので、あまり関係がなさそうでした。。むしろアプローチ的には逆で、読者に親近感を持ってもらうために、割とポピュラーな名前を主人公につけたということだったかもしれません。


それから、正チャンの冒険の作者について、こんな投稿もありました。

朝日新聞1924年1月3日朝刊

一体正チャンの冒険はどなたがお書きになるのですか?ぜひ紙上でお答え下さい

ハイそれは・・・・・・オヤオヤ わきで 言うては、いやだとおむづかりです

そう言われてみて、それ以前の正チャンの冒険を見返してみたのですが、確かに作者・著者の記載が無いんですよね!今では「作者買い」もあるなど、マンガにおいて作者・著者が誰であるかという点は、非常に重要な要素ですが、この当時はマンガ黎明期ということもあり、そういった風潮がなかったのでしょうか。

しかも、上記の質問に対する返答が、「言うては、いやだ」とのことで、興味深いです。

作画担当の樺島勝一さんは、正チャン以外にも、雑誌等で挿絵を描かれていますが、そちらにはサインがありますし、原作担当の織田信恒さんも、第1回の読者投稿欄で「小星」名義でエッセイを投稿されてます(前回の記事参照)。
ですので、ただ単に名前を出したくないということだったとは思われないのですが、何か特別な事情があったのでしょうか??あまり作者が前面に出るべきではないというお考えだったのですかね??

なお、その後も、しばらく作者・著者のクレジットはされていなかったのですが、2ヶ月弱を経過した1924年2月24日より、題字部分にクレジットがされるようになりました。

朝日新聞1924年2月24日朝刊


この投稿に触発されたのか、以後、メタ的な要素に関する読者からの質問が増えてきます。

朝日新聞1924年1月16日朝刊

正チャンの冒険に、なぜ特別リスをお供にさせたの?

確かに、なぜリスがお供なのか気になります。。

楽屋話しをいたしますと、大抵皆様と変らない正チャンを、超自然的なお伽の国に連れてゆくのに、リスがいるので大変役にたち、それに腹もたたず、おかしい中に人間界の批評をリスから聞くこともできます。リスを選んだのは別に深い意味もなく、作者が日頃その黒い眼のリスが可愛いと思っていただけのことです。

なるほど!

  1. 普通の人間の正チャンをお伽の国に誘う役割

  2. 人間界への批評をおもしろおかしく語る役割

から動物をお供にするアイデアが出てきたのですね!意外とマジレス的な返答でした!!

ただ、動物の中でもリスが選ばれたのは、作者(原作の織田小星さんでしょうか??)の個人的な趣味のようです!

さらに読者の知りたい欲求は留まるところを知りません。

朝日新聞1924年1月19日朝刊

正チャン、あなたは一体どこの家の人ですか?それからお父さんや、お母さんはどこにいますか?またお年はいくつですか?リスと二人でご飯も食べないのですか?それから学校へも行かないで、よくなんでもわかっているのには、感心です。

小さなお子さんでしょうか??純粋ですね!確かに気になりますし、確かに感心です!

一寸まって下さい。エー・・・困ったな。

エー、家の名はアサヒというのでしょう。お父さんとお母さんは朝日新聞社につとめています。年は桃太郎さんと同じでいつまでも子供です。正チャンは、そりゃ勉強家ですよ、学校へはゆきませんが、ヒマさえあれば本をよんでいます。ゴハンはね、たべるとなるとお茶わんに七八はい、おどろくでしょう。

担当の記者の方もタジタジですが、おかげで貴重な情報が判明しました。

正チャン パーソナルデータ(1924.1.19判明分)
 苗字:アサヒ
 お父さんの職業:朝日新聞社勤務
 お母さんの職業:朝日新聞社勤務
 年齢:いつまでも子供
 学歴:学校は行っていない
 趣味:読書(暇さえあれば本を読んでいる)
 食事量:お茶わん7~8杯

この当時、両親とも会社勤めされてるというのは珍しかったのではないでしょうか??正チャンの、自立心旺盛で、どこへでも冒険に出かけてしまう性格は、この辺りに秘密があるのかもしれません。


また、この頃から書籍化待望論が出てきます。

朝日新聞1924年1月12日朝刊

◇本にして下さい
「朝日」さんが時々いい目ろみを立てて愛読者を喜ばせてくださることは有りがたい。家庭的な企てとしての「正チャンの冒険」も「ヂグスのおとっつぁん」も特に愉快な趣向であるのが嬉しい。なおできることなら、この二つの名作編を完成の暁に出版していただけたらこの上もない喜びと思うのです。

これを受けてかどうかはわかりませんが、この年の7月から全7巻の単行本が刊行されます。しかも4色刷りのカラーで!!

今の時代だと、通常、雑誌掲載時のカラー原稿は単行本になると白黒になっていたり、扉絵だとカットされてしまったりするのですが、もともと白黒だったのもを4色で出すというところに、当時の読者からの期待の高さと、朝日新聞社の力の入れようが感じられます。

書籍化を待ちきれない勢(または出ると思ってなかった勢)は、新聞を切り抜いて、書籍を自作していたようです。

朝日新聞1924年1月24日朝刊

正チャン勇ましいですな、僕は初めから見た後で切り抜いて本にしておく、もう六冊出来たよ。それを見ると越後の寒さを忘れてしまう毎日出してはながめるのが楽しみだ、もっと冒険して僕を喜ばせて下さいサヨナラ

わかります!!!私も幼少時、コボちゃんの切り抜きをやっていました!!!いつの時代も変わらないものなのですね。

いつの時代も変わらないといえば、こちらのご意見。

朝日新聞1924年1月22日朝刊

私は朝日新聞が来ると、すぐにもってきて正チャンの冒険の所を見ますが時々出ていない日があるので、がっかりします。あとで考えてみると、その日は日曜か祭日のあくる日なのです。

わかります!!!!!わたしもコボちゃんが載っていない日は、ひどくガッカリしたものでした!!あとはキン肉マンがゼブラチームとの対戦中に、嶋田先生の腰痛の悪化によって3ヶ月(!!)休載になった際も、ものすごくガッカリした記憶があります!人生でこの時よりもガッカリしたことや、何かをすごく心待ちにしたことはなかったと思います!!

話がそれましたが、この当時、正ちゃんはそこまで読者の方に愛される存在だったということですね。

また、この投稿者の方、かなり鋭い視点をお持ちで、休載は決まって日曜祭日の翌日だということに気づかれてます。おそらく通常の記事の担当の方は、交代でお休みを取れるのですが、マンガの執筆となると代わりがいないため、日曜祭日は執筆がお休みだったのだろうと想像できます。ホワイトですね!!

そう考えると、私もコボちゃんやキン肉マンの休載でガッカリしていたのは、なんと自分勝手なことだったんだろうと反省しています。

さて、今回の読者投稿欄のご紹介、いかがでしたでしょうか?一応、特に目についたものをご紹介していこうと考えているのですが、どれも面白く、つい紹介量が多くなってしまいます。

また、マンガ黎明期の執筆事情やマンガに対する考え方なども垣間見えて、マンガ本編とはまた違った面白さがあると思いました。