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311に寄せて

亡き方々の無念の思いは、世界中の方々の祈りと想いで、少しずつ変化してきているようです。

2024.3.11    14:50 記

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「わたしたちの命は繋がっています。亡き直後の悲しみは(何故 我が?)(我が?)(我が?)と自分一人の不幸!と各々思ったものですが、ふと顔をあげて辺りを見回してみると、なんと同じような境遇の方の多いことか…

中にはまるで 海の水そのものになってしまったような方までいらっしゃることに 当初 慄(おのの)きました。それは自分の死を悲しむ者など誰もいない…と諦めた人々のたましいです…

でも時を経て、世界中から想いを寄せてくださる人々が(言葉はわからずとも)その悼む気持ちと、誰ひとり取りこぼさずに皆の心/魂の安寧を願ってくれている大勢の方々の祈りのおかげで、今は成すべきことのための死でもあったように感じてもいます…

死なくしては理解し得ないこと…はるか古(いにしえ)よりずっとあったこと、その中のひとつの警鐘であり…、愛を知り、愛で繋がる尊さを身に沁みてわかるために大切なこと だったのかもしれない と…

あなた方の誰もが日常の生活で精一杯だとしても、震災や災害や戦争などで死に至った方々がどこの国のどんな人々であっても、全員が皆、あなたに、何が大切なのか、今どう生きて欲しいかを知らしめてくれているのだ と、知ってください。

それをしっかりと受けとり、あなたとあなたの周りに今この瞬間も、愛の想いが交わされることを切に願います。

命の源へと還るには、まだ遺した人々への思いが断ち切れずに迷っているたましいも在ります。そのためその思いと繋がって哀しみにくれてしまう方々もたくさんいることでしょう…

それでもどうか、きっと、温かい小さな思い出を手にとって大切に眺めながら、空を見上げ、明るく生きていけるような言葉や行動を心がける皆さんでいてください。くれぐれもどうかよろしくお願いいたします。」

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あの311翌々日、空から現地へ視察に行って帰ってきたパイロットさんの後ろから「何で私が!」「何で私が?」がこだまして聴こえて 戦慄を覚えたのが 昨日のことのようです…。

その『思い/無念』が『想い/慈愛』にやっと変化してきたのだな…と今年初めて思えたので、心からご冥福を祈る気持ちを込めてシェアします。

突然の死を受容して源へ還ることができるくらい軽くなれる(哀しみが癒されて波動があがる)まで、かなり時間がかかること やはり あるようです。

生きている私達が「お陰様で♡」「ありがとうございます♡」と心を込めて感謝して前向きに生きることは 極めて大切なことなのだと思います。

それから同じく今日、午前中にガイドから頂いた言葉は

「人々が亡き方々を想って祈り、心を寄せて生きることが、亡き方々の心/魂の痛みを癒している、という自覚を持って日々暮らして欲しいと思います。

まだ生きたかった人々の分まで、眠ること、食べること、笑うこと、話すこと、泣くこと、怒ることも含めて、この世に在ることを自覚し、感じられる身体が在ることを感謝して生きてください。

語り合うこと、認め合うことが今とても大切です。一人ひとりのその傍らに、たくさんの目に見えない存在が「笑って!笑って!笑って!」と願いながら、寄り添っていることを忘れないで下さい。」

笑って!笑って!…と自動書記で書いてるそばから涙がこぼれました。そしてきっとこの涙すら、実は本当に有難いものなんだな…と感じました。(身体がなくなると、涙を流して浄化することができなくなるようです…。)

亡き方々のご冥福と、ご家族皆さまの心の安寧をお祈りしながら、自分の心/たましいに正直に生きることを心がけたいと思います。

目に見えない存在と共に

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