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最近、久しぶりにお笑いの劇場に行った話

突然だが、お笑いが好きである。3月頃から、新型コロナの影響で、お客さんを入れたお笑いライブは軒並み中止になっていた。そして6月中旬から、吉本の劇場が少しずつ復帰。漫才では2人の間にアクリル板が置かれ、サンパチマイクも1人1本。お客さんの数もキャパの約10分の1という状態ではあったが、どうしても目撃したくて、6月の終わりに新宿の劇場に足を運んだ。久しぶりに劇場に行ったら、初めて劇場に行った日のことが、ふと思い出された。


小・中学生の時は、むしろ「お笑いなんて」と思っていた人間だった。「お笑いなんてくだらないものじゃないか。」クラスのお楽しみ会でムードメーカーの男の子が、人気の芸人さんのモノマネをしている様子を横目に見ながら、そう思っていた。今思えば、小学生の時、就寝時間が基本的に夜の8時だった私は(ロングスリーパーだったため)、ゴールデンでやっているネタ番組やバラエティー番組に触れる機会がほとんどなく「ねえねえ昨日の〇〇見た?めちゃめちゃ面白かったよね〜」という類の話題に一切ついていくことができなかった。そのことで劣等感を感じていたのだろう。だからといって「じゃあ話題についていくために、ちょっと夜更かししてネタ番組を見てみよう!」という気にもなれない。一度劣等感を感じると、ムキになって、卑屈になって。結果、「お笑いなんてくだらない」と、心の底から、真顔で思っていた。

それがどうだろう。高校2年生の時、修学旅行の夜の布団の中で、友達がYouTubeで何気なく見せてくれたNONSTYLEさんの漫才を見て、心を掴まれた。当時は、やり取りそのものというよりは、テンポ感とか、ボケる時の動きに面白みを感じて、完全に虜になった。「人生何があるか分からない」とはよく言ったものだ。そこから、歴代M1グランプリのDVDをTSUTAYAで借りれるだけ借りて、ネタ番組も欠かさずチェックして、やがて映像だけでは満足できなくなり、劇場へ。

初めて劇場に足を運んだ時、なんて素晴らしい空間なのだろうと、ちょっと泣きそうになった。きらびやかな舞台セットがあるわけでもなくて、真ん中にマイクが1本立っているだけ。でも、そのマイクに向かって袖から登場する芸人さんの姿を見るだけで、なんだか胸がいっぱいだった。しかも、テレビで見るよりも、芸人さんの人間性がずっとよく見えるし、観客の反応をダイレクトに受けてアドリブが入れられていくことで、ネタがぴちぴちと生きている感じがした。もう2人で喋ってるだけで面白い。すごい空間だと思った。

劇場に行ったことで、色々な芸人さんを知ったり好きになったりして、ちょっと時間があれば劇場に足を運ぶように。大学に入ってからは、吉本に限らず他事務所の芸人さんの存在を知ったり好きになったりして、今まであまり見ていなかったコントも見るようになって、学祭で友人とコント作って、作る側の難しさを痛感したりもした。とにかくお笑いを巡る色んなことを知りたくて、お笑いライブの制作会社で、不定期ではあるが、バイトととして働いたりもしてる。


そんなことを経ての今回のコロナ。見に行く予定だったお笑いライブのチケットは次々と払い戻され、劇場にも行けなくなり、シフトに入っていたライブも白紙に。心にポッカリと穴が空いた気持ちになった。でも、ライブに向けて準備していた当の芸人さんやスタッフさんの方が、何倍も悔やしかっただろう。それでも、形を切り替えて、YouTubeで配信をしてくれたり、ネタを上げてくれたりしたその動きに、この数ヶ月は本当に支えてもらってた。

久しぶりに見に行った劇場は、本当に心が満たされた。久々に笑ったからか、頰がちょっと張ったような、つっているような感じもあって、そういう痛みもなんだか嬉しかった。そうだ、劇場はこういうところだったっていう感覚。空間に一歩足を踏み入れただけでドキドキして。嫌なことも、劇場で笑っているうちはとりあえず忘れられて。劇場から一歩外に出て日常に戻される感じはちょっと寂しいけど、でも心なしかすっきりしている感じ。嬉しかった。


最近では、アクリル板も置かなくなって、マイクも1本になり始めているらしい。吉本の劇場だけではなく、様々なお笑いのライブが、対策を重ねた上で少しずつお客さんを入れて開催し始めている。しかし、コロナを巡る情勢は日々変化している。

生活の形がどんなに変わったとしても、

「新しい生活様式」だなんだと、どんなに外側から名付けられたとしても、

日常に少し疲れた時、いいことがあった時に、劇場という非日常で特別な空間に身を浸して、声を出して笑うということ。この営みだけは、自分の生活を作る上で、今後もあり続けるものだなと感じたとさ。

おしまい。







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