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■触れた数だけ記憶の片隅に〜記憶の整理時間〜■

今回はnoteを書くキッカケになった出来事を書きとめておこうと思います。

皆さんは人と出会うと
その記憶はどこにしまいますか?

出会う度、上書きされますか?

そもそも出会いとは何でしょう。

全て全ての出会いを記憶し続けることは
人の脳において、不可能に近い現象です。

私は日々、出会っては身体に触れ
今日も明日もまた身体に触れ
言葉と身体で対話をしています。

1万人との出会いを過ぎたあたりから
記憶の片隅にとどめておくことが
難しくなりました。

田舎の小さな一部屋ですから
わざわざ訪れてくださる方は
皆さん沢山の人生観で生きておられます。

記憶の片隅にとどめている出会いだけでも
ものすごい数になります。

もちろん、私とお客様だけの
秘密のやりとりも沢山あり
それは引き出しにしっかり
しまっていなくてはなりません。

しかし先日、常連である96歳のお客様に言われました。

「出会いは限りある財産。沢山の宝言葉がうまっている。みんなにも与えてわけないと」

いつも
あなたは二周り生きていると言われ
言葉は凶器でもあり、救いの一手にもなる。

こんなことを言われていました。
これらも“宝言葉”ですね。

何か形に
そう考えている間に
一瞬にして遠くに行かれてしまったお客様。

人の命は儚いもの

よく耳にしますが
決して脆くはなく
96年もの長い時間、長い道のりを
自分の足で歩んでこられた事実というのは
強く揺るぎない確かな命だったと思います。

これまでにも出会いと別れを
この場所で何度も経験してきましたが
ようやく言葉にかえて
引き出しを整理できそうです。

頭の中の片隅から
少しずつ、15年余りの記憶を
掘り起こしていこうと思ったんです。

97年目、新たな場所で
お客様はどんなふうに過ごされているのか
懐かしい飼い猫のチビにも会えたかな

出会いは一生残りますから
大切にしていかなくてはなりません。





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