子供のころ🚲②
🥜私の家は豆菓子屋🥜
私の家は豆菓子などのおつまみの店をやっていた。
1階は小さな作業場と駐車場。私達家族は2階に住んでいた。
小学校の頃から学校から帰ると店の手伝いをした。
店も遊び場だった。
親の仕事は終わるのが遅かったけど、店には親や従業員のおばちゃん達がいたから寂しくなかった。
店の手伝いはピーナッツなどを1袋ずつ量を計りながら袋詰めして、それをシーラーにかけて封をする。
それをダンボール箱にきれいに並べて詰めていく。
単純な流れ作業で、結構面白かった。
親や店のおばちゃん達が配達でいない時は電話番もした。「子供が店の電話に出てるんか!」と、怖いお客さんからよく怒られた。
配達の車にもよく乗って行った。お得意さんはスーパーや小売店。1日に何軒もまわった。
時には重いダンボールを運んで、商品を店の陳列棚に並べた。
並べる時は少しでも見栄えがいいようにきれいに並べる。
それに他のお客さんの通り道をふさがないようダンボールを端へ寄せて、早く並べてしまわないといけない。
並べ終わるとお店の人に納品のサインをもらう。
親と一緒に「ありがとうございました。」と頭を下げる。
時には店からのクレームに、親が一生懸命頭を下げて、謝っている場面をそばで見ていた。
私達きょうだいは、小さい時から親の働いている姿を見て、店の手伝いもしていたから、自分達が何のおかげでご飯が食べられているのかをよく知っていた。
配達の車ではいつもラジオが流れていた。
昭和の時代のフォークや歌謡曲。
納品が終わるとダンボールが空になるので、その中に入って家に着くまで遊んだ。
それに歌が好きだったので、ラジオから流れてくる曲に合わせてずっと歌っていた。
配達の車にしょっちゅう乗っていたおかげで、大人になっても乗り物酔いは全くない。
車、バス、電車、飛行機、フェリーにジェットホイルなど、何に乗っても全然酔わないから有難い。
それに商売の手伝いをしていたから、どこで買い物をしても食事をしても店員さんに「ありがとうございました。」と言う。
小学生の頃、友達と近所のお店にアイスを買いに行った時のこと、私が大好きなパピコのコーヒー味を買ってお金を払う時、お店のおばちゃんに「ありがとうございました。」と言ったら、友達が不思議そうな顔をして「麗音ちゃんはお客さんなのに、どうしてありがとうって言うの?」と聞かれた。
その時に何と答えたのか覚えていない。
でも今もお店の人に「ありがとうございました。」と言っている。
家の商売は決して繁盛してはいなかったと思う。
親はいつもお金に苦労していた。
でも私は商売の家に生まれてよかったと思っている。
子供ながらにどのようにして自分達の生活が成り立っているのかわかっていたと思う。
親が働く姿を近くでずっと見てきた。
親には感謝しかない。
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