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自分と向き合うのは苦しい?

たくさんの講座を受けてきて、

『自分の心の声を聴いていますか?』とか、

『もう一人の自分と対話する。』とか

そんな風な言葉をたくさん聞いてきました。


そして、その中で、私が少しずつ実践してみた結果のお話。


* * * * * * * * * *


数年前の私は、あまり自分の感情を外に出さない人でした。

だから、すごく喜んでいても、相手に伝わらない。

逆に、すごく嫌な思いをしても、表に出さないから、
相手も嫌な思いをさせてるということに気づかない。

そして、私自身の限界を超えると、相手に何を伝えるでもなく、
関係を断ってしまう…。

だから、相手はなんで私が話さなくなったとか、一緒にいることが少なくなったとか分からないまま離れていく。

でも、相手にとっても、私のように反応の薄い人間は、都合のいいはけ口になったとしても、一緒に楽しめる相手ではなかったと思う。



『自分の心の声を聴いていますか?』

そんなこと言われても…。私の心の声?


正直分からなかった。


まずは練習方法を聞いて、傍から見ると明らかにおかしい人になった。

自分自身に話しかける。

『ねぇ、ViVi。今どんな気持ち』

『ねぇ、ViVi。今日は何したい?』

『ねぇ、ViVi。食べたいのはどっち?』


はじめのころは、何の答えも出なかった。

ViViに聞いたところで、答えはいつもと同じか、わからないまま。

だから、適当か、なんとなく思うことを答えていた。


そして、だんだんと聞き方を変えた。

『ねぇ、ViViはどう感じる?』

目を閉じて、心の奥底に潜っていくような感覚。

そこに何かがある。

でも、言葉では出てこない。

確実に感情があるのに、言葉にならない。

そんなことを繰り返した。


しばらくして、講座で理想の人、なりたい人を聞かれた。

芸能人でもいい。歴史上の人物でもいい。政治家や、会社の社長でもいい。

そういわれて、私が選んだのは【母】だった。

いつも笑顔で、優しくて、おもしろくて、真剣に話を聞いてくれる。

大好きな母のようになりたいと思った。


その後、私は合宿に参加することになる。

参加した合宿で私は私を【認める】ことをしていなかったことに気づかされた。

私は、私を否定していた。

そこに気づき、一気に変わった。

今までなら、口にしない感情が次から次に出てきてしまった。

はじめのうちは後悔した。

なんで、あんなこと言ったんだろう。
いつもなら言わないのに。

言わなくていい。と思うのに止められなかった。

自分の変化に驚いて困惑した。
きっと相手もそうだったと思う。

でも、その人とは今も離れることなく一緒にいる。


その後、理想の人、なりたい人が変わった。

【ドキンちゃん】になりたいと思った。

自分の感情を素直に表現する【ドキンちゃん】。
【母】を理想にしていた自分は、人から良く思われたいと願う自分だった。

笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣く。
怒りたいときに怒って、甘えたいときに甘える。

私にできていないのはそれだった。

大人になるにつれ、外からの反応を気にするようになり、人に迷惑をかけないように、よく思われるようにいい人を演じた。
表現したい感情を表さなくなった。

その前提にあったのは、【私なんか】という言葉だった。


私は、自分自身を認めることができるようになり、ドキンちゃんが理想になった。


たくさんの講座の中で、感情の変化を体験し、自分自身の感情と向き合って

【ViVi流の自分を掘り下げていくためのワーク】が出来上がった。

1、まず自分の感情を認めてあげること。
それがどんな感情であっても。

2、その感情の元にある【何が】を知ること。
細かい出来事に焦点を当て、原因を突き止める。
悲しいという感情があるとして、その原因が人なのか、行動なのか、状況なのかなど。

3、その【何が】がわかったら、その感情や、感情の元になる過去の出来事に寄り添ってあげること。

そこにたどり着く過程で、一瞬苦しかったり、悲しくなることがある。

でも、それはほんの少しで、過去の自分を客観的にみることで、驚くほど冷静になり、その幼いころの感情さえも癒されてしまうことが多い。

苦しいのは、その感情を置き去りにしているから。


ほとんどの場合、これですごく楽になる。


例外なのは、相手がいる場合。

その時だけの相手ならいいけど、いつも一緒にいる相手や、これからも関わる人であれば、ちゃんと伝えること。


そうして、私は随分と私らしくなった。


こんな私でも、自分らしく生きれるようになり、
本当に、楽に楽しく過ごせるようになった。


はずだった…。


それは、突然の出来事。

予想にしていなかった事態に、困惑し泣き続けた。

何が悲しいのかも分からず、どうして涙が出るのかも分からず、この感情の元にある【何が】を追求しようにも、溢れてくる感情が先に立ち押し潰される。

数日、力のない日を過ごした。

仕事では平静を装い、一人になると抜け殻のようになった。

その間にしたことは、自分の悲しいという感情を受け入れ、吐き出す。
ただ無理に言葉にしようとはしなかった。

そして、その感情を感じ切った先にはちゃんと見えるものがあった。

これも、自分を認める。ということだったんだ。


少しずつではあるけど、私はこれを続けていく。

自分で、自分を大好きでいたいから。

どんな感情の自分も、私の一部だから。


自分と向き合うのは、きっと自分を大切にし認めるということ。


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