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いっそのこと、noteで婚活したらどうかしら。

noteで人様の記事を見たり、自分で記事を書いたりしていて、たまにこんなふうに思う時がある。


noteには1人の人間として経験した喜怒哀楽、甘さも苦さも、強さも弱さも、滲み出ている記事がたくさんある。

面と向かって、あるいはかしこまって、誰か知っている人に話すことは少し恥ずかしいことも、ここには溢れている。

でも、そんな普段は語られない奥に潜む人間らしさが、読む人を惹きつける、そう思う。

全くどこで何をしているか、知らない人でも、記事に表れている語り口調や知識の幅、どんな出来事でどう感じたのかなどから、この人は人として絶対スキだわ、と思うことがある。
会ってみたいと思うことすら、ある。

(実際に会ってみてどうかは、分からないけれど、それはもう揺るぎない事実なので置いておくとして)

婚活では、一般に、条件で人を選定しがち。
人格も個性もわからない、数字と顔写真と世間話だけの世界では、それでしか人を判別できない。

いや、それでは判別できない、と思う。

会社の採用面接と同じで、表面を取り繕った当たり障りのない受け答え、それでその人の何が分かると言うのか。
少なくとも、常識的な受け答えができる人である、ということ意外には何もわからない。

人は、結婚相手を条件で選べと言う。
年収、貯金、学歴、勤務先、住んでいる場所、実家との関係…

それは、結婚は生活であり、金の切れ目は縁の切れ目という観点で言えば、間違いではないとは思う。
実際、生活して家族を運営していく資金がなければやっていけない。

しかし、それだけで、幸せになれるだろうか。
それだけ揃っていれば、結婚したあとに続く、長い死ぬまでの人生を共にする自信が持てるだろうか。

私は、あえてこう思う。
結婚が生活であると言うのなら、本当に好きな人でないと、やっていけない、と。

だって、結婚して一緒に暮らしたら、例えば、相手のために毎日料理を作ったり、トイレを掃除したり、抜け毛を捨てたり、パンツを洗ってあげたり、するんですよ?

それ、そんなに好きでもない人に、この先の人生、提供し続けられますか?

好きな相手だとしたって、毎日休みなく、家族を運営していくことは労力が要ります。

何かの考え方や感じ方で、同じ終着点にいけなかったとき、そういう考え方もある、そういう人だ、と受け入れられますか?

大して好きでもない人と、議論をするなんて疲れます。
やっぱりこの人は私には合わなかった、という思いを強化していくだけです。

だから、自分が幸せになれる結婚というのは、やっぱり、理想的には経済面がまあまあ安定していて、なおかつ心からその人と人生を歩んでいきたいと思える相手、とするべきだと思います。

ただ、私にとっては、後者の方が大事です。

経済面のことなんて、この時代、どうなるかわかりません。
相手の経済力に依存して生きていくのはあまりにリスクだと、私は思います。
自分に必要なお金は自分で稼ぐことができるようにしておかなければ、いざと言う時、共倒れです。

結婚する時は、万が一の万が一、離婚して1人で子供を育てていくとなっても、どうにかできる知識と仕事の経験を身につけておき、その覚悟を持って結婚するべきだと思います。

そうすると、相手の経済面の条件はさほど自分にとって重要ではない、と思えました。
私が結婚相手に求めていることって、これじゃない、と分かりました。

私が欲しかったのは、1人で歩むには長過ぎるこの人生を、一緒に楽しく過ごせそうな人。
つまらない私の会社員生活に夢を見せてくれる人。
いざという局面で正しい判断ができる人。
ユーモアと愛の足りない生活に、笑いと温もりを添えてくれる人。
そしてそんな人との子供が欲しいな、と思わせてくれる人。

こういう要素って、深く深く付き合ってみないとわかりません。
いろんな場面を共有して、その時どんな反応をするのか、どういう考えを持っているのか、見ていかなければ、わかりません。

だから、マッチングアプリなんかに書いてあるベタな自己紹介、当たり障りのない趣味、万人ウケする良い人になりすました文面では、何も判断できない。

いざなんとなく好みが似てそうだし、無難そうだから会ってみようかな、と会ってみて会話してみても、個性が見えてこない。
良い大人だから、差し障りのない会話でうまく適当にやり過ごすことができてしまうけれど、そこから先、何も感じない。
嫌いでもないけど、好きにもなれない。
一緒にいようと思えばいれそうだけど、強く惹かれない。

何のバックグラウンドもなしに突然知り合った男女が惹かれ合うことはとても難しいことだと思う。
学生でも会社でも、どこか共通の場所で何らかのコンタクト、何らかの経験の共有を経て自然と惹かれ合う恋愛とはまるで違う。

でも、ここnoteには、普段どんなことを考えているのか、何が好きなのか、どういう時にどう感じたのか、赤裸々に記されている。
それがたとえ、弱い人間であることを晒したものだったとしても。それがたとえ、自分の中の卑怯な部分を語ったものだとしても。
自分をありのままの自分として認められることができる人は、結果的に人にも優しくできる。
人間の弱さも、生きることの痛みも、よく知っているから。

(もちろん、そうでなくてビジネスとして書いている人もたくさんいるでしょうけれど。)

だから、下手なマッチングアプリよりも、noteならよっぽどその人のひととなりが見える、そんな気がする。

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