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スネオヘアーと私

私は専ら、音楽といえば邦楽よりも洋楽を聴く。
邦楽だと歌われている感情やらイメージがリアルに心に訴えてくるので、聴くのにエネルギーを使う。
そういう意味では、洋楽の方が適度に聴き流せて、とりあえず気分を上げたい時なんかは手っ取り早い。

邦楽で私が聴くものはかなり限られている。
感傷に浸りたい時は邦楽に限る。

私が聴く邦楽は、

宇多田ヒカル、
スピッツ、

そして、

スネオヘアー。

この3択に限る。

え?って思ったそこのあなた。
そうだよね、宇多田もスピッツも国民的スターだよね。わかるよ。
で、からのスネオヘアーって何?ってなってるそこのあなた。
いやむしろこの3択ならスネオヘアー が1番聴く頻度高いから。

私も星の数ほどある邦楽アーティストの中から、宇多田ヒカルとスピッツと並んでスネオヘアーっていうチョイスは、どうしたもんかと思わなくもないんだけれど。
大道ばっか並べるよりアクセントがあっていいじゃないか。

私がスネオヘアーを10年以上こよなく愛する理由は、スネオヘアーには私の大学時代の青春が詰め込まれていて、私という人間の一部になってしまったからだと思う。

ちなみに言うと、宇多田とスピッツは私の高校時代の青春を詰め込んだもので、つまりは私の邦楽の嗜好は学生時代から一向にアップデートされることなくここまで来ているようだ。

スネオヘアーという存在を初めて知ったのは、高校3年だったか大学一年だったか。

当時アルバイトをしていたドラッグストアにいた先輩を好きになった。
彼は、ハチミツとクローバーが好きで、そこから起用されていたスネオヘアー のワルツという曲が好きなんだ、と教えてくれた。

好きな人の好きな歌はとりあえず聴いてしまうタイプである私は、もれなくその歌をその人との出来事や会話、思考に勝手に重ね合わせ、その歌ごと好きになってしまう傾向にある。

まんまとワルツにハマった私は、ありとあらゆるスネオヘアーの曲を聴いた。
当時同じくらい好きだったのは、悲しみロックフェスティバル、という歌。

物憂げな感じの歌い出しが好き。
特に、「ペンダンツのヒットナンバー、歩道を通過した」のとこ。

その先輩とはその後どうにかなることはなかったものの、私のスネオヘアー に対する熱は冷めなかった。

大学一年の時、人生で初めて、ライブというものに行くという決断をした。
たしか会場は渋谷アックスだったかな。

初めてだったから、大学の友達にも付き合ってもらったのだけど、あまりの興奮に私は友達を置いてどんどん最前列へ。

終始、大興奮のまま跳ねたり動いたりしていたので、終わったら冬なのにサウナから出てきたかの如く汗だくになっていた。
私の前には私よりもさらに熱狂していたカップルがいて、演奏が終わってもしばらく盛り上がっていて、飛び跳ねながらキスをしたりしていた。
こんなに好きなスネオヘアーの歌を好きな人と聞けるなんて、なんて素敵な関係だろうと心底羨ましかった。
それから友達と合流して、汗でぐっしょり濡れている私を見るなり笑われたのを今でも覚えている。

それからと言うもの、私はスネオヘアーにのめり込んでいった。
ライブというライブに参加し、当時あった同志会という名のファンクラブにも加入。

そうすると、どこよりも優先的にチケットが取れるのだった。
通算で、おそらくは10から15回くらいライブに行ったはずなのだが、中でも印象に残っているのは、ある日の下北沢ガレージ。

スネオヘアーは毎年デビューした5月に下北沢ガレージでライブをしていたし、思い出の多くは下北沢にある。

その日のチケットは、ファンクラブ会員として申し込んだ2回目か3回目のライブだった。
届いたチケットに書かれていた整理番号は「001」だった。
つまり、誰よりも先に会場に入れるということだ。
それはつまり、最前列の真ん中に陣取ることができるということだ。

001と書かれたチケットを手に持つ私は誇らしげに地下の入り口へ続く階段を下り、先に待っている人たちを横目に入り口のドアの目の前に陣取った。

開場と同時にステージの最前列、真ん中に立った。
こんな位置で、生の演奏を見れるなんて。
何かのドッキリかと思うほどだったがそもそも何の変哲も無い大学生の私に誰が好き好んでドッキリなど仕掛けようか。

そんなことを考えながら待っているといよいよ始まった。
暗いステージに光が差し、スネオヘアーが目の前に座った。
あまりの至近距離に緊張してしまい、いつものように体を動かすことができず、終始棒立ちしていた。
最前列中央というのは、案外居心地の悪いものだなと思った。

それでも、001番の価値は色褪せず、今でも時々あの時の興奮を思い出す。

別の日の下北沢ガレージでは、会場の中程に陣取っていた。
その日、スネオヘアーはライブ中、物販のタオルを使って汗を拭いていて、それをそのまま観客に向かって投げた。
運良くこちらの方に飛んできたので、私はこのチャンスを逃すはずなどなく、少しだけジャンプして掴み取った。
心臓がバクバクした。
汗のついたタオルをゲットして興奮しているなんて、さながら変態である。
このタオルはいまでも持っているが、さすがに洗濯して温泉に行く時なんかに普通に使っている。

下北沢ガレージの帰りはいつも、入場するときにドリンクチケットを交換している時間などなく、すぐにステージの前に行くから、帰り際にハイネケンの缶ビールをもらって、ひとり駅への道を歩きながら飲んでいた。
興奮冷めやらぬ中、その熱を帯びたままイヤホンでライブで聴いた歌を聴いた。
時には勢い余って歌っていたかもしれない。

他にも、所沢航空記念公園で小規模のフェスに参加していたので、それも見に行った。
これは当時働いていたコールセンターのバイト先の子と行った。
いつだかの日比谷音楽堂で行われたライブのDVDを見て、ずっと野外ライブに行ってみたいと思っていた。
ここのステージもそんな感じの作りで嬉しかった。

スネオヘアーはトリだったと思うので、日中は公園を散策したり、日差しを浴びながら屋台のご飯を食べたりして楽しんだ。
この時はたしかアルバムで言うとバースデーあたりの頃だったから、全体的には落ち着いた観客が多かった。

あとは、福島県のタワレコまで行ったこともあった。
これはバースデーのリリースにちなんだ企画かなんかで、あなたの街にスネオヘアーがライブしにきます、みたいなものだった。
私は東京近郊にいたので、当たりやしないだろうとは分かっていたが、気合いを入れて応募のハガキにバースデーに収録されている楽曲スターマインをイメージしたアートを添えて送った。

結果的に福島県郡山市にお住まいの方に選ばれて、そこでライブをすると言う。参加は自由だった。

私は迷わなかった。当時住んでいた東京近郊から、郡山市まで、鈍行列車を乗り繋ぎ、たどり着いた。
冬だったし朝も始発から出発したせいで、トイレに行きたくて行きたくて乗り換えの黒磯駅のトイレがオアシスのように見えたのを今でも覚えている。

ちゃっかり近くに渡鳥が飛来する池があるというので、郡山で観光もしつつ、この日も懲りもせず最前列に陣取ってしまった。
これまで以上に至近距離すぎて、これまた瞬きすらするのを躊躇うほどだった。
好きなアーティストを友達のような距離感で見れることのなんと嬉しいこと。
片道鈍行列車5時間の旅はその価値ありだった。

スネオヘアーのおかげでいろいろな所を知ることができた。

社会人になってからというもの、ライブには行ってないし、ファンクラブもなくなってしまったし、今は新曲も情報が勝手には入ってこないから追いかけていないけれど、たまにyoutubeで覗いては、最近はこんな感じの曲作ってるんだな、ここの感じはあの曲のあれに似てるな、やっぱり好きだなぁ、とか思いながら聴いている。

私は多くの大学での時間をスネオヘアー を聴いて過ごした。
他県の電車で1時間くらいかかるところへ通っていたので、通学中はほぼスネオヘアーを聴いていたと言っても過言ではない。

高架化された車線だったので、窓から見える外の景色やホームから見る土手の景色とスネオヘアーの楽曲がまたよく合う。

物憂げで、切なくて、やるせなくて、不器用だけど、愛情に溢れた、人間くさい歌詞とメロディー。

朝の通勤時間のゴタゴタに混じって通学するかったるく電車に揺られた景色も、

キャンパスで仲間と孤独の間を行ったり来たりしながら、私は1人でも平気だと言い聞かせながら過ごした日々も、

帰りのホームで好きな人に会えなかったまま、夕暮れの土手をぼんやりと眺めた時間も、

いつもの時間も、景色も、わたしの大学時代の思い出はスネオヘアーの楽曲と共にある。

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