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生き方のクセ

昨日はとある学びに出かけていて、とても充実した1日だったな。今朝はぐんと気温が下がって、予定していた砂浴はなくなったけど、友だちに会いに出かけます。

8、9日目:なかなかおいしくならない

毎朝起きると今日こそおいしいんじゃないかと期待するけど、やっぱり苦マズい。
それと、今は飲むことが目的になってしまってて、飲むことで何が病気を治したいとか、飲む味わいを楽しむとか、何か大事なものがすっぽ抜けてる感じはする。

生き方のクセは小さな動作にあらわれる

私はどうやら意図が強すぎるようだ。そういう自分の生き方のクセみたいなのはちょっとした動作に反映されている。

例えば、手をバンザイといったように頭よりに上げているとする。そこから手を下ろす動作をしてみると、どんなふうにするだろうか?手は上げているときにキープする力を使っているので、そのキープを止めてみるといい。すると手は重力でストンと落ちてくるのだ。ただし、これでは乱暴にドスンとかズドンとかバチンと音がして腕もけっこう痛い。これは放棄型のケース。生き方になぞらえてみても、ちょっと痛そうな生き方になりそう。

一方で、物事をガッチリコントロールしたい人は、手を下ろすときに自分で手を動かして下ろすぞってやっている。これは理性的だし安全なようだけど、体にはけっこう力みが生じている。こういう人は仕事ができる男性に多い気がする。人生でこれをやり続けると、体はガチガチになるのがよくわかる。

じゃあ何がいいのかっていうとその間かな。重力で自然に落ちるのを感じながら、それに自分のコントロールも加えて程よいスピードで。放棄するでもなく力むでもなく。そういう人は、なんだか自然の流れにうまく乗って生きている。決してただ流されるのとも違うし、自ら動いているけど周りを支配して思い通りにさせるような力づくとも違う。

プロセス無視のワープ型

さて、私はどうかというと、意図が強すぎるワープ型のようだ。勝手にそう名付けたのだけど、私な場合は手を下ろすと言われた瞬間に、手がお腹の前に移動しているイメージだけパッと浮かんでいたのだ。"手を下ろす"や"手が下がってくる"というプロセスには意識がない。
だから、手は実際に下りてお腹の前にあるんだけど、どうやって動かしたかはさっぱり覚えてないというか、感じていない。。。

つまり、思考が先走ってしまってるのだと思う。結果のみ!みたいな、これはこれでけっこうな男性性の強さだ。力んでいるを通り越してワープの瞬間に毎回息を止めて生きてるようなもんだ。。。








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