小説【アコースティック・ブルー】track0: Introduction

 ステージを照らすスポットライトの光が弱まり、足元のフットライトが淡い光を放ち始める。
 朧げな暗闇の中で慎重に手元を確認してから一呼吸すると、できる限り優しく、それでいて弱々しくならないように気を付けながらアコースティックギターの弦を弾いた。
柔らかい音色が紡ぐ緩やかなメロディーが密閉された薄暗い空間に優しく広がり、旋律に合わせて口ずさむハミングがマイクを通してフロア全体に浸透していくと、音楽以外何も聞こえない静かなフロアにはまったりとした時間が流れ始める。
 リズムと呼吸を合わせるようにして細いスポットライトの光が徐々に明るさを増していき、暗い夜道を照らす月明かりのようなスポットライトの光がステージ上のたった一人だけを明るく照らし出した。

 緊張で弦を押さえる指先に余計な力が入ってしまわぬように注意しながら、ユウコはフロア全体に精一杯自分の歌声を響かせた。
 スポットライトの強い光に目が眩んで薄暗い客席フロアの様子は殆ど分からないが、いつもより客の入りは少ないように見える。
 このところ仕事が忙しくて満足な音楽活動が出来ず、準備不足を感じていたユウコは、それを残念に思う一方で少なからず安堵していた。

 今夜の出演は急遽決まったものだった。
 最近人気が出てきた若手のロックバンドがトリを務める予定だったが、メンバーの体調不良を理由に出演をキャンセルしてしまったらしい。
 攻撃的な音楽性が若者たちに受けているそうで、ライブハウスの廊下に何枚もフライヤーが貼られているのを見かけた。
 彼等のステージを楽しみにしてきたファン達にとっては、ゆったりしたアコースティックギターの音色は退屈過ぎるのかもしれない。演奏中に会場を出ていく観客もチラホラ見受けられる。しかしだからこそユウコは、今自分の歌を聞いてくれている観客達に向けて真摯に思いを届けることに意識を集中させた。
 観客が少ないからこそ一人ひとりに強く訴えかけられるような気がして、そんな緊張感も嫌いではないと感じる。

 あっという間に自分の持ち時間が終わり、最後の曲を歌い終えると観客から温かい拍手が送られた。
 ユウコが「ありがとうございます」と礼儀正しく頭を下げてそのまま顔を上げると、スポットライトの明かりが弱まり、観客の様子が薄っすらと見えるようになっていた。
 そしてフロア奥のミキシングブースが設置されている一際暗い一角に見覚えのある人影を発見して、小さな驚きと共に温かい喜びが胸の奥に生じるのを感じる。
 サングラスをかけて表情を隠してはいるが、それが誰なのかが一目で解りユウコは懐かしい友の来訪に思わず頬を綻ばせた。

「相変わらずいい声してるね。悔しいくらいだ」

 フロアの奥からステージを見守っていた男性が出番を終えて客席フロアにやってきたユウコに声をかける。

「なにそれ嫌味?」

 ユウコはわざとらしく作ったふくれっ面でそれに応えるが、すぐに表情を崩すと嬉しそうに笑って古い友との再会を喜んだ。

「タスク君、久しぶり。来るなら連絡してくれたら良かったのに」
「驚かせたくてね」

 そういうとタスクはサングラスを外して猫のような人懐っこい笑顔を見せた。
 ブラウスの裾に貼り付けたた"BackStagePass"と印字されたステッカーをドリンクカウンターのスタッフに見せてコロナを二本注文する。
 バンドの入れ替えを待つ観客達の話し声や、天井から吊り下げられた小さなモニターに映し出されている有線放送の音楽番組の音声がフロアに大きく響いて騒々しい。
 モニターには最新のヒットチャートを賑わせている人気のバンドのMVが映し出されていた。

「Mor:c;wara (モルクワァラ)凄い人気だね」

 冷えた瓶ビールを差し出しながらモニターに映るTASKの姿を見上げるユウコ。

「まぁ、なんとかやってるよ。」

 そう言うとタスクはチラっとモニターに視線を送っただけですぐに目を逸らして「そっちは?プロになる気はないの?」と話題を変えた。そんなタスクの態度にユウコは小さな不安を覚える。

 デビュー以来、破竹の勢いで人気を獲得してきたMor:c;waraは今や国内で知らない人はいないほどのモンスターバンドに成長した。
 目の前の古い友人はそのMor:c;waraのボーカルTASK。スーパースターと言っても過言ではないくらいの有名人だ。なのに地元の高校生やアマチュアバンドが趣味で演奏するような小さなライブハウスにもこうしてフラッとやって来る。
 普段はさほど飾り気も無く打ち解けやすい人物なのに、モニターに映るTASKの姿はまるで別人のような華やかさを身に纏っているのがユウコには未だに信じられない。
 最近は不穏な噂がバンドに付き纏い、週刊誌などでは解散が近いのでは?と騒がれているのをユウコは心配している。
 この不安が杞憂に終わればいいと心底願っていた。

「私のは趣味。バンドの欠員なんかが出た時に呼ばれるくらいで丁度良いのよ」
「もったいないね。スゴい才能なのに」
「やめてよ、音楽賞いくつも獲ってるくせに」

 冗談めかして言ったつもりだったが、その台詞にタスクは少し寂しそうな色を瞳に浮かべたようにユウコには見えた。
 何も言わずに唇の端を歪めている横顔が何かを言い淀んでいるようにも見える。
 押し黙ったままビールを一口あおると、タスクはそのまま徐にモニターを見上げて画面に映る自分の姿を無表情に見つめた。

「俺一人の力じゃないし。それに俺はもうすぐ歌えなくなるかもしれないからさ。自由に歌える君が羨ましいよ。」
「なにそれ、どういう意味? まさか解散の噂って本当なの!?」

 思わずそんな疑問が口をついて出てしまい、ユウコは気まずさから視線を反らした。モニターを見上げたままのタスクの態度に変化は無いように見えるが、表情を伺おうと視線を向けた丁度その時、エレキギターの轟音がフロアに鳴り響いた。

 観客側の照明が暗くなり、ステージ上のライトが強くなると演者達のシルエットが浮かび上がる。フロアに流れていたBGMの音量が絞られ、演奏が始まるその瞬間を待つ観客達でフロアが静まり返る。
 ドラマーのスティックを打ち鳴らす音が響き、4の合図と同時にバンドの演奏が始まると、隣で話す声も掻き消されてしまうほどの大音響がハウス内を埋め尽くした。
 ユウコは自分の問いかけがタスクの耳に届いたのか否か判然としないことにもどかしさを感じつつも、内心でホッとしていた。
 とりあえず目の前のステージに注目していれば気まずい思いはしなくて済みそうだと思いなから若手バンドの演奏に耳を傾ける。

 人気バンドのフロントマンであるタスクと会うのは今や難しい。
 バンドの動向に世間が注目している最中、スクープを狙う沢山の記者がメンバー達に四六時中張り付いているような状況下で、こうして誰にも気付かれずに会えていることが奇跡的だった。
 ユウコ自身も仕事が忙しくなり、再会するのは久しぶりのことだったため、本当はもう少し色々話したいという思いから、隣で同じようにステージに注目しているタスクの様子を横目でチラチラ窺っていた。そんなユウコの胸の内を悟ったかのようにタスクが振り向く。
 お互いの視線が一瞬重なり、タスクが悪戯っぽくウィンクすると、ユウコの耳元に顔を近づけた。
 ライブハウス特有の煙草とアルコールの匂いと一緒に、柔らかい石鹸と清々しいミントが微かに香る。
「場所を変えよう」とタスクが大きな声で伝えると、ユウコは少し照れ臭そうに微笑みながら頷いた。

 秋が終わりに近づき冬の冷たい大気が凛とした夜気を運んでくる。ライブハウスの中は熱気で少し息苦しかったため、人気の少ない夜の公園に戦ぐ風が冷たく心地良い。
 薄暗い街灯が照らすベンチに並んで座り、タスクはユウコのギターを膝に乗せて何を演奏するでもなくポロポロと弦を爪弾いている。

「何か歌ってよ」

 ユウコが悪戯っぽく笑ってタスクにそうリクエストするとタスクは「えー、俺の歌なんていつでも聞けるのに」と気恥しそうに身を捩らせた。しかしその表情は何となく嬉しそうで「じゃあ、あの曲覚えてる?」とユウコに視線を寄越すとタスクは慣れた手つきで演奏を始めた。
 ユウコは初めタスクが何を演奏しているのか解らなかった。しかしイントロの演奏を終えてタスクが曲に合わせてハミングを始めると、不意にユウコの脳裏に懐かしい記憶が蘇り、タスクの意図を理解した。ユウコが大きく頷くとタイミングを見計らって歌い始める。

 高校生の頃に一緒に歌った記憶―― 夕暮れに朱く染まる教室に二人きり。
 放課後の音楽室でタスクが演奏するギターに合わせて歌い、気恥しさからなのか傾き始めた太陽の色なのか、お互いが頬を赤らめていたような気がする。
 照れた表情を隠すように真剣にギターに向き合うタスクの姿と、柔らかく優しいアコースティックギターの音色を今でも鮮明に覚えている。
 どんなタイミングだったかは覚えていないが、ユウコが何の気なしに口ずさんでいた鼻歌をタスクが気に入って、数日のうちに曲に仕上げてしまったのだった。あの当時すでにタスクは才能の片鱗をユウコに垣間見せていた。

 そんなことを思い出していると、あっという間に2コーラス歌いきってしまっていた。タスクは演奏の手を止め、ユウコが長年使いこんできた古いギターをまじまじと眺めている。そういえばこの曲は当時も2コーラスまでで、その先は未完成だったとユウコは思い出す。

「この曲ってここまでだっけ?」
「うん。この先は作ってないよ。いいアイデアが浮かばなかったから」
「今なら書けるんじゃない?」
「さぁ、どうかな……」
「Mor:c;waraの次の新曲にしたら?」
「新曲ぅ~? 曲作りは俺の担当じゃないんだけどなぁー」
「いいじゃん別に」

 眉間にしわを寄せて「う~ん」と唸るタスクはどことなく楽しそうな笑顔を浮かべながら無造作にジャラジャラとギターを鳴らしている。
 こういう表情を見せているときは大抵既に心が決まっていることが多い。軽く背中を押してやれば渋々ながらも「何とかする」と前向きな返事をしてくれるのがタスクの性格だと、長い付き合いの中でユウコは知っていたが、その横顔に何となく影があるような気がして、それ以上強く求めるのを躊躇った。バンドを取り巻く環境に良くないことが起こっているのだろうかと勘ぐってしまう。

「これさ、ピックガード貼らないの?」

 年期の入ったユウコの古いギターは手入れしているとはいえ、ところどころにガタが来ていて、ピックガードは随分前に剥がれたきり直していないため、今は塗装されていない木材が剥き出しになっている。

「この方が音がいいの」
「みっともないから隠そうよ」
「そんなことないよ。いいのこのままで」
「でもなー」

 困ったようにピックガードの跡を見つめるタスクの表情をユウコが面白そうに眺めていると、タスクは躊躇いがちにユウコに視線を向けて「俺が調整しようか?」と不安そうな面持ちで提案した。
 スーパースターの困った様子が可愛らしく、もう少しからかってやりたいと意地悪く思いながらも、自分にはできないギターの調整をタスクがやってくれるということを素直に喜んで、ユウコが「いいの?」と声を高くした。その様子にタスクもようやく表情を崩して「次に会う時までには直しておくよ」と約束してくれた。

 Mor:c:waraは現在全国ツアーの真っ最中で、ツアーが二週間後に千秋楽を迎える。それが終わればしばらくはゆっくりできるということらしいので、ユウコはギターをタスクに預けることにした。

「また君の歌が聞けて良かったよ。ありがとう」

 タスクがギターをケースに仕舞いながらそんなことを告げるので、それがまるで最後の挨拶のように聞こえて、ユウコは得体の知れない不安を覚えた。
 別れ際「また聞きに来てよ」と声をかけてみるがタスクは「うん」と弱々しく返事をするだけでそれ以上は何も言わない。
「じゃあ、また」とお互い手を振って公園を後にすると、ユウコは振り返って遠ざかっていくタスクの後ろ姿を見つめた。
 その背中はどこか寂しそうで、ユウコの中に芽吹いた不安の影をより一層濃いものにしてしまうような嫌な予感があった。

 いつもと変わらない明るい朝。空は快晴なのに空気は冷たく、早朝の冷気を吸い込むと身が引き締まるような思いがする。
 ユウコは何時ものように朝食を済ませると、出社のために身支度を整えた。

 準備を済ませてリビングにいる母に「行ってきます」と声をかけるといつもなら「行ってらっしゃい」という返事が返ってくるのだが、その日はなぜか母は無言のままテレビに見入っていた。
 ユウコが不審に思い、同じようにテレビの画面を覗き込む。朝のニュース番組が有名人の訃報を伝えているようだった。
 ニュースキャスターが沈痛な面持ちでニュースを読み上げ、同じく暗く沈んだ表情のコメンテーター達をカメラが順に映していく。そして画面が切り替わると、亡くなった有名人の写真が映し出された。
 その瞬間、ユウコは目の前の世界が激しく歪んでいくような錯覚に陥った。上手く呼吸ができず、何かに縋らなければ立っていることさえできない。ユウコは膝から崩れ落ち、それに気づいた母がユウコに駆け寄る。状況が上手く呑み込めず自分が何を目撃したのかさえユウコは理解できていなかった。

 もう一度テレビの画面に視線を向けると、ニュースはTASKが不慮の事故により亡くなったと繰り返し報じていた。

track1: SLOWDOWN #1 >>

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