小説【アコースティック・ブルー】Track8: HERO #1

 灰色の雲の影に投影した月の明かりが、くすんだ暗い夜空をボンヤリと照らす。
広い川幅を持つ河川に隣接する遊歩道から見える川面に映る街の明かりが、緩やかな川の流れに揺れてチラチラ輝く。水辺の空気は一際冷たく、白く曇る吐息が冬の訪れを感じさせた。
 警察から身柄を解放されたユウコは、一時的に没収されていたギターを回収すると、店に戻る道すがらセイイチとケンジの二人に古い友人の話を始めた。

「高校生の頃、音楽好きの趣味が高じてタスク君と親しくなったんです。
 一緒に曲を書いたり、歌ったり。
ギターの弾き方を教えてくれたのも彼でした」
「あいつがギターを?」

 セイイチは信じられないといった表情で興味深そうに頷きながらも、記憶の中のタスクの姿を思い出したのか嬉しそうに笑った。

「高校の卒業を機にMor:c;waraが始まって、バンドの人気が出てくると、私も大学が忙しくなってきて、自然と会う機会も減っていったんです」

 視線を遠くへ向けながら事実だけを訥々と語るユウコの瞳の中には、追想への寂しさと愛慕の思いが共存しているようだった。

「でも、たまに私がライブに出演するとどこで聞きつけてくるのか、気づくと客席に彼の姿があって よく聞きに来てくれてました」
「マメだね、あいつも」

 セイイチがそんなことを言うので、ユウコが照れくさそうに笑みを浮かべて相づちを打つ。

「彼が亡くなる二週間前にも、タスク君は私に会いに来てくれました。
 そのとき、彼にこのギターを預けたんです」

 そう言って視線を落とすと、片手に提げた大きなギターケースをユウコが愛おしそうに見つめた。
 物憂げなその瞳を見てセイイチとケンジの二人は、そのギターが彼女にとって欠け替えのない大切なものだったに違いないと強く感じた。薄汚れた傷だらけの古いギターケースだが、ユウコにとっては重要な意味を持つ思い出の品であり、長い間ガレージに放置してしまっていたことにケンジは後ろめたさを感じる。

「じゃあ、これは本当に君の?」
「はい。セイイチさんがケンジさんに譲ったって聞きましたけど」
「お店に飾るギターを探してたら、セイイチ君が持ってきてくれたんだ」
「誰のか解らないギターがずっとスタジオに残されてて、俺はずっとタスクのギターだと思い込んでたんだけどな」
「そうだったんですね」

 水の流れる音だけがゆったりと響く静かな夜。三人は不思議と切なくも温かいノスタルジックな思いを同時に胸の奥に感じていた。

「お店でこのギターを見つけたときは驚きました。
  はじめは同じモデルのギターが店に置いてあるのはただの偶然だと思ったんですけど、音の鳴りが良くないってケンジさんが言っていたのがどうしても気になって。
 やっぱりこれは私のギターなんじゃないかって思ったんです」
「それを確かめるためにギターを持ち出したのか」
「はい―― 何も言わずに持ち出したりしてすみませんでした」

 そういってユウコが頭を下げるとセイイチは「もういいよ」と先ほどとは打って変わって気の毒そうに穏やかに応じた。

「でもどうやって、確かめるつもりだったの?
 特別な印やなんかは無かった気がするけど」

 ケンジの質問を受けてユウコは少し恥ずかしそうに微笑むと、ポケットからスマートフォンを取り出して、保存されている画像データを呼び出して二人に見せた。

「タスク君が学生時代にギターを修理してくれたんですが、ピックガードの裏にメッセージを書いていたんです。それが裏移りしたみたいで、ギターにはまだそれが残っているはずなんです」

 写真を見せられた二人は含み笑いを浮かべて「こいつは……」と面白そうに画面を覗き込んだ。ユウコが恥ずかしくなってスマートフォンを引っ込める。

「私が彼にギターを預けたとき、ピックガードは付けていませんでした。
 音の鳴りが悪かったのはそれが原因だったんです。」

 写真を見せたのは失敗だったかもしれないと顔を赤らめながら、納得したのかしないのか判然としない様子で顔を見合わせる二人の表情をユウコはむず痒く思いながら覗き込んだ。
「ピックガードを外すためにわざわざSeaNorthまで行ったのか」とセイイチが納得しながらも少し呆れたように応えるのを聞いて、やっぱり信じてもらえないかとユウコが落胆する。しかし意外にもセイイチが「だったら今確認してみようぜ」と悪戯っぽくほくそ笑んでユウコのギターケースを取り上げた。

 遊歩道わきに設置されたベンチまで移動してケースを座面に置く。ケースの蓋を固定している留め金を外してギターを取り出すと、頭上に灯る街灯の明かりに照らして問題のピックガードをじっくりと観察し始めた。
 本来、ギターの本体を保護する目的で貼られているこのパーツが音に影響することはあまりない。それでも、長年ギターには良くない環境で保存され続けていたユウコのアコースティックギターはピックガード一枚でも音色に少なからず影響を及ぼすようだった。適切な方法で交換しなければボディーを痛める可能性があり、最悪の場合は音色も変化させてしまう。
 セイイチがこれからやろうとしていることに不安を感じたユウコとケンジは、ちゃんとリペアスタッフに見せた方がいいとセイイチの説得を試みるが、セイイチはまるで聞こえていない様子でピックガードを弄り続けた。指先の爪をピックガードのへりに滑り込ませてムリに引き剥がそうとするのを見て、ユウコはさすがに我慢できなくなり「止めてください!」と抗議の声を上げる。しかしそこでセイイチが何かに気づいて「ん?」と不思議そうな唸りを上げて「このピックガード……」と訝し気に呟くと「あっ!」とユウコとケンジが声を上げる間もなく、ピックガードをあっさりと剥ぎ取ってしまった。

「え…… ピックガードってそんな簡単に剥がれるもんなの……?」

 剥ぎとられたピックガードを見ながらケンジが素っ頓狂な声を出す。
 あっさりと剥がれてしまったことに対するショックと不可解な事態に呆気に取られてしまったユウコは、ほんの少しの時間、剥ぎ取られたピックガードを見つめたが、すぐになんて乱暴なことをするんだとセイイチの背中を恨めしく睨んだ。

「どうやら……剥がせるように貼ってあったみたいだな」

 セイイチが黒いプラスチックのプレートをまじまじと眺めながらそう呟くのを聞いて、ユウコは急に合点がいったようにハッと息を飲んだ。

「たしかに、何か白い塗料みたいなもんが残ってるなぁー」

 ピックガードが剥がれた部分を街灯の明かりに照らしながらじっくり観察するセイイチ。
「これか?君が言ってた証拠ってのは?」とユウコに振り返ると、恐ろしく真剣な眼をしたユウコが「そのピックガード見せてください!」と緊迫した声でセイイチに迫った。セイイチはユウコの迫力に気圧されて、声にならない返事で頷きながら、剥ぎ取ったピックガードをユウコに渡す。
 ユウコは受け取ったピックガードを食い入るように見つめ、よく見えるように街灯の明かりの下に移動した。そしてすぐに何かを発見して大きく目を見開いた。

「み、見てください。これ……」

 ユウコは自分の発見に驚愕しながらセイイチとケンジの二人にもよく見えるようにピックガードの裏面を明かりに照らした。

”data/sonar ”

 そこには白いペンでアルファベットの文字列が書き込まれていた。

「何だこれ? もしかしてこれもその時のメッセージ?」
「いえ、このピックガードは二年前に預けたそのあとに張り替えられたものなので、多分―― 彼が亡くなる前に書かれたものです」
「えっ!?」

 セイイチとケンジが同時に驚きの声を上げた。

「じゃあ、これの意味は!?」

 セイイチがユウコに詰め寄る。その眼には大きな期待に満ちているようにユウコには見えたが、ユウコは申し訳なさそうに眼を伏せた。

「わかりません……」

 セイイチの残念そうな溜息が聞こえてきそうなくらいハッキリと落胆した様子が見て取れた。

「でも、この字は――」
「ああ、タスク本人の字で間違いないだろうな」

 街灯の明かりに照らして、もう一度よくピックガードの文字を覗き込むが、この書き込みが一体何を意味するものなのか三人にはさっぱりわからないため、ただ黙ってそれを見つめるしかなかった。

「どうして気付いたんだ?」
「剥がせるように貼ってあったってセイイチさんが言ったから、
 前にピックガードを張り替えた時みたいにまた何かメッセージを残してるのかもと思ったんですけど……」
「その意味が解らないんじゃな……」
「ええ……」

 ギターを見つめるユウコの横顔は慈しむような優しさに満ちていながらもどこか寂し気で、二年前の出来事が彼女の心にも深い爪痕を残しているのだろうということがセイイチにも見て取れた。彼女も自分と同じように止まった時間の中に生きてきたのだろうと思うとセイイチは居た堪れなくなり、同情にも似た虚しい共感を覚えた。

「あ、そうだ」

 ユウコが何かを思い出して、ジャケットの内側に手を入れると、セイイチが求めていたもう一つの探し物が現れた。

「ユウコちゃんが持ってたんだ」

 ユウコが取り出したものをセイイチに受け渡すのを見てケンジが安堵して微笑む。セイイチは目の前に差し出されたデジタルプレイヤーを手に取り、ホッとした安らいだ表情を見せながら「よかった」と呟いた。懐かしそうに寂しさを湛えた瞳でセイイチの手の中にあるデジタルプレイヤーを見つめるユウコ。

「まさかセイイチさんがあの録音まで持ってるなんて驚きましたけどね」

 何気なく放ったユウコのそのセリフに引っ掛かりを覚えてセイイチが「録音?」と小さく呟いた。そしてすぐに重大な事実を忘れていたことを思い出したセイイチは、彼女の言葉の意味に気づいて心臓が高鳴るのを感じた。

「あの録音聞いたのかっ!?
 なんか知ってるのか!? 教えてくれっ!
 誰なんだっ―― あれを歌ってるのは!?」

 セイイチが急に興奮した様子で詰め寄るので、ユウコは小さく驚きながらも少し照れくさそうに笑って答えた。

「……私です」

 ユウコの返事を聞いてセイイチは、喜びと感動と、あらゆる歓喜の感情で飛び上がりたくなるほど興奮した。隣で聞いていたケンジも「信じられない……」と呟いて、幽霊か何かでも見たような表情で見つめている。

「やっと見つけたっ……!!
 二年間……ずっと君を捜してた!!」
「えっ、どうして私を……?」

 ユウコの肩を掴んで、息を詰まらせたように切れ切れ訴えるセイイチ。感情が昂るあまりユウコの戸惑う様子すら目に入らず、そのまま彼女の手を取ると「ちょっと来てくれ!」と強引に引っ張っていく。何が何だかわからないユウコは戸惑いながらも、手を引かれるがままセイイチについて行くしかなかった。そんなセイイチの背中に古い記憶の中の一コマが重なって見えた。
 夕暮れに朱く染まる廊下を少年が興奮した様子で自分の手を引いていく。戸惑いながらも少し嬉しい心持でそのあとについて行くあの時の自分を思い出し、手の平に残る少年の手の温もりが鮮明に蘇った。

 

 

「じゃじゃーん!」
「えっ!? もう直ったの!?」

 少年に連れらて少女がやって来たのは誰もいない放課後の音楽室だった。少女の目の前には先日少年に修理を託したアコースティックギターがあり、多少の汚れは残っているものの綺麗に整備されていた。少年が自慢げに胸を張って目を輝かせる。

「それとこれ!」

 ノートに走り書きしたような簡単なコードの進行表を少女に差し出すと少し恥ずかしそうに笑う少年。受け取った譜面を眺めて驚いた様子で少女が問い返す。

「これって……もしかしてあの曲?」
「うん! ちょっとアレンジしてみたんだけど、どうかな?」
「ただ思いつきでテキトーに歌っただけなのに―― すごいね。」

 少女が何気なく口ずさんだだけのメロディーをいたく気に入った少年が曲にしたいと言い出した。少女はただの冗談だと思っていたのに、譜面を見るとほんの3~4小節程度の短い鼻歌がちゃんと一曲に仕上がっていた。
 いい加減に歌った曲なので少女自身その内容を覚えているわけでもないのにこうして形になったものを見ると、アレンジというよりも少年のオリジナルと言った方がむしろ正しい。少年の才能に驚き、照れ臭さを感じつつも彼の行動が嬉しくて少女が微笑む。それに対して少年はなんだか言いづらそうに顔を伏せながら上目遣いに少女を覗き込んだ。

「ねぇ、歌ってよ!」
「えっ? ――でも……」
「いいじゃん、お願いっ!」

 少年がパチンと音を立てて顔の前に両手を合わせる。祈るように目をグッと閉じたまましばらくその姿勢で粘るので、少女は呆れながらも嬉しそうにはにかんで「仕方ないなー」と少年の申し出を受け入れた。
 少年が顔を明るくして頭を上げると予め準備しておいたマイクを引き寄せてから、修理されたばかりのギターを膝の上に乗せてやけにいそいそと機材を準備し始めた。

「えっ、録音する気?」
「いいじゃん、いいじゃん。」

 悪戯っぽく笑う少年の笑顔に促されて少女は仕方なくといったふうを装いながら、コホンっとわざとらしく咳払いをして喉の調子を整える真似をする。手渡された譜面でメロディーを確認してうろ覚えの歌詞を頭の中で反芻しながら、小さな声でアレンジされた曲のメロディーを口ずさんでみると、少年は嬉しそうに頷いて親指を立てた。 緊張した面持ちで視線を合わせて合図すると、少年がプレイヤーの録音ボタンを押して手元のギターで演奏をはじめた。
 放課後の閑散とした、それでいてどこか温かい空気の流れる音楽室にアコースティックギターの柔らかな音色が流れ始める。イントロの演奏を聴きながら曲を間違えないように気を付けて、少女は少年の伴奏に合わせて歌い始めた。
 少女の透き通る歌声がギターの柔らかな音色と絡み合い、驚くほど美しい旋律となって室内に反響する。少年は彼女の歌にうっとりと聞き惚れて、音楽に合わせて嬉しそうに体を揺らした。
 2コーラスが終わったところで少年が手元を誤り演奏が途切れると、その拍子にピックガードが剥がれ落ちて床に転がった。その様子を見て二人が楽しそうにケラケラと笑い合う。少年は録音停止ボタンを押してデジタルプレイヤーを停止させた。

「ちょと外れちゃったよ。タスクちゃんと直してよぉ」
「わかったわかった。見せてみ」

 少年がそういうのを聞いて少女が床に落ちたピックガードを拾い上げると、少女は何かに気づいて怪訝な眼差しを少年に向けた。少年が緊張して体を強張らせる。

「なにこれ? 男らしくない」
「え……」

 少女がピックガードを少年の目の前に掲げてそういうと、そのセリフに少年は落胆して肩を落した。少女がそのまま俯いて表情を隠しながら照れ臭そうに視線だけを少年に向けて呟く。

「自分の口で言ってよ」

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