小説【アコースティック・ブルー】Track8: HERO #2

 店の扉が開き、反射的にスタッフ達が「いらっしゃいませ」と呼びかける。
 セイイチとユウコが姿を現すと二人の姿を認めたスタッフ達が「ああー、よかった。心配しましたよー」と安堵した様子で二人に駆け寄った。
 店の入り口近くの席に陣取っていたシドも「申し訳ない! ウチのスタッフが余計なことしたばっかりに迷惑かけて――」とユウコに声をかけるが、セイイチが先を急ぐようにユウコの手を引いたまま強引に店の奥のステージへと向かっていくので、シドの呼びかけは無視されてしまった。
 今夜はライブがないため客の入りはまばらだが、脇目も振らず店の中を突っ切っていく二人の姿に数人の客が驚いたように目を向けた。
 ステージの上に並べられているMor:c;waraの楽器を、自宅の家具を動かすようなごく当たり前のことのようにセイイチが移動させると、人が一人立てるくらいのスペースを作って戸惑うユウコをステージに引っ張り上げた。セイイチはギターをケースから取り出して彼女の前に突き出す。

「さぁ、歌ってみてくれ!!」
「……えっ……?」

 突然の出来事に店内は騒然となり、全員の視線が二人に集中する。ユウコは恥ずかしさのあまり目の前のギターをセイイチに突き返すとステージから飛び出した。
 明かりの落ちた店内は営業時間の賑やかさとは打って変わって、少し寂しさを感じるくらい静かで仄暗い。後片付けのために点灯しているカウンター席の小さな明かりが、項垂れるユウコの姿をぼんやり照らしていた。

「死ぬほど恥ずかしかったです……!」

 恨めしそうな目付きで隣に座るセイイチを睨むユウコ。セイイチはバツが悪そうに謝って何度も頭を下げた。

「大目に見てやってよ。二年間ずっとユウコちゃんのことを捜してきたんだからさ」

 ケンジの助け舟でようやくユウコはセイイチの話を聞く気になったらしい。少し不服そうに唇を尖らせながらも、何か期待するような眼差しをセイイチに向ける。

「私を捜してたってどういうことですか?」
「TASKは新曲の構想があることを俺に話してたんだ。
 ただそれがどんな曲なのかは聞かされてなくて、アイツが亡くなってからこの録音データが出てきたんだよ」

 そう言ってセイイチがユウコの前にデジタルプレイヤーを差し出す。充電はもうとっくに切れてしまっているためディスプレイは真っ黒で、無残にひび割れた画面が悲惨な過去をそのまま記憶しているようにユウコは感じた。

「この歌声を聞いて驚いたよ。透き通る声に豊かな表現力。
 これほど優れた歌唱力を持つシンガーはプロでもそういないからな」
「まさか、ユウコちゃんだったとはね」

 ケンジがセイイチのセリフに同調してそう言うと、ユウコは照れながら嬉しそうに微笑んだ。肩を窄めて恥ずかしそうに頬を綻ばせる横顔には、昔の淡い恋心を思い出しているようなあどけなさが浮かんでいるようにも見える。

「なんか恥ずかしいですね。
 高校生の頃に歌った歌がこんな形で出てくるなんて……」
「高校生!?」

 セイイチとケンジが驚いて声を上げるとユウコは意外そうに二人を見た。
 セイイチが「そうだったのかぁ~」と心底納得したといった様子で一言漏らすと、自分の勘違いに気づいて呆れたように笑った。

「どおりで見つからねぇワケだよ。
 新曲の話なんてしてたから録音もその時のものだって思い込んでたよ。
 まさか昔の恋人が歌ってたなんてなぁ~」
「恋人だなんて……」

 ユウコが恥ずかしそうに目を伏せる。

「録音自体は十年以上も前だったんだね。
 タスクと知り合いだったなら言ってくれたらよかったのに」

 旧友との再会を喜ぶような様子でケンジが嬉しそうに言う。しかしユウコはケンジのその台詞に表情を曇らせて「それは……」と一言返事をしてすぐに押し黙ってしまった。口を結んだまま逡巡する横顔には叱られるのを恐れる子供のような不安が滲んでいる。やや経ってユウコが重たそうに口を開いた。

「どうして彼が亡くなったのか、本当のことが知りたかったんです。
 探ってるって知られたら、追い出されるような気がして……」
「本当のことって?」
「タスク君と再会したあの日、彼はなにか悩んでいたみたいで  
 バンド解散の噂とか、事務所の問題とか私もなんとなくは知ってたから、
 そのことかと思ったんですけど……」

 そこまで言うとユウコは言い淀んだ。次のセリフを口にするのが辛そうに口元を歪ませる。そして苦しい思いを吐き出すように続けた。

「君が羨ましいって言われたんです」
「え?」
「タスク君―― 自分はもうすぐ歌えなくなるかもしれないから、自由に歌える君が羨ましいって、そう言ったんです……」
「もうすぐ歌えなくなる……?」
「私はタスク君が亡くなったことをニュースで知りました。
 はじめはただ悲しくて、寂しくて……
 でも時間が経つにつれてだんだん怖くなってきたんです。
 彼に恨まれてるんじゃないかって……
 新聞や雑誌でも彼が亡くなった理由について色々言われてたし、
 だから私……」

 長年溜め込んできた不安や恐れが止め処もなく言葉となって溢れ出てくる。しかし最も恐ろしい考えを口にする瞬間には喉の奥が詰まったような息苦しさを感じた。

「もしかして彼は自分から――」
「それは違う」

 ユウコの話を遮るようにそこでセイイチが強い口調で彼女の疑問を否定した。
 セイイチの表情は深い悲しみを湛えているように険しく、何かを思い詰めているようにも見える。言葉を探しているのか、自分と同じように言い淀んでいるのか、そんなセイイチの横顔に言い知れない不安を感じながら、ユウコはセイイチの次の台詞を待った。

「アイツは自殺するような奴じゃない。あいつが死んだのは俺のせいなんだ」

 悔しい思いを吐露するようにセイイチがそう告げる。苦いものを無理矢理飲み下したように眉間に深い皺を刻み込むセイイチの横顔が深い苦悩を物語っていた。

「なに言ってんだよ! セイイチ君のせいじゃないだろ!
 ……事故だったんだ。誰の責任でもないよ!」

 ケンジがセイイチのセリフを強く否定するが、セイイチは心から悔やむように苦痛に顔を歪めたまま俯いている。
 ユウコは記者に囲まれながら逃げるようにビルの中へ入っていくニュース映像のセイイチの後ろ姿を思い出し、ビルの外から呼びかける記者の質問にセイイチが振り向きかけたあの時の姿が今のセイイチに重なって見えた。

「事故って、舞台装置の故障か何かだって……」
「ああ、宙吊りで登場する演出を考えてたんだ。
 俺がやろうって言い出さなきゃ事故は起こらなかったかもしれないのに、
 俺があいつを殺したようなもんさ」
「セイイチ君……」

 心底辛そうに俯くセイイチの横顔にユウコは深い罪の意識をセイイチが抱えていることを感じとった。あまりに悲痛なその姿にケンジも重苦しい表情で黙り込んでいる。「でも、だったらどうして彼はあんなこと……?」
 ユウコの質問にセイイチは考えるように目を閉じて大きく息を吸った。少し間を置いてから何かを決意したように目を開けるとケンジと目を合わせる。それに応じてケンジが無言で頷いた。

「アイツは癌だったんだ」

 セイイチの意外な告白をすぐには飲み込めず、戸惑いながらその横顔を見つめ続けるユウコ。カウンターの弱いランプが作り出す濃い影の下で、暗く落ち窪んだ弱々しい眼差しがひどく悲しげな光を放つのを見て、ユウコは癌という病名の持つ絶望的な意味に気づいて言葉にならない驚きの声を上げた。

「喉に腫瘍があって、切除しないと一年も生きられないって医者に言われてたらしい。 腫瘍を切除すればもっと長く生きられたかもしれないのに、悩んでるうちにあんな事故が起こったんだ。偶然とはいえ皮肉な話だよな」

 セイイチの語り口にはいつものような力強さがなく、訥々と語るその姿は憔悴しているようにさえ見えた。

「そんな話はじめて―― ……っ!」

 俄かには信じがたいその話を聞いてユウコが激しく動揺する。言葉にならない思いが次々と心の中に押し寄せて、タスクと交わした最後の会話が断片的にユウコの脳裏にフラッシュバックした。

「ただでさえ妙な噂たてられてたからな。結局俺は公表しなかった。
 このことを知ってるのはメンバーと、一部の関係者だけさ」

 混乱するユウコに対してセイイチは落ち着いたように悄然としているが、それはただ疲れ切って既に全てを諦めてしまった姿のようにユウコには見てとれた。

「さっさと切っちまえばよかったのに。
 自分の命より歌うことを選んだんだぜ。馬鹿な奴だよ……」

 寂し気な眼差しで遠くを見つめるセイイチが皮肉な笑いを取り繕おうとして口元を不自然に歪ませる。そうして無理に作った笑顔はむしろ苦悶の表情に近かった。

「結局、警察の調査でも本当のところは解らかった。
 ――ただ、医者が言うにはリハーサル中に気を失ったんじゃないかって話だ」

 セイイチの語り口は依然として抑揚が無く、感情を交えずにただ事実だけを伝えようとしているのがユウコにもわかり、セイイチの中に巣食う後悔の深さが滲み出ているようにさえ感じた。

「病気のことを知っている人間はあの時誰もいなくて、あいつ一人で演出のリハーサルをしてたらしい。
 装置の準備をするために高い足場に登った時に意識を失って、多分そのまま……」

 セイイチはそこで口を噤んで押し黙った。言葉を続けるのが苦しそうに奥歯を噛んでいるのが解る。
 舞台装置の故障という対外的な発表はそれ以上混乱を大きくさせないための配慮だったのだろうとユウコも理解できたが、そのことがかえって今のセイイチを苦しめているのではないだろうかとその表情を見て感じた。真実を公表できない苦しさと、その原因を作ってしまったという罪悪感が彼の心を蝕んでいる。
 ユウコがどう返事をすればいいのか解らず押し黙っているとセイイチがユウコに向き直り、少しだけ表情を崩して穏やかな口調で語りかけた。

「でも、君にだけは本当のことを打ち明けようとしたのかもしれないな」
「え……?」

 辛く寂しそうな表情はそのままだったが、ユウコに向けるセイイチの眼差しは優しい温もりを帯びている。

「自分の体が病魔に蝕まれていく恐怖の中で、君だけが唯一心を許せる相手だったんだと思う」
「どうして私なんか……」
「羨ましいって言われたんだろ?
 それほど君はアイツにとって大きな存在だったんだ」

 タスクと過ごした時間はそんなに長くなかった。学生時代はいつも一緒にいた二人も、高校卒業を機に別々の道を歩み始め、Mor:c;waraの活動が本格化するとますます会える時間は減っていった。
 全く別の世界に生きている人なのに、どこで聞きつけてくるのかユウコがSeaNorthのステージに立つと決まって彼は見に来てくれる。冷静に考えればそれはあり得ないことなのに、ユウコはそれがどういう意味だったのか今まで気づかずにいた。セイイチの台詞にユウコが思わず目を潤ませる。

「はじめて病気のこと聞かされたとき俺は、情けないことに狼狽えたよ。
 なんて言ってやればいいか解らなかったんだ。
 俺がそんなんだからあいつはハッキリ言うのが怖かったのかもしれないな。
 それでも君には伝えておきたかったんだと思う。
 自分の身に待ち受ける運命を」
「そんな……私てっきり彼に恨まれてるんじゃないかって怖かったのに……」
「君が気に病む必要なんて何も無い。
 むしろ、それほどまで信頼できる相手に巡り逢えたんだ。
 アイツは幸せ者だよ」

 そこまで言うとセイイチは体ごとユウコに向き直り、両手を膝の上についた。

「アイツのためにありがとう」

 セイイチがそう言ってユウコに深々と頭を下げる。思いもしなかったセイイチの行動に、ユウコの瞳から涙がこぼれた。
 嬉しいのか悲しいのか寂しいのか、どう感じるのが正解なのか解らない複雑に入り乱れた思いが瞬間的に胸の奥で爆発してずっと抑えていた感情が関を切ったように声にならない叫びと涙と共に溢れだした。
 タスクに対して後ろ暗い気持ちを抱き続けて来たユウコにとっては、セイイチから礼を言われたことが何よりも嬉しくて、長い間胸の底に沈殿していた重く黒い靄が徐々に晴れていくのを感じた。長年抱え続けてきた恐れは自分の意志とは無関係に流れ出る涙と共に洗い流されていくような気がした。
 思い出す度に寂しさを覚えていた錆付いた記憶の断片に温かさが戻っていく。激しい感情の波に咽び泣くユウコの様子をセイイチとケンジの二人は優しく見守り、彼らの温かさにユウコは救われる思いがした。暗く寂しかった店内が今は温かく、カウンターの三人を照らす小さなランプの光がグラスやボトルに乱反射してとても明るく見える。
 ユウコはTom&Collinsが自分にとって何よりも愛おしい場所になった気がした。
 しばらくして感情の揺れが収まると、ユウコはタスクと交わした会話を何気なく思い出していた。セイイチがタスクに対して抱いている罪の意識がこの先も彼を苦しめ続けるのだろうかと考えるとこのまま放っておくわけにはいかない。
 タスクがMor:c;waraに対してどんな思いを抱いていたのかを語れるのは自分しかいない気がして、ユウコはまだ少し震える声でセイイチに記憶の中のタスクとの会話を思い出して語った。

「タスク君、お兄さんのこと信頼してました。
 何にも無い自分に才能を与えてくれて、バンドに誘ってくれたのはお兄さんだって。 だから感謝してるって」
「あいつそんなこと……」
「セイイチさんはタスク君にとって憧れの存在だったんです」

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