知られざる作業療法の源流?(3)

色々あって、更新が遅くなっていました。
ちょっとこれまでのことを簡単に振り返ります。
作業療法の源流は、道徳療法、アーツ&クラフツ運動、プラグマティズムです。
この3つのの共通点は、生きるために必要な日々の営み(作業(Occupation))=人間の経験を重要視するという点でした。
そしてその考えを具現化したのが、ジョン・デューイの作業(Occupation)という概念であり、最初に応用されたのが教育で、それはシカゴ実験学校で積極的に行われました。

しかしその他にも作業が積極的に使われた場所であったのが、ジェーン・アダムズが設立したハルハウスでした
ハルハウスは、貧困に苦しんでいた労働者や移民を守り、社会改革運動を行うことを目的にしたセツルメントハウスでした。
ハルハウスには、プラグマティズムの哲学者であった、ジョン・デューイが深く関わっており、シカゴのアーツ&クラフツ運動協会がありました。
また、作業療法の成立に深く関わったアドルフ・マイヤーやスレイグルが参加し、初めての作業療法の学校ができるなど、ハルハウスは、作業療法が形成される重要な拠点でした。
今回は、ジェーン・アダムズについて深掘りをして書いていきます。

ジェーン・アダムズ

作業療法の母に影響を与えたロールモデル

Rodolfo Morissonによれば、作業療法の母、と呼ばれているエレノア・クラーク・スレイグルのロールモデルが、社会学者であり、プラグマティズムの哲学者で、ソーシャルワークの先駆者でもあったジェーン・アダムズです。
実際、スレイグルは、「作業療法におけるジェーン・アダムズ」と呼ばれていたようで、それぐらい影響を受けていたと考えられます。

以前にも書きましたが、19世紀後半から20世紀のアメリカは、劣悪な労働環境、それに伴う不健康状態の人の増加(=精神障害の増加)、移民の増加と差別問題、市民の生活の経済格差、教育格差、集票マシーンによる政治の腐敗、女性の社会進出の困難さの問題など社会問題が山積している状況でした(なんか、移民問題以外は、書いていると今の日本の問題を書いている気がします)。

アダムズは、父親が政治家で裕福な家庭に生まれますが、脊髄の疾患により、フィラデルフィアでの女子医科大学を退学しています。
その後、半ば精神的に落ち込んだまま、ヨーロッパへ遊学しにいき、スペインでの闘牛を見て、生き方を見直し、ロンドンでセツルメント運動の先駆けであるトインビーホールを見学したことで自身の生き方が決まります。

そのような状況の中で、ヨーロッパから帰国後、アメリカの社会問題を解決するために、アダムズは、学校時代の友人であったエレン・ゲイツ・スターと共に、1889年にハルハウスを設立しました。
ハルハウスは、上記の問題を解決するために、食事や調剤による健康支援、工場の労働の実態調査、さまざまな文化事業、クラブ活動を含めた作業による教育を行うだけでなく、そこを拠点に州や国に制度的改革を求める、まさに「社会学の実験室」でした。

ハルハウスには、以前も言及したジュリア・ラスロップなど、当時影響力のあった女性たちが運営に参加していました。これは、アメリカの女性が家を離れ、社会に進出していく、フェミニズムの運動であることを示していると考えられています。
アダムズは、ハルハウスの活動を通して、社会における女性の役割を拡大していき、女性の社会進出を促しました。アダムズは、ハルハウスでの活動以外にも、女性参政権運動、全米有色人種向上協会の設立、反戦平和運動にも積極的に取り組み、ノーベル平和賞を受賞しました。

ジェーン・アダムズは、1999年、LIFE誌という雑誌で「この1000年で最も偉大な功績を残した100人」に選ばれてます。
現在も、NYの国連本部には、ジェーン・アダムズ平和委員会があり、毎年、子供たちのための平和に役立つ本を選択し、ジェーンアダムズ平和ブック賞として作家を表彰しているとのことです。
そんな偉大な女性の活動や哲学に大きな影響を受けたのが作業療法なのです。

ジェーン・アダムズの哲学

アダムズが、プラグマティズム哲学に傾倒したのは、真理に対して絶え間ない内省を促すという思想が、フェミニズム運動や社会運動、女性の社会進出の理論的支えとなると考えたからと言われています。
(そのため、デューイやジェイムズ、ミードなどとの交流が生まれ、主にデューイがハルハウスで、心理学や作業による教育を実施していると以前書きました。)

アダムズの哲学の特徴は、社会的結束というイデオロギーのもと、「分裂を引き起こすようなレッテルを貼ること」を避けるという、信念対立を引き起こさないようにすることを目指すということでした。
アダムズは思想を「変幻自在の表象」と捉えており、自身の努力や活動の反発を日起こす「現実を構築」しないために、自身をフェミニスト、平和主義運動家、社会主義者というカテゴライズされることを避けました

このアダムズの考え方は、谷川嘉浩氏の『信仰と想像力の哲学』によると、ヘーゲル哲学の影響を受けたデューイに多大な影響を与えており、ヘーゲル哲学の影響からの脱却をさらに進めた要因となっているようです。
アダムズは、デューイに様々な制度や立場を本質的な形で対立させる発想や「敵対」が避けられないという考えを放棄するように説いたとされてます。
デューイは資本家と労働者、教会と民主主義などの間には、真剣に捉えるべき敵対関係があるのではないか?と問うてみたものの、アダムズは否定し、次のように言ったと言われています。

「制度間の敵対は、個人的な態度と反応を写像した結果に過ぎず、決して存在しません。そしてそれは、意味の認識に何かを付け加えるどころか、それを遅らせ歪め始めるのです」1)(谷川嘉浩;『信仰と創造力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』,勁草書房,2021年,P24,L 17−19より引用)

デューイは初めは当惑したものの、敵対心を決して相手に投影しなかったアダムズの考えが正しいことを認めます。
本質的に避けられない対立があり、互いに敵対心を持ち、相手を道徳的に劣っているとみなすような思考は、緊張関係を絶対的で動かし得ない(対立を解明しえない)とみなすことにつながると考えました。
そして対立や敵意は、連帯や協働へと向かうプロセスでの、対象の未知の側面についての手がかりだと考えるようになります(信念対立解明アプローチと通ずる部分がありますね)。

デューイとアダムズの哲学と作業療法の関係

アダムズは、デューイのシカゴ大学実験学校での「教師と子供の自由と信頼の環境」や「先生と子どもが生活の中で関心を共有し合う環境」から、ソーシャルワーカーとClとの関係に通ずるものとして、ソーシャルワークにデューイの思想を取り入れました。
そしてデューイのコミュニティの福祉には、「相互の努力に依拠した公共的責任」が必要であり、誰もが自身の能力を発揮できる場所と機会が必要であるという思想は、アダムズのセツルメント運動のキャッチフレーズになったもと語っています。

デューイとアダムズが、共通して批判的思考を身につけるために重要視しており、それを身につけるために重視したのが、作業による教育とアーツ&クラフツ運動でした。
元々、デューイの作業による教育は、興味を重視した子どもを中心とした教育であり、思考の方法(目的を達成するために、探索や行動、内省、改善や改良を考える、協働的で問題解決的な学び)を身につけ、生きた経験による経験の再構成を継続することを重視してました。
そして教育の中には木工や絵画などの芸術活動が含まれており、芸術活動は、自我を育て、自我同一化(その人らしさ)、人間性の回復につながると考えられ、積極的に行われていました(この点は作業療法では、子ども中心、CL中心、MOHOの興味、意志のプロセス、CO-OP、OCPにおけるPRPPによる介入、アートの使用になどと共通しているように考えられますね)。 
そして作業は健康の促進と回復のための手段と考えられ、教育や芸術活動だけでなく、ハルハウスでは、看護師や地域の福祉や保健領域の職員を対象に、「癒しとレクリエーションの作業」という特別コースも行われました
そのため、デューイは教育で、アダムズはセツルメント運動で、作業による教育や支援を積極的に行ったと言えます

アダムズとデューイは、物事を包括的に理解することを目指し、学問の超専門化に伴う学問間の接続点の欠如と分離、様々な二極化を伴う二元論を乗り越え、多様な学問分野や文化などを結びつけることを重視しました(現在でも作業モデルか、医学モデルかのような対立が起こることがありますが、そもそもそうした対立を乗り越えることを意図していると言えます)。
そしてアダムズとデューイは、教育により批判的思考を身につけ、対話をしあい、協働して理想を現実化していくという意味での民主主義と社会的公正を目指しました

スレイグルは、著作でアダムズとラスロップをソーシャルワークと治療的作業の使用の先駆けだったと述べ、2人は、アドルフ・マイヤーと共に作業療法プログラムの発展に寄与したと述べています。
スレイグルは、デューイの著作を引用し、作業を治療的に使うことを明記した作業療法の最初の教科書を書いたトレーシーとの協力関係の中で、当事は斬新であった作業療法を広げていきました
作業療法という名前になったのは、トレイシーの教科書にダントンやバートンが注目して気に入ったからだと考えられてます。女性が中心になって理論と実践が行われ、作業療法の基礎は作られたのかもしれません。
スレイグルは、アダムズの理論(哲学)と実践(社会運動)が結びつき、批判的な考察と内省を行い、最適解を考え続けるプラグマティズムと活動方法に大きな影響を受けました。
スレイグルは、アダムズのプラグマティズムや活動の影響を受けて、作業療法の理論と実践(社会運動も含む)という形で、理論と実践を結びつけて活動するようになったのです(作業療法は、そもそもが理論的である、哲学的実践論であると考えられていうる理由ですね)。

終わりに

今回は、ジェーン・アダムズを中心に哲学とデューイの哲学との関係、作業療法との関係を書いていきました。
先日、千葉県の作業療法学会のイベントであった、大学院の副指導の先生であった京極先生の『続・作業療法の核を問う』の講演を聞いて、未来の作業療法のために、作業療法を歴史的に問い直す重要性を再認識しました
また新しいRodolfo Morrisonの論文を読んだり、谷川嘉浩先生の『信仰と想像力の哲学』や『スマホ時代の哲学』を読んだことも今回の記事の作成に大きく影響を与えました。

京極先生の『続・作業療法の核を問う』では、作業療法が多職種連携によって生まれたこと、プラグマティズムが対立を乗る越えるための哲学だったことを話されてました。
それを受けて、改めてデューイやアダムズについて自身で学ぶと、大学院の京極寺岡共同研究室では、「作業」と「信念対立の解明」の研究という、作業療法の源流や作業療法の本質とつながったテーマを深く掘り下げて学ぶ機会を提供していただいたことを改めて感じました。
ただし、記事に誤りなどがあったとしたら、僕個人の能力や理解の問題であることもここに書いておきます。

時折、「作業療法理論や作業科学はわかりにくいし、臨床に必要ないよ」という意見を聞いたり、「作業療法って求められてなくてアイデンティティクライシスに陥りそう」という方の意見を見ます。 そういう方々に今回の記事で、ノーベル平和賞を受賞したアダムズとの関係を知り、「もしかして作業療法って奥が深くて、社会を変えるようなすごいものなのかも?」、「作業療法を学ばないのはもったいないな、もっと学んでみたいな」と思うものになっていたら幸いです(そこまでは行かないか?)。
何よりも、作業モデルと医学モデルの対立の解明に一石を投じ、日々、病院で、地域でCl中心に作業療法を実践して努力をしている方々へのエールになっていたら幸いです。
多分、次のアダムズの影響を受けたスレイグルの活動について少し書いて完結になります。気軽にお待ちください。

参考文献

1)Morrison R. Pragmatist Epistemology and Jane Addams: Fundamental Concepts for the Social Paradigm of Occupational Therapy. Occup Ther Int. 2016 Dec;23(4):295-304. doi: 10.1002/oti.1430. Epub 2016 Jun 1. PMID: 27245105.
2)Morrison, R. The contributions of Jane Addams on the development of occupational therapy. History of Science and Technology, 12(2), 2022,262-278.
3)Andersen LT,Reed K:The History of Occupational Therapy: The First Century, Slack Incorporated, 2017.
4)上野正道: 『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』, 岩波書店, 2022
5)谷川嘉浩;『信仰と創造力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』,勁草書房,2021年

引用文献

1)谷川嘉浩;『信仰と創造力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』,勁草書房,2021年,P24,L 17−19

おすすめ文献リスト

本格的に学びたい人用にオススメの文献を紹介しておきます。
W&Sは歴史だけでなく作業療法の哲学はもちろん、幅広く学べる点もおすすめ。
トレーシーが初の作業療法の教科書で引用したのが、デューイの『学校と社会』で、デューイの実験学校の構想がわかるので、おすすめ。
また作業による教育に至るまでの論文等も含まれているのも、東大出版の『学校と社会』は訳もわかりやすくオススメ。Occupationは専心的活動となっています。
谷川先生の本ではアダムズとデューイの哲学の影響や関係を深めることができたので、オススメです。


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