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失われた20年・30年とはどういうことか、自己肯定感をどう失ったのか

「失われた20年」という言葉がある。私は、すでに30年が失われたと思う。日本が失ったこの30年とは何か。今回のコロナウィルス騒ぎでかなりのことが明らかになった印象がある。実は、3.11の地震の際にも露呈していたのだが、当時の民主党政権や東京電力を悪者にすることでこの失われたものを気にせず日本社会が通り過ぎてしまったのだ。更に言えば高度成長期に蓄えた貯金のようなものを、今の日本は食いつぶしている状態で、その貯金もそろそろ底を付いてきた。

私たちの国、日本で、失われたものをひとつひとつ考えたい。

1.財政と資産

このコラムシリーズにもたびたび出てきているが、日本人はお金の教育を親から子へしっかりと継ぐことを忘れてしまっている。そのため、お金にできることとできないことを区別しておらず、お金や資産=幸福という勘違いが生まれた。そのために貧富の格差も増大し、若い世代、特に子育て世代にお金を回す一般的な資本主義社会から遠ざかってしまった。お金は社会を回り続けなければならないし、その循環スピードが速いほど、経済成長が促進される。日本の高度成長期には、世界の先進国へ追いつくという全国民的な勢いがあったため、この金回りは良かったが、先進国の仲間入りをした途端に目標を失い、守りに入り、お金の動きが鈍くなった。

2.行動力

資産や生活に対して守りに入っていったことで、法律やルール、決まりに頼るという楽な生き方を選び始める日本人が増加したように思う。その結果、批判力が増し、その批判を恐れるあまり行動を起こす人間が極端に減少してしまった。現在の社会に生きる若者・子供たちが自分の意見を持ち、行動に移すということが苦手なのはここに原因を見つけることができる。

3.思考力

本来、どんなに先進的な国になろうとも、成長を止めればすぐに周りの国にも追い抜かされるし(中国や台湾、韓国、インドネシアやフィリピンなどにすでに追い越された分野は多い)しっかりとした思考を巡らせて身の回りに起きていることを「なぜ」という観点で思考しない人口が増えることで、世代を超えて思考力が育たない環境になった。ジャーナリズムを失った現代日本メディアの言うことを鵜呑みにし、自分で調査・思考することを止めてしまったのだ。

4.進化

人間の社会というのは、世代を超えた進化に支えられてきた。都市の形成も国の形成も、産業革命も、過去生きてきた世代の人たちが時には命をかけて進化してきた結果が今であるのに、現代の日本人はあたかもこの社会や利便性がそのまま保てるかのような幻想を持ち、自分自身が歴史の中で身を置き進化の責任を持っていることを忘れた、または放棄した状態にある。これは先祖に対する先祖不幸であり、これから生まれてくる子供たちにとっての背信行為なのだ。

5.倫理観・哲学的発想

発展途上から先進国へ成長を遂げた世界の国々の中で、発展とともに「哲学」を若い世代や子どもに教えない国は、世界広しといえど日本だけであることに、未だ日本は気付いていない。その必要性はシンプルな説明が付くのだ。本来、物や機会が不足している中では、日本の高度成長期のように国民が一丸となって同じ目標に向かうので、哲学的な目標も分かりやすい。しかし、国が豊かになることで本来不足していた時に人が感じる「生きる意味」ということを考えなくなっていってしまうことは、人間工学的にも当たり前のことで、成長を遂げた社会が更に成長・成熟する過程で必要な感覚は、哲学的発想なのだ。まだ貧困にあえぐ国に対してどう自分たちの立場を考えるのか、本来生きていく中での豊かさとは何か、どんな基準を持って犯罪を考えるのか、など多くの人間社会の問題は哲学無しでは基準を失ってしまう。

6.ヒーロー感と危機対応能力

日本の歴史的ヒーローものは、多くが戦隊であったり軍隊であったり、水戸黄門のように役人であったりする。欧米のヒーローというのは、貧困にあえいだ個人であったり、アイアンマンのように大金持ちであったり、ふつうに社会の中にいる人間がヒーローになったりする。また、危機対応で言えばアメリカの映画には危機のシナリオが多い。The Day After Tomorrowのように、連邦政府が秘密に描いてきた氷河期対応のマニュアルがリークされて映画化されることなどは珍しくない。しかし、日本は危機が訪れたときの対処をシナリオ化し、さらにそこで個人に焦点をあててどう対処していくかを考えさせてくれるドラマや映画は珍しい。このように、個人レベルのヒーロー感や社会としての危機対応ということを考えない「平和ボケ」と揶揄される状況へ陥ったことで、東日本大震災やこのところの大型台風、温暖化やコロナウィルスの対応でアジア諸国よりも対応が遅れていくという状況に陥る。それは政治や行政の責任ではなく、国民一人一人が危機に無関心であること、生きていくことが難しいことを忘れてしまっていること、自分が誰かに対して助けになるというヒーロー感の欠片もなく、誰かがしてくれるという「当事者意識」の無さが露呈する形になった。

7.国際的信用

東日本大震災や台風の危機対応、オリンピックやコロナウィルスの状況を見ていて私の話をしている外国人のコメントは「日本ってそんな国だったっけ?」という一言である。日本は国際的な信用を失いつつある。日本製品の品質が最高潮だったのは高度成長期末期であり、そのころの日本人が培った国際的信用の貯金を今は食いつぶしているに他ならない。新たな信用を生むのは、いまの私たちの世代の行動にかかっている。

8.自己肯定感

ここに挙げたような失っていったものの結果、よく言われている「自己肯定感」を日本人は失っていった。これは行動からの結果であり、失ったものではない。

現在の日本を外の国の目から見ると非常に危機的に感じる。しかし、当事者の日本国民がその危機感を持たず、言われるがまま、渡されるがままの情報で動き、思考力を失ったことが本当に「失われた20年(30年)」で失ったものだということを理解したい。

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