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噓日記 4/30 本を読む

本は良い。
何者でもない私が何者かになれるから。
今日、私は朝から本を読んだ。
昨日、本屋で何も考えず無手の心で選んだ知らない作者の知らない作品。
目が覚めて、コーヒーを淹れて、文庫本を開く。
ゆっくりゆっくりとその知らない誰かを知っていく。
ストーリーは海沿いの街のサスペンス。
誰が犯人なのか、なんてことは無粋だから考えない。
それは作者が彼の筆致で教えてくれる。
それをただ眺めて、受け入れて、知っていく。
読書とは私にとってそれを知る時間なのだ。
昼になって昼食を摂る。
コンビニで適当に買った大きなコッペパンを齧りつつ、早くこの空腹という生理現象がおさまることを時計の長針を睨みながら思う。
急いで食べ終わり、もう一度本の世界に帰る。
ストーリーは中盤。
物語が転換し始める。
今まで疑われていたものがひっくり返っていく。
サスペンスの裏切りは心地よい。
探偵役はまた振り出しに戻るのだ。
ここいらでようやく彼に感情移入し始める。
だが、彼のように推理するわけでもなくただ受け入れるだけの私には彼の思いを想像することしかできないのだ。
作者の筆致は美しい。
表現から想起させられる海のブルーは太陽の光をキラキラと反射させ焼けるような眩しさを描きつつ、その反面、被害者が殺害されるシーンの暗いトーンは陰鬱な藍色のカラーを想起させる。
どうしようもないその対比に頭の中がクラクラと揺れる。
まるでタバコを一気に吸ったような。
そんな感覚に近い。
探偵役が文中で言う。
犯人はお前だ。
誰だ? 作中の人物のように、その答えを急ぎページを捲る。
早く教えてくれと心が叫ぶ。
探偵役が指を刺すのは意外な人物。
なるほど、こいつだったのか。
あとは、作中の人物に一人私が紛れたかのようにその答え合わせを傍観する。
あの時のトリックはこうで、あの時はこう。
そんな納得しきれないトリックの解法を当事者でない安心感から読み流しつつ、犯人を追い詰めていく姿をそっと眺める。
そして、犯人の悔恨が自白とともに始まる。
彼の犯行の理由、苦しみの理由、悲しみの理由。
その全てが文となって私に押し寄せる。
思わずグッと唾を飲み込む。
緊張感が流れる。
握った文庫本のページが薄ら湿るような、私自身の緊張も手汗になって現れる。
そして物語は終わる。
最後のシーン、皆が日常へ帰っていく。
まるで何もなかったかのような温度感で、死を忘れ去っていく。
そうだ、何もなかったのだ。
フィクションに溺れた私を裏表紙が日常へと押し戻す。
ただいま。

どりゃあ!