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噓日記 6/21 ツッコミとは腐すことではないだろうよ

今日もいつもの日課をこなす。
仕事を終えて家に帰り、動画配信サイトで海外のバズった動画、特にライフハック系の動画に対してツッコミをアテレコする動画に低評価を押して回るのだ。
投稿者である彼らには何のクリエイティビティも存在しないにもかかわらず、他人の努力を腐すような方法をとるその了見が気に食わない。
バズり元と同じ土俵に上がる術がないにも関わらず、何故か上から目線でアイデア自体に文句をつける醜悪さだけは当然のように持ち合わせ、いっちょ俺も相撲をとったろうかという態度が見て取れる彼らの動画は邪気を纏っている。
まず、ツッコミというものに対して彼らは真摯ではない。
勿論、元のバズった動画自体にもおかしなところがあることは否定しないし、正直二度手間だろうという無茶苦茶なフローが存在することも多分にある。
だが、そのツッコミ動画とやらを見てみたらどうだ。
二度手間を簡単に一言で無駄と言ってのけたり、ニチャニチャとドゥフつきながら偉そうな態度で投稿者を馬鹿にしたりと、もはや評論家気取りである。
そんな悪口は私の求めるツッコミではないのだ。
ライフハックが突っ込まれるために生まれたのでないのならば、そこは温かく見守るのがツッコむ側の筋ってものじゃないだろうか。
それを一種、晒し者にするが如く通らない声でポップノイズがバフバフうるさい小言を流し込むだけの動画に再編集し投稿して利益を得てやろうという彼らとバズり元の投稿者、どちらがツッコミどころのある人間かというのはもはや明確だろう。
私はただツッコむのならばこうしてツッコまれる覚悟を持って欲しいと言いたいのだ。
もし私がツッコミの名手で彼らのような邪悪なメンタリティを持っていたのならば、彼らの動画をさらに転載してツッコミの下手さにツッコむだろう。
勿論、持ちうる邪悪の全てを持ってして彼らを腐す。
そうされる覚悟が今現在あるのか。
自分が標的にされる覚悟を持っているのか。
必要なのは棲み分けなのだ。
ライフハック系の動画に必要なのはアイデアであり、ツッコミ系の動画に必要なのは愛である、ということだ。
アイデア、愛である?
上手くね?
chu、知的ボケごめん。
そういうこと。
ツッコミ系の動画投稿者には石を投げてもいいし、乗ってる車の給油口におしっこを入れてもいい。
ツッコむならツッコまれる覚悟を持て!
AV男優のマッスル澤野のように。
彼はツッコむし、何なら男性向けの作品だとツッコまれている。
動画投稿者よ。
私が言いたいことがわかるか?
マッスル澤野たれ。

どりゃあ!