『鬼丸大冒険~イナゴ妖精を追え!~』

誰もがそこへ行かないから、我々がいく。
誰もしないから、我々がする。

中村 哲

《SIDE:オスコール》

「金がなくても食ってゆけるが、雪がなくては生きられない」

 バーチャルインドからペルシャ方面へと向かうルートにあってその険しい地形、気候から『インド人殺し』の名で呼ばれるヒンズークッシュ山脈は、インドの侵攻を防ぐ防壁であると同時に、アフガンに生きる人々にとって命にも等しい雪解け水をもたらす恵みそのものでもあった――ただしそれは随分と昔の話。長引く干ばつに地球温暖化等々による水不足はただでさえデリケートな水事情に拍車をかけ、干上がった大地に生る植物などあるはずもなく、砂漠化と食糧不足は未だ混沌の只中になるアフガニスタンを現在進行形で地獄の底へと叩き落としている。某ウィルスに北の戦争と大忙しなニュースクリップにはすっかり取り上げられなくなった『○○国の悲惨な現状』の一つである。

 飢餓、差別、宗教絡みのテロ、血と爆発と恐怖とが混濁し、明日の命すら危うい国民の生活に情け容赦なく死が襲う。誰も彼もが嘘に踊らされ、国の外からやってきた者共もまた人々に寄り添うことなく、弾丸をばら撒く。それが今の、バーチャルアフガニスタンの現状だ。

「安全など何処にもないし、作ることも出来ない。それでも我々に出来る限りの支援は約束する」

 とは現地で復興支援活動を続けるNGOの言葉だ。拙い日本語でそう宣誓してくれた青年にしかし、わたしは首を振る。

「わたし達はこの国をより良くするためにやってきたわけじゃあない。極めて個人的な用事にたまたま、お国の思惑が絡んだだけ。あなた方のような人を喪うわけにはいかないよ」

 安全地帯を謳う『グリーンゾーン』の一画に――安全とは名ばかりの、どこからともなく銃声鳴り響く家屋の一室にわたし達は集まっていた。近くに大使館もあるのだが今はもぬけの殻、しばらく貸し切ったって誰も咎めやしない。

 先のNGOの他に、今回の事件解決にあたって警護要員の民兵が一人。今アフガンの実権を握っている某宗教組織の一派だが、今回の招集に応じてくれたのは穏健派、たったの一人ではあるが武力ではなく政治によって国家の安寧を望む派閥からの助勢だ。話が通じるだけありがたい。

 それにわたし側から、もう一人。

「紹介しよう、今回の『イナゴ妖精』討伐に同行する……」

 ざっと一歩躍り出た『彼女』はしかし、チノパンに男物のジャケットを羽織り、その巨きな赤腕を力強くぐっと握ってみせた。折れた角を覆うアンテナは禍々しさを備え、男勝りの威圧感を醸していた。

鬼丸おにまるいまり。わたしの『息子』だ」


「ぱっぱ解決を任せるって言ったじゃん!イナゴ妖精イナゴ妖精!」
「だからそれは前の『計画』でそうするつもりだったのであって、もう愛娘を危険にさらす必要は無くなったの!アフガン!アブナイ!オーケー?」

 ノゥ!と鬼丸ちゃんは首を左右に振る。そして館の貴賓室に大の字で寝転がり、駄々をこねるの基本とも言える手足バタバタを繰り広げる。こんなに聞き分けのない子だったか。いやわたしは本当の親ではないから何とも言えんが、ともかく今回ばかりは意地を張り過ぎている。

「結局、人柱って何だったの」

 じたばたが落ち着いた頃合いで、彼女は問い掛ける。

「小説は全部読んだか?」
「遺書まで」
「なら話は早い。わたしはこの世界を滅ぼすつもりでいた。全VTuber抹殺計画、しかし一方的な蹂躙では必ず反抗する者が現れる。人々の身も心も負かすにはバーチャル世界の側から『絶対的強者』を選出し、その代表を完膚なきまでに叩きのめさねばならない。そうしてヒーローを失えば、後は脆い」
「鬼丸のことも、そうするつもりだった」

 わたしは気まずさから席を立ち、窓の外を見やる。その心持ちとは裏腹に、晴れ晴れとした青空が広がっている。

「例外はない、だから辛かった。本当の娘のような愛情さえ抱いている、そんな子を危険な目に遭わせ、それを試練と宣い、最後には自らの手で世界ごと抹消しようとした自分はとんでもない悪者だ。今は、もうそんなことしたくない」
「でも、そんな悠長なこと言ってられる相手じゃないのよね」

 いつ入ってきた、と部屋の隅に立つ女を怒鳴る。彼女はわたしの言葉を無視し、鬼丸ちゃんに握手を求める。

「イェネル・ディットマン。名前くらいは聞いてるかしら、彼の死に友達よ。よろしくね」
「余計なことを喋る前に出ていけ」
「なら余計なことを喋って出ていかない。いいかしら、いまりん。はっきり言って今のコー君じゃ『イナゴ妖精』には太刀打ちできない。ノリと勢いでからくり人形を破棄しちゃったものだから戦闘力ガタ落ち、最初で最後にして最強の人形もあったんだけど、もうほとんど使い物にならない。猫の手も借りたい、もとい鬼に金棒持たせてその手も借りたいって具合」

 じゃあ、と爛々と目を輝かせる鬼丸ちゃんに、してやったりといった表情のイェネル。これだから女性は侮れないんだ。

 そんな顔しないの、とはイェネル。少しは彼女の、鬼丸ちゃんの気持ちも汲んでやれと続ける。

「三日で蘇生したから軽いストーリー程度で済んだものの、あなた、一年二年と蘇らなかったらその間ずっとこの子を放置していたのよ。ぱっぱなんて呼ばせておいて、親らしいことの一つもせずに。そういうのを何ていうか知ってる?」
「――無責任」
「いまりんだけじゃない。あなたのだぁぁぁぁい好きな推しもリスナーも皆、ろくすっぱ事情も把握しないまま宙ぶらりんにされるところだった。今だから言わせてもらうけど、あれ本当最低の選択肢だと思う。恥知らずも良いとこよ」
「イェ姉ちゃん、その辺で」
「イェ姉ちゃん!?良い呼び方ね、嫌いじゃないわ!いまりんに免じて特別に許すけど、分かったらさっさとこの子の力を素直に借りなさい。今度『独りにしてくれ』とか言ったらぶち殺すわよ」

 あまりにひどい言われようだが全部図星だ。すっかり気抜けしたわたしは言われるがまま鬼丸ちゃんのアフガニスタン同伴を決定する。

 ただし条件付きだ。『絶対にわたしから離れないこと』、『指示を無視し単独行動を取らないこと』、『万が一の場合は自分の命を優先し、一つ目の約束を破棄して全力で逃げること』。発信機を付けておけば仮に現地で迷っても後でイェネルと合流できる。斥候を兼ねた彼女とは別行動だ。そしてもう一つ、アフガン入りを一か月遅らせること。

「一か月で仕上げたいものがある」
「からくり人形?」
「そんな短期間で作れるのは混式キメラみたいな不完全品だろう。それより――今まで試してこなかった技術がある。ただしこれを使えば」

 わたしはまた、自分の命を賭けることになるかもしれない。今度こそ、絶対的な死が待ち構えているかもしれないのだ。


 ヘリでかの地へ降り立った我々はまず、その惨状に絶句した。

 争いの絶えないホットスポットではほんの数日で地図が丸ごと書き換わるなんて珍しくもない。実際、藁と泥でできた貧相な家屋は軒並み潰れ、少し離れた空き地にある避難所の薄っぺらいテントに、地元住民がぎゅう詰めになっている。一か月の先延ばしを提案すると同時にアフガンを襲った地震のせいだ。住居、食料共に支援は間に合っておらず、一刻も早く寒さを凌ぐ手立てを間に合わせなければならない状況とある。

 街に出ればあちこちに銃を身につけた戦闘員が闊歩している。わたしと鬼丸ちゃんもその仲間と行動を共にしているからして何も咎められないが、時折彼女の顔を覗き込んでは奇異な目を向ける者がいる。

「女か?」

 明らかな侮蔑を込め、一人の男が歩み寄る。とっさにわたしと警護兵が立ち塞がり、

「わたしの息子だ。正真正銘男だよ」
「下がれ、『妖精』の事件を解決してくれる人達だ。身元は俺が保証する」

 男はそれ以上何も言わず、しぶしぶ引き下がった。ただ、目的地を目指している内にそんなやり取りが五回は続いた。

「いっそ顔を隠せば女性だって言ってもいいんじゃ」

 鬼丸ちゃんの耳打ちに、わたしもひそひそ声で返す。

「顔を隠すとか教育がどうとか、全部こじつけだ。理由もなく逮捕されるのは目に見えてる。『女性』という共通の弱者が必要なんだよ、ここではね。男と言わねば自由はない。ペンと声では戦えないんだ」
「そんな――」

 戸惑いを隠せない彼女に、わたしもやはり連れてくるべきではなかったと後悔する。すると警護兵の一人が近くの橋を指さした。ぬかるんだ地に流れるのは川ではなく汚水と腐った何か、それに横になったまま動かない人々。橋下は薄暗くてよく見えないが、少なく見積もっても数千という人達が固まり、虚ろな瞳のまま何かを吸い込んでいる。

「大麻か」
「ああ、食事より回数が多い。貧困とヤクはいつだってワンセットだ」
「あんたらはどうにかしてやらないのか?」
「国際支援団体、なんて口だけの連中がいた頃は我々のような穏健派も多少は手助けをしてやれた。無能者でもいてくれるだけで大義名分が立つし、面目上は住民を助けても問題なかった。だが今は何もしてやれない。彼らの貧しさに巻き込まれてはより大きなスケールでの援助は出来ないんだ」
「嫌なことを訊いたな、悪い」
「中には貧しさのあまり娘を売る親もいる、あるいは臓器を」

 警護兵はわたしを、次いで鬼丸ちゃんを見やり、

「子は大事にすることだ。お前さんには売る臓器もなさそうだし」


《SIDE:鬼丸いまり》

 人外への偏見が無いのは唯一の救い、でもそこで重要なのはやっぱり『男か女か』だ。

 街を離れ、坂へ山へとひたすらに昇っていく。道中、ちらほらと民家を見かけるが人の住んでいる気配はない。恐い戦闘員の姿すら見なくなって、乾いた土と日差しだけが鬼丸達の旅に同行する。

 切り立った斜面を登り終え、ぜいぜいと喘ぐ。給水を兼ねて警護兵さんに少し休憩を取るようぱっぱが頼んでくれた。ヘリを降りてからは街を突っ切って山を登り、ここまで徒歩で来た。疲労は無理もない。現地の高低差に慣れているという警護兵さんですら、顔つきに少し険しさが増している。しかし聞けばそれは過酷な環境のせいではないという。

「人がいないね」

 こんな雑草も生えない土地にあっても集落はもっと点在していたと警護兵さんは言う。だが一夜にして住民は消えた、それも次々と。

「我々には信仰心がある。それに伴う概念も――『妖精』はお前さん達の国にもいるのか?」

 地獄暮らしで詳しくない鬼丸に代わり、ぱっぱが答える。

「あまり見かけないがいるにはいる。良い奴から悪い奴まで」
「この国に住まう妖精は、どうやら悪い奴だったらしい」

 警護兵が投げてよこした写真には、見るもおぞましいものが映っていた。

 妖精といえば一番に思い浮かぶのは『ピーターパン』のティンカーベルだ。ちっちゃい女の子の姿で、可愛いお洋服に羽の生えた――でもそこに映り込んでいたのは、歯を剥き出しにして、茶色い肌の爛れ切った老婆のような生き物だった。羽は折りたたまれ、何か赤いものを噛みちぎっている様が見て取れた。

「ヤマネコだ。戦争続きで野生の動物もすっかり貴重になったこの時世、妖精がヤマネコの死骸を喰らっていた。ありえるか?」

 気持ち悪さに若干の吐き気を催す鬼丸に対し、ぱっぱは淡々と写真を見分する。

「相変異。イナゴの大群がその形態を変化させ、群れを成して作物を根こそぎ食い荒らす現象を『飛蝗』という。アフガンの歴史を調べた――今向かっている土地、わたし達の言語で言えば『壮大な崖』『バディアクリフ』にはかつて妖精が住み着いていた痕跡がある。それもとびきり良い奴が。豊かな自然と意思疎通が可能な生物がいて初めて、妖精にとって住み心地の良い場所となる。ヤマネコの件しかり、とっくに住処を移したと思っていたがそうではなかった」

 鬼丸達は山の上から地上を見下ろす。急な崖の下に映る、歴史的建造物さながらの廃墟群。そこがバディアクリフと呼ばれる、今回の旅の目的地だ。


 旅立つ直前、イェ姉ちゃん(場を収めるためにとっさに思いついた呼び名だが、大層気に入ってくれたようだ)と少し話をした。

 ぱっぱの学生時代の友人で、とある理由から殺し合い、屍人となった女性。真の正体はラムトンのワームと呼ばれる竜。強面をイメージしていたが、予想に反して気さくな大人の女性って感じだ。髪は淡い琥珀色のポニーテール、黒縁メガネの奥に覗く深緑色の眼。作務衣でくつろぐ姿は親戚のお姉さんといった具合だ。

 コメダ珈琲には珍しく客入りが少ない。だから各々好きな飲み物を啜りつつ、多少過激な話も出来た。

「八月ニ十四日に『完全復活!』なんてほざいてたけど。まだ引きずってるのよ、あの人」
「――復讐だったんだよね、このバーチャル世界に対する」
「あなたはコー君のことを気に入ってくれてるし、彼もあなたを大切に想っている。だからバラすけど、彼が凶行に走った動機は実はもう二つある。一つは、同じくらい信頼していた人を信頼できなくなってしまった。あの頃の彼はなんていうか、病んでたから、相手の心情を疑って、相手もそれを不審に思って、の悪循環。喧嘩になるのかしらね、こういう場合」

 イェ姉ちゃんは豪快にエビカツパンへとかぶりつく。歯を剥き出しにしたその一瞬だけ確かに、竜っぽさを垣間見た気がした。

「お互い疲れてた、というか『運が悪かった』ってことで一旦距離を置くことにした。実際そうすることで彼の気持ちも安定してきたし、正解だったんでしょう」
「もう一つは?」
「生前の彼に関わること」

 僅か二口でカツパンを飲み込みと、彼女はふぅと一つため息をついた。


 彼が元教師だったことは知ってるかしら。それも一カ所に留まらない、教師の足りてない地域や学校に行きたくても行けない重病の子供達に出張で勉強を教えに行く、ちょっと変わった先生だった。

 その教え子の一人が――少しだけあなたに似てた。人間不信で、でも一本芯が通ってて、絶対に助からないと言われる奇病にかかっていたなんて思えないくらい気丈な子。そういう子に対し、彼が過剰に入れ込むのはもう目に見えているわよね。そしてそれで失敗する未来も、想像に難くない。

 その子を助けようとして、コー君は色んなことを仕出かした。私との衝突もそこに端を発しているといって過言じゃない。でも、最後は世界に裏切られ、殺された。それからね、彼がこのバーチャルに違和感を抱くようになったのは。

 彼が『計画』を放棄した、っていうのは単に最初の推しがいなくなった哀しみを受け入れただけじゃない。信頼を疑った自分を戒め、更には自分が死んだ理由すらも飲み込む。だから彼は引きずり続けている、一口で咀嚼するには因縁が大きすぎるから。

 彼には今、精神的に頼れる人がいない。だから、今回だけでいい――助けになってあげて。


 屋根は崩れ、むき出しになった内装は風化し、人の住処というよりは古代遺跡めいている。どこにも命の息吹を感じない。ここはとても地獄に似通っている。

 バディアクリフに降り立った鬼丸達は三人が背中を預けるように円の陣形を取り、じりじりと周囲を散策する。ここに件の『イナゴ妖精』がいるのは間違いない。イェ姉ちゃんが先んじて偵察に出た際には、百にも達するイナゴ妖精が確認されたとの報告があった。そして住民が消えた。

 バディアクリフは『最新』の被災地に過ぎない。ここに来るまでに生き物らしい生き物に出会わなかったのは、全てイナゴ妖精の餌食になったからだと予測できる、つまり――。

 この妖精は、人をも食べる。

「本来温厚で、人間には特に友好的な妖精が何故そのような行為を繰り返すのか。その真意を調べるのが第一目標ではあるが、捕獲等が難しいのであれば殲滅して構わない。それが国からの要請だ」

 警護兵さんは備えていたAKを持ち直し、いつでも発砲できるよう操作する。ぱっぱは両手を前に突き出し、手のグローブに仕込んだ鋼線をいつでも射出する構えだ。鬼丸もぐっと拳を握り、じりじりと迫る緊張感に気が張り詰める。

「このまま放っておけば、被害はアフガニスタン全土に拡大するだろう。宗教もへったくれもない、この国全体に肉食妖精が溢れるぞ!」

 突如としてぶぉん、と風を切る音。そして小さな笑い声。くすり、くすりとその声は数を増し、邪悪さを増し、三人を包み込むように嘲笑があちらこちらから飛び交う。

 そして、『彼ら』は一斉に飛び出した。

「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!」

 汚らしい笑みとその茶色く変色した肌、普通の人間の手のひらほどの妖精はしかし涎を垂らしながら一斉に壁や土の中から顔を出し、襲い掛かってくる。百――冗談じゃない、それ以上だ。

「捕獲は諦めろ!殲滅だ!」

 警護兵さんが弾幕を張り、次々と妖精を打ち落とす。貫かれた妖精は銃弾の勢いで渦を巻いて弾け、かろうじて命を取り留めた者はそれでも地面を這いながら笑うのをやめない。

 ぱっぱの十指がグローブから射出され、指に繋がったワイヤーが縦横無尽に妖精を絡めとり、八つ裂きにする。その包囲網から逃れた何匹かを鬼丸が殴りつけ、木っ端微塵に粉砕する。

 最初は拮抗していたが、徐々に物量の脅威が襲い来る。今や視界は妖精だらけ、二百や三百なんてくだらない、千を超えるであろう彼らは隙をついて腕や足に食いつき、肉を食い千切る。ぱっぱのマントは既に虫食い状態、警護兵さんも大きな外傷はないが服のあちこちに血がにじんでいる。その異形を考慮してか腕には噛みついてこないが、鬼丸も足をやられている。特に肌色の右足を重点的に、人間の肉を好んで喰らうかの如く迫りくる。

 警護兵さんがガチリと奥歯を噛む。

「今応援を呼んだ!お前さんとこの人外もパラシュートで駆けつける!」
「レディは自由降下でもしないと好きな場所にいけない!つくづく酷いな!」
「その酷い国を護るために闘ってるんだよね、鬼丸達!」

 皮肉でも言ってないと気力が持たない。救援が来るまで持つかとても不安だ――と、その時。

「あぎゃっ」

 悲鳴をあげ、警護兵さんが倒れた。AKを手放すと必死に目を両手で叩く。その腕にもたちまち妖精は群がり、

「――――!」

 背筋がぞくぞくと震える。警護兵さんの両目は既に無く、零れた乳白色の液体を啜りながら二匹の妖精が顔を出した。両腕も骨ごと咀嚼され、瞬く間に彼の全身は未だ何百と控える妖精に包まれた。

 次に妖精達が飛散した時、そこには何も無かった。遺骨も、衣服の一片さえも。

 全てを食い去ったのだ。


《SIDE:オスコール》

 イェネルの言った通り、どころの騒ぎではない。このままでは鬼丸ちゃん諸共イナゴ妖精に食われてお陀仏、骨も残らない事態は今まで初めてだ。

 ――闘ってみて分かった。この妖精達は悪意に塗れている。本来悪意は妖精の最も苦手とするところ、だから彼らはより良い立地を求めて、平和な場を求めて放浪する。しかし国土全体が災禍に見舞われる現在、妖精達は逃げ場もなく人間の憎悪にあてられた。そして、悪意を持って悪意を駆逐する獣と化した。真っ先に警護兵が狙われたのはAKという近代兵器を所持していたからだろう。兵器とは殺戮ただそれだけを目的とした機械だ。悪意の塊だ。

 嗚呼、なんという皮肉。彼らが今していることは、かつてわたしがやろうとした『計画』そのものじゃないか。哀しみを生み出す元凶を残さず腹に収め、このバーチャル世界から何もかもを消し去る。

 わたしは、こんなことをしようとしていたのか。

「いまり!逃げろ!!」

 わたしは怒鳴り、鋼線で妖精らを一直線に切断し道を開ける。僅かにぽっかり穿たれた空間、そこを走り抜ければこの場から逃げ出せる。わたしのことはどうでもいい、もう少しでイェネルも来る。まずはこの子を逃がさなければ――!

 わたしにとって推しとは、希望だった。『絶対的強者』と例えたが、それは肉体的な強さという意味ではない。皆殺ししか思い浮かばないわたしやイナゴ妖精のような異常者ではない、正しくこの世界を導ける存在。この子もまた、その一人だ。

 何が自死だ馬鹿骨野郎。何がそれぞれの道だクソ骨野郎。

 大事な人くらい、死んでも守らなきゃ死にきれない!

「じゃあ行こう」

 ――鬼丸ちゃんは何気なくわたしの頭蓋骨と本体を手でわしっと掴み、そのまま走り出した。

「ば、馬鹿!二人共逃げたら追ってくるだろう!!」

 案の定、せっかくイナゴ妖精の群衆から抜け出せたのに次の瞬間にはこちら目掛けて飛び掛かってくる。ぎりぎり追いつくか追いつかないかのスピードで飛ばしているが、いずれ彼女の体力が持たなくなる。

「何?条件は全部守ってるよ。『絶対にぱっぱから離れず』、『指示を無視せずしっかり逃げて』、『自分の命を優先してる』」
「してねーよ!」
「自分を大事にすることと、他人を大事にすることは両立しないの?」

 言われてわたしは言葉に詰まる。

 いつもそうだ、いつもわたしは間違ったことばかり言って、相対する者達が貫くに足る真実を口にする。だから、惹かれるんだ。

「警護兵さん、守れなかった」
「嗚呼、わたしのせいだ」
「責任感じてる?」
「無責任でいたくない」
「鬼丸も」
「一か月かけて編み出した技術、試してみるか」
「この状況、失敗すれば二人共死んじゃうよね」
「今は生きるために、わたし達の命を賭けよう」

 鬼丸ちゃんの大きな腕が、むんずとわたしの本体を掴む。頭蓋骨を離れ、マゼンタ色の球体となったわたしは意識を限りなく薄める。ぼうっと、眠るみたいに。そうして色素が僅かに薄れたその瞬間。

「『憑融合コンタクト』」

 球体を彼女自身の左目に押し当てた。


《SIDE:鬼丸いまり》

 体から迸るマゼンタ色の雷が今にも噛みつかんとするイナゴ妖精の群を黒焦げにする。バチン、バチンと左目は激しい雷鳴を立てて同じくマゼンタに輝き、服は臙脂色へと染まる。どこからともなく生えたマントがマフラーのようになびき、巨大化した頭蓋骨がグローブよろしく右手へと覆いかぶさる。

 知恵もなく貪り食らうしか能が無い蟲と見えたが、流石に動揺しているのか、飛行したまま近づいてこない。

「悪いがこの形態は1分と持たない。こちらから行かせてもらう」

 ぶん、と右手を振り下ろす。ますます巨大化した頭蓋骨は大地を下顎と見立て、その大半を叩き潰してしまった。残された妖精は渦を巻き、こちらも負けるものかと一つの球体になって突進する。地面を抉り食らい、触れるものを全て消失させる群球を前に、鬼丸わたしは冷静に状況を見る。

「一塊になってくれたのは都合が良い。この一撃で決められる」

 右手を腰に、力を溜める。ギリギリまで妖精を引きつけ――激しい雷と共に最大級の突きをお見舞いする。頭蓋は白炎を纏い、零れる雷と合わせてイナゴ妖精を完全に焼き払った。

 ――遺跡の次は消し炭と化したバディアクリフに、パラシュートが飛来する。と同時に体が激しく痙攣する。鬼丸とぱっぱ本体が分離され、丸い球体はそのままふよふよと浮遊し、元のサイズに戻った頭蓋骨へと吸い込まれた。

「あー、死ぬかと思った」
「意識はほとんど鬼丸が持っていってたね」
「ただ知識と言葉遣いはわたし側で、それと二人の命そのものをエネルギーにしてた感じ。何にせよ、上手くいってよかった。生身に憑りついたのは初めてだ」

 パラシュートの主、イェ姉ちゃんは駆けつけるなりにこりと微笑んだ。

「片はついたみたいね」
「犠牲はあった」
「収穫もある」

 彼女の手をよく見ると、一匹のイナゴ妖精が握られていた。必死に抵抗し、イェ姉ちゃんの手の肉に噛みつくが食べても食べても即再生する。これ以上の抵抗は出来ないだろう。

 かくして、警護兵さんを犠牲にイナゴ妖精一匹を捕獲。他全ての個体を消滅させこの事件は幕を閉じた。


「『いなごようせい』はようせいがようせいでなくなったもの、ではないにぇ。たしかにあふがにすたんにはやさしいようせいさんがいたきろくはのこっているけれど、それらはもうずっとむかしにしめつしたか、おひっこししたのがただしいんだ。『いなごようせい』はようせいとはなばかりのまったくべつのこたい、しんしゅのいきものだということがわかりました!」

 はかせ、もとい和邇わにのこちゃんの研究によるとそういうことらしい。ぱっぱの『悪意から生まれた』という推理は間違っていないが、それは妖精が変異したものではなく、新たにこの世界に出現した存在というのが正しい見解だ。

 イナゴのように群衆で万物を喰らい、妖精のように舞い、しかしそのどちらでもない異物。それが『イナゴ妖精』の正体だった。

 より詳しい生態はこれから明らかになっていくだろうとはかせは言ったが、最後に不穏なことも言い残していた。

「たしかにいまのあふがんはものすごいにんげんさんのふのかんじょうのすぱいらるだけど、なんであふがんだけだったんだろ?」

 あくいはどこにだってあるものなのに――もしかすると。

「待たせたな」

 ぱっぱと合流し、鬼丸達は地上のラーメン屋に向かう。豚骨ラーメンといえばここが間違いありません、と某ルシアーからオススメしてもらった一店だ。

「鬼丸ちゃんには頑張ってもらったからな。何杯でも頼んでくれ」
「ラーメン餃子にチャーハン!」
「メンマは?」
「要らない!」

 やっと戻ってこれた平穏。これが鬼丸の住む世界。でも外の世界にはああいう悲しみがまだまだたくさん残されていることを、鬼丸達は知らなくちゃいけない。いや、きっと鬼丸の身近にだって同じくらいつらいことがあるんだ。それを、忘れてはいけない。

「――え」

 人混みを進む中、ぱっぱや他の人達は気づかなかったけれど。

 ぶぉん、と風を切る音がした。

 ――悪意は、どこにでもある。

 悪意があれば、それは、どこからでも生まれてくるんだ。

「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!」

《了》


備考:我が愛娘、鬼丸ちゃんに捧げます。お誕生日、本当におめでとうございます!

(作:オスコール_20221102)

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