【so.】栗原 信子[昼休み]
たまき、やったねって、少しだけ痛快な気持ちがした。凍りついているこの空間を見せてあげたいなと思った。
「みんな安心して、これは人体模型です」
委員長が検死報告みたいに言って、誰かの自殺じゃないって分かると、途端にみんなの緊張が和らいだような感じがした。
「悪趣味ですよね」
荘司さんが呟いた。
「人体模型が?」
たまきの計画に乗ったわたしまで批判されたような気がして、ちょっとカチンときた。
「い、いえ、その、落下せしめたことなど…」
「戻ろう」
促すというよりは自分に言い聞かせるようにして、わたしは歩き出した。校舎へ入ると、廊下の向こうから三条先生が走ってきて大きな声で言った。
「埋田! 栗原! 教室に戻ってろ!」
そして中庭へ飛び出していった。わたしは、少し先に立っていた埋田さんと目が合った。
「始まったね」
もうこの場にいないたまきを除けば、真相を知っているのはわたしと埋田さんだけ。
「ね」
「行こう」
自然に埋田さんの横へ並んで、わたし達は歩き出した。
「ねえ、埋田さん」
「サエでいいよ」
さらっと言われると、対人スキルの低いわたしは戸惑ってしまう。
「…サエ…さん?」
「それでいいや。わたしはなんて呼ぼうか」
「えっ! 栗原でいいよ」
「良くないよ」
「じゃあ、栗原さん、で」
思い返してみても、わたしは名字の呼び捨てか、名字に「さん」を付けた呼び方でしか呼ばれたことがなかった。
「友だちじゃないみたい。下の名前は何ていうの?」
「のっ、信子…」
「ノブちゃんでいい?」
「うっ、うん…」
こそばゆい。わたしはとにかく何か口にして別の話題に変えないと、心臓のバクバクが抑えきれないだろうと思った。
「サエさん、今日はこれから、どうなっちゃうんだろう」
「そうねー、たまきの悪巧みに、乗っかってあげるのがいいのかなあ」
「乗っかる?」
「簡単に言えば、たまきを庇ってあげるとか? わたしは3時間目サボって保健室行ってたとか…これは本当だけどね。だから、その時ノブちゃんも保健室にいたことにすればいい」
「そんな」
保健の先生に聞いたらすぐにバレてしまわないだろうか。ああ、でも既に川部さんと荘司さんには、体調不良で3時間目を休んだと思われていたんだった。
「たまきは2時間目が終わって帰っちゃった。そういうことにしとこう」
「留学のこととかは?」
「明日になったら三条がホームルームで言うかもね。それでも、誰かに聞かれなければ黙ってたらいいんじゃないかな」
「うん」
そうか。たまきは2時間目が終わって帰って、わたしと埋田さんは3時間目、たまたま同じく保健室で休んでいた、それを事実にするんだ。
「サエさん、あのね」
わたしは、屋上を去ってからずっと頭に引っかかっていたことを尋ねてみた。
「何?」
「たまきって、制服から名札、外したのかな?」
例え誰が実行したのかわからないようにしたとして、名札が付いていたら、誰の仕業かすぐに判明してしまうんじゃないか。それだけが心配だったんだ。
「外してると思うけど…どうだろ…あえて残しちゃってるかもしれないね」
「そしたら、犯人だって、分かるよね…」
「その時は、その時。わたしも一緒にやったことにするよ」
「私も」
「じゃあ、一緒にたまき追いかけてミラノ行っちゃおうっか!」
ははは。怖いけど、この人達と一緒なら、それも楽しいかも、なんて少しだけうきうきした。
教室に戻って自分の席に座ったけれど、少ししたら校内放送が入って、体育館へ集まらなければいけなくなった。廊下を歩きながら、たまきはさすがにもう学校を出ているだろうと思った。明日学校を休んで、見送りに行けないかなとぼんやりと考えていた。
「それが力になれることであれば、協力してあげてください」
校長先生の長い長い話を、冷え切った体育館の床の上に体育座りで座って聞いている。全校生徒に先生も集めての集会だから、やっぱり大ごとだったんだ。
「もう二度と、二度と、本件のような悲しい出来事を起こしてはなりません」
空虚だなと思った。いくら心を尽くして語っても、当事者だった郷さんも、たまきも、この場にはいないんだから。そんなことを感じていたから、校長先生のお話は何一つ頭に入ってこなかった。
「山浦でしょ? 犯人」
「マジで?」
「いないじゃん、アイツ」
体育館を出て教室に向け歩いていると、後ろの方でそんな会話が聞こえた。憶測で犯人扱いされてしまうなんて、と、たまきの人望の無さが可哀想になったけれど、その憶測は合っているから何も言えず、振り向くことができない。
「ホントに死ねば良かったのにねー」
今度はさすがに振り向いた。口走ったのは、クラスの女王、田口さんのようだった。私の横をすっと埋田さんが通っていき、大声を上げた。
「アンタが死ねば良かったよ」
そして田口さんの頬をパーンと音を立ててはたいた。埋田さんはまるでゴミ箱に空き缶を入れに行っただけって感じで、踵を返してすたすた歩いていった。わたしは心のなかで喝采を送っていた。クラシックコンサートの最後のような、鳴り止まない洪水のような拍手を、わたしは埋田さんの背中に送り続けていた。
次の時間
前の時間
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?