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【so.】栗原 信子[3時間目]

「どうして手伝ってくれる気になったの?」

 たまきが小声で尋ねた。生物準備室に隠れているわたしとたまきは、チャイムが鳴ってもしばらくはじっとしていようと決めていた。

「今日、何かあげられそうな物がなかったから」

「はは、ありがとう」

「騒ぎになるよね」

「間違いなくね!」

 そしてふたりでニヤっとした。

「あ、そういえば栗原さ、月山さんのFILOのアカウント知ってたら教えてくれない?」

「知ってるけど、なんで?」

「なんかね、美術部を見学したいんだって」

 へえ、意外。もうすぐ高3に上がるっていうのに、不思議なことを言うんだな。同じ部活ではあるけれど、月山さんは岡崎さんよりしっかりしている人、程度のことしか知らなかった。

「案内するの?」

「残り時間的に無理っしょ。とりあえず先生にメッセージ投げとく」

「わかった」

 たまきに月山さんのアカウントを教えた後、わたしはそっと立ち上がった。生物室にも廊下にも人の気配がないのを確認すると、たまきも棚の陰から出てきた。たまきは腰に手を当てながら人体模型の前で立ち止まり、その姿を下から上までまじまじと見つめている。

「気持ち悪いね」

「夕方くらいからなんとなく怖いよ」

 わたしは準備室の隅っこに積み上げられていた、白いカーテンを引っ張りだした。薄くほこりを被っているけれど、変色したりとか穴が空いたりとかいったダメージは無い。たぶん予備に買ってある物なんだと思う。

「お、いいね、それ使おう」

 ふたりでカーテンを床に広げて、その上に人体模型を寝かせると、落ちないようにしっかりと包んだ。

「持てる?」

「そこそこ重いけど、持てないほどじゃない」

 たまきが前でわたしが後ろになって、カーテンで包んだ人体模型を前後から持ち上げた。

「よし、行こう」

 廊下へ出てからは心臓がバクバクした。見回りの先生に見つかったらお終いだから、そうならないように祈っていた。同じクラスの人たちは体育でグラウンドにいるんだろうし、同級生に見つかる心配はまずないと思った。

「この人体模型の顔さあ、平安っぽい。マロって感じだね」

 たまきはたまに突飛なことを言う。わたしもたまきもふうふう言いながら、マロを抱えて階段を上っていく。幸運なことに誰にも会わずに階段を上りきった。屋上へ続くドアには鍵が掛かっているけれど、側にある配電盤の中に隠してある事は、一部の生徒の間では知れ渡っている事だった。

「良かった、誰もいない」

 たまきが鍵を開けて、開いたドアから1月の寒風が雪崩れ込んできた。

「さっみー」

 外へ出てドアを閉めて、屋上の先の方へ、マロを抱えてなおも歩いていたら、ドアの開く音がした。きちんとドアを閉めていなくて、風で開いてしまったのかなと思って振り返ると、ドアを開けたまま誰かが立っていた。けれど背筋の凍る思いがしたのは一瞬だった。そこに驚いた顔で立っていたのは、埋田さんだった。

「サエ! よかった~サエで」

 たまきが嬉しそうに声を上げた。埋田さんが近づいてきたから、抱えていたマロをゆっくり下に置いた。埋田さんはちらっとそれを見て、計画を察したようだった。

「4時間目にやるの?」

「ん、その後。昼休みに入った所でって思ってる」

 鋭い質問に、たまきはあっさりと答えた。

「そっか。じゃ、それでお別れだね」

 埋田さんにそう言われて、たまきは曖昧な顔をして言った。

「さっき思いついたからね…。でも、いまサエに会えて良かったよ」

「わたしも」

 たまきと埋田さんは手を握って、いまお別れの挨拶を始めたみたいだった。ふたりの間に入っていけないわたしは、少しいたたまれない気持ちになった。

「サエ、4時間目はちゃんと出てね? 栗原も」

 突然たまきが私に向き直ったから、黙って頷いた。たまきはひとりで実行するつもりなんだ。

「騒ぎになるよね?」

 さっきわたしが聞いた質問を、埋田さんも繰り返した。

「なるね!」

 たまきは笑った。屋上は風が強くって、耳元でピュウピュウ音がした。そのまま、埋田さんとたまきはしばらく話し続けていた。ふたりの話はよく分からない話もあって、わたしはただただ寒いなあと思っていた。遠く海のほうで汽笛が鳴った。

「もうすぐ3時間目が終わるから、戻ったほうがいいよ」

 たまきが腕時計を見ながら言った。

「栗原さん、行こうか?」

 突然埋田さんに声をかけられたから、慌てて側に駆け寄った。

「サエ、いつでも連絡するからね!」

 たまきがスマホを振りながら言った。そうか、全く連絡がつかなくなるわけじゃないんだ。そう思うと、少しほっとした。遠く離れてしまっても、メッセージのやり取りは出来るんだ。

 先を歩く埋田さんが屋上のドアを開けて、わたしを先に行かせてくれた。先に行くのはそわそわするけど、隣に並ぶのもどきどきするし、そんなことを考えながら、わたしはしばらく埋田さんの前で階段を下っていた。

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