【so.】佐伯 則佳[1時間目]
ホームルームが終わって、隣の席の山浦さんが面談へ行った。私は先週に面談を受けたけど、三条先生が何を言いたいのかよく分からなかった。あんな調子でみんなに聞いて回って、どうしたいんだろうか。
「おはよう!」
逸見先生の大きな声にはいつもびっくりする。力強く黒板に書きだされたのは「檸檬」という2文字だった。
「新藤、これなんて読むか分かるか?」
「どう…もう?」
「お前の好きな食べ物系の言葉だ」
「パン!」
教室がどっと笑いに包まれた。
「レモンと読む。今回からはこの小説を取り上げることにする」
教科書をめくって目次を見て、檸檬のページを開いてみた。梶井基次郎――なんだかカッコ良さそうな人の名前だなと思った。
「じゃあまず誰かに読んでもらおう。今日は12日だから…12番の神保」
どきんとした。
「はい」
部長がすっと立ち上がって、喉に軽く触れた。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」
部長の声が教室に響き、遠くからでもその声はよく聞こえる。ついさっきまで話をしてたっていうのに、なんて素敵な声なんだろうと改めて思った。
そんな私の心も、えたいの知れない不吉な塊によっておさえつけられている。不吉? これは不吉なものじゃない。ただ、どうそれに向き合って良いのか、全然答えが見つからないんだ。
「何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている」
ううん、見すぼらしいものじゃない。でも、とても美しいもの。私は部長の読み上げる箇所に合わせて口を動かしてみた。読点で入れる間や、息継ぎにかける間にも合わせて呼吸をするようにしたら、時々ぴったりと部長の声と私の口の動きがシンクロする時があって、すごく嬉しくて、すごく恥ずかしかった。私、何やってるんだろう。部長が読むのをやめて、先生があれこれ解説をしながらチョークをぽきぽき折っていたけれど、何を話しているのやら全然頭に入ってこなかった。胸が高鳴るその理由を、突き詰めないようにしていた。
授業が終わると、トイレへ駆けていった。個室の中で、顔に両手で触れてみた。熱っぽい感じがして、壁のタイルへおでこを当てると、ひんやりと冷たくて気持ちよかった。外から、さっちんとキミちゃんと細田さんが何かを話しているのが聞こえてくる。しばらくそのまま目を閉じていたけれど、タイルが冷たく思えてきたので外へ出た。
「あ、ノリちゃん見てみてこれ!」
私に気づいた細田さんが、スマホの画面を見せてきた。そこには、次のような文章が書かれていた。
「面談なに聞かれた?」
「なんで面談なんてやんの?」
「終業式のアレでしょ」
「アレってなに?」
「しらばっくれたって無駄なんだよ。全部わかってんだからな。覚悟しとけよ」
「グダグダ言ってねーで行動で示せよ!口だけヤロー」
行動で示す! 行動で!? 胸がどきんと音を立てるのが聞こえて、その後は細田さんが何か言っても曖昧な返事しか返せなかった。
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