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【so.】山浦 環[3時間目]

 チャイムが鳴って3時間目が始まっても、私と栗原は生物準備室の物陰で、しばらくじっと隠れていた。

「どうして手伝ってくれる気になったの?」

 無理に頼み込んだのは私だけれど、栗原が嫌がりもせずに引き受けてくれるとは思ってなかったから、尋ねてみた。

「今日、何かあげられそうな物がなかったから」

「はは、ありがとう」

 何かプレゼントをくれるつもりだったのか。そんな気を使わなくたっていいのに。

「騒ぎになるよね」

「間違いなくね」

 そう答えて、栗原とニヤっと笑った。

「あ、そういえば栗原さ、月山さんのFILOのアカウント知ってたら教えてくれない?」

「知ってるけど、なんで?」

「なんかね、美術部を見学したいんだって」

 栗原はスマホを取り出しながら聞いてきた。

「案内するの?」

「残り時間的に無理っしょ。とりあえず先生にメッセージ投げとく」

「わかった」

 とりあえずアカウント名だけメモ帳のアプリに入力した。先生に話が通ってから、後でメッセージを送ることにする。
 栗原がすっと立ち上がった。誰の気配もないのを確認した栗原は、右手で小さくマルを作った。私は物陰から出ると、人体模型の前で立ち止まって、あらためて上から下まで観察した。

「気持ち悪いね」

「夕方くらいからなんとなく怖いよ」

 栗原は準備室の隅っこに積み上げられていた、白い布みたいなものを取り出した。少し埃っぽいけれど、カーテンらしい。人体模型をバレないように包むのに、良い大きさだなと思った。

「お、いいね、それ使おう」

 カーテンを床に広げ、人体模型を寝かせたら、しっかりと巻きつけた。なんだか死体を運ぶみたいな、尋常じゃない悪事を働いているようなソワソワ感があった。

「持てる?」

「そこそこ重いけど、持てないほどじゃない」

 私が前に立って、せーので人体模型を上に持ち上げた。

「よし、行こう」

 廊下は見回しても誰もいない。見回りの先生にだけ気をつければいい。階段は死角が多いからとにかく耳をすませて、1階ずつ登っては廊下や上下階の様子を確認しながら進んでいった。

「この人体模型の顔さあ、平安っぽい。マロって感じだね」

 そんな緊張をほぐすようなことも言いながら、マロを抱えて階段を上っていったら、誰にも会わずに最上階まで辿り着けた。屋上へ出るドアは施錠してあるけれど、近くの配電盤の中に鍵を隠してあるってことは、一部の生徒にとって常識だった。

「良かった、誰もいない」

 私は鍵を開けて、ドアを開けると外へ足を踏み出した。

「さっみー」

 思わず口をついて出てしまう。ドアを閉めて、屋上の奥へと進んでいくと、さっき閉めたはずのドアの開く音がした。驚いて振り返ったら、意外そうな表情で立っているサエの姿に気がついた。

「サエ! よかった~サエで」

 一気に緊張がほぐれて嬉しくなった。抱えていたマロを下におろして、近づいてくるサエの元に走り寄った。

「4時間目にやるの?」

「ん、その後。昼休みに入った所でって思ってる」

「そっか。じゃ、それでお別れだね」

 急な思いつきだったから、サエと最後のお別れを言えなくなるって心残りが、ずっとあった。

「さっき思いついたからね…。でも、いまサエに会えて良かったよ」

「わたしも」

 サエの手を握ったらすごく暖かかった。海風の強い屋上で、ひときわ暖かく感じられる手だった。

「サエ、4時間目はちゃんと出てね? 栗原も」

 振り向いて栗原に言うと、立ち尽くしていた栗原は黙って頷いた。

「騒ぎになるよね?」

 尋ねるサエに、私は「なるね!」と言って笑った。サエはニコニコしていた。年末以来、久しぶりにサエの笑顔を見た気がする。

「そういえば、サヨが来てるよ」

「ほんと! 会ったの?」

 意外な一言だった。1年の時に不登校になった細川サヨとは、ちょくちょく連絡を取り合うほど、私とサエは仲良しだった。

「いま保健室でね」

「そっか。じゃあ連絡してみる」

 サヨこそ、もう会えないと思っていたから、最後に会える可能性が出来て嬉しい。

「もう準備は出来たの?」

「いやー、それが、今夜は徹夜になりそうよ。ちょっと焦ってる」

「だいじょうぶ?」

「だいじょぶだいじょぶ、朝まで寝ずにやる方が、時差の都合でちょうどいいかもしれないし」

「時差は何時間?」

「向こうが7時間遅い」

「ふうん、覚えておこうっと」

 これでしばらく最後だからか、サエも私も沢山喋った。ついつい栗原のことを忘れてしまうほどに。

「もうすぐ3時間目が終わるから、戻ったほうがいいよ」

 腕時計を見て、あっという間に時間が経ってしまっていることに驚いて言った。

「栗原さん、行こうか?」

 サエが栗原に声を掛け、栗原はそそくさとサエと去っていく。

「サエ、いつでも連絡するからね!」

 私はスマホを振りながら言った。サエが屋上のドアを開けて、栗原と一緒に中へ消えていった。

 ああ、突然のサエの登場で、栗原にお礼を言うのを忘れていた。悪いことをした。後でメッセージを送っておかなきゃ。美術部顧問の宮原先生にも、月山さんのこと頼まなきゃいけないし、月山さんにも結果を伝えないといけない。サヨとも会えそうなら会いたいし、4時間目が始まったら、ダッシュで教室へ荷物を回収しに行かないといけない。なんだかんだでギリギリまでバタバタと忙しい。

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