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【so.】山浦 環[4時間目]

 3時間目の終わりを告げるチャイムが鳴って、休み時間に入った。屋上には私だけ。誰も屋上に上がってこないことを祈りながら、美術部の宮原先生にFILOでメッセージを送ることにした。今の間に美術室まで行って話せたらいいんだけど、次が選択授業だから、普通なら私も出るはずの美術の授業をサボりづらくなってしまう。

「せんせ、同じクラスの子が、美術部を見学したいって言ってんだけど、いい?」

 宮原先生は数少ない信頼できる先生だったし、私みたいな美術部員とは、FILOで友だちになっていたりもした。

「いいよ。今日連れてくる?」

 すぐに返事が返ってきて良かったけれど、きっと今日は部活どころじゃなくなってしまう。それに私は月山さんを連れていくことが出来そうにない。

「明日が都合いいらしいんだけど、私、行けないんだ」

 随分迷ったけれど、宮原先生には留学のことを話していなかった。ほとんどの生徒や先生たちと同じで、突然私がいなくなって、後から三条に知らされるって形になるだろう。先生にも後輩たちにも悪いなって思うけれど、知っている人がいればいるほど、別れが生まれるし、心残りも増えてしまう。だからなるべく風のように消え去りたいと思った。

「わかった。明日その子が来たら、説明しておく。その子の名前は?」

「月山さん。下の名前は…知らないや」

「月山さんね。オッケー」

「せんせ、ありがとう」

 文字にしちゃえば素っ気ない。画面で見るから無機質だ。けれど私はそのメッセージを、何年もお世話になったお礼の気持ちをすべて込めるように、一文字ずつしっかりと入力した。
 チャイムが鳴って、4時間目の始まりだ。先生も美術の授業だから、私がいないことを不思議に思うかもしれない。とりあえず、月山さんにメッセージを送っておこう。そう思って先生とのトーク画面を閉じようとしたら、新たなメッセージが飛んできた。

「ヤマウラ、イタリアでも元気で。ずっと応援してるから。Ciao!」

 先生、知ってたんだ…。宮原先生に教えるとしたら、三条の仕業だ。だめだ、不意のこういうのに弱いんだ。頬を涙が滑り落ちていく。絶対に泣いてしまうから、出来るだけ誰にも知らせたくなかったのに。
 言葉にならない多層的な想いを、1枚の鹿のキャラクタースタンプに込めて送信した。もう授業が始まっているからか、既読にはならなかった。

 屋上のドアを開けて校舎内に入った。だいぶ体が冷えてしまった。私はさっき栗原に聞いた月山さんのアカウントを検索して、連続でメッセージを飛ばした。

「山浦だよ。栗原に聞いて、月山さんのFILO教えてもらったんだ」

「さっき美術部の宮原先生に、月山さんが見学したいらしいって事を伝えておいたよ。明日の放課後なら大丈夫だから、行ってみたらいいよ」

「私は明日いないんだけどね…」

 そこまで打ったら、「ありがとう」の言葉の最後に、音符が付いて返ってきた。私はまたシカのルーニーのスタンプを返して、スマホをポケットに入れた。

 4時間目の授業が始まった校舎の中を、今度は教室へと向かっている。体育の石堂先生が見回りをしているのが、聞こえてくる鼻歌でなんとなく分かったから、女子トイレへ入ってやり過ごした。警戒しながら教室の前まで来て、私は自分のロッカーから荷物を全て取り出した。
 だいぶ減らしておいたから、教科書とノートをカバンに入れても軽かった。それから体操着の入った袋を肩に掛け、静かにロッカーの戸を閉めた。最後に教室の後ろのドアへ近づいて、窓ガラスからそっと中を覗き込んだ。ロッカーの戸を閉める時に、サトミの声を聞いたような気がしたんだけど、勿論そんなはずはない。やっぱり教室には誰もいない。「さよなら」と一言つぶやいて、私はまた屋上へと駈け出した。

 階段を上りきって外へ出ず、ドアの前で制服を脱いだ。すぐさま体操着に着替えて、ジャージのファスナーを一番上まで上げた。また荷物を抱えたら、意を決して屋上へと飛び出した。さっきとは違って、風はほとんど止んでいた。
 ジャージ姿で屋上を歩きながら、もういいやと、被っていたフルウィッグを取った。急に頭と耳が寒く感じられたけど、だいぶ頭が軽くなった。横たわるマロと名付けた人体模型のところまでたどり着くと、包んでいたカーテンを解き、人体模型を立たせようとした。ところが、マロは風に煽られてすぐに倒れそうになる。仕方ないから私は腰を下ろし、マロの頭を自分の膝に乗せた状態で、さっきまで着ていた制服をマロに着せていった。ブラウスを着せてジャンパースカートを着せて、ボレロを着せてからウィッグを被せると、それなりに人のように見えるから不思議だ。靴下と靴も着せようか迷ったけど、裸足に体育館シューズで家に帰るのは嫌だったから、さすがにそれはやめておいた。マロは見事に私に化けた。

 4時間目は半分を過ぎた。後は終了のチャイムまで待つだけだ。さっきサヨが学校へ来ているって聞いたことを思い出して、FILOでメッセージを送ってみることにした。

「いま学校に来てるの?」

 すぐに既読が付いて、返事が返ってきた。

「たまき! いま保健室。もう用事は済んだけど、昼休みにちょっと会う?」

 きっとサヨは、私が授業中にこっそりとメッセージを送ってきたんだと思っているのだろう。

「昼休みになったら、ちょっと面倒なことになるから、そのまま一緒に帰らない?」

「??? どういうこと?」

「後で話すけど、昼休みになったら、騒ぎが起こる、はず。だけどそのまま保健室にいてくれたら、すぐに迎えに行くから、そしたら逃げよう!」

 返事の代わりに「OK!」とつぶやく鹿のルーニーのスタンプが送られてきた。すかさず私もルーニーのスタンプを送った。気が合うなと思った。

 チャイムが鳴って4時間目が終わった時、私はマロを持ち上げて屋上のフェンスの向こう側に配置した。また少し風が出てきて、長髪のフルウィッグは風に弄ばれている。ここから落とせば渡り廊下のすぐ近くだ。嫌でも誰かの目に入る。
 今から私は私を殺す。きっとすぐに人体模型だってバレるだろう。そんなことはどうだっていい。この学校への失望を胸に、今日までの私もサトミを追って死ぬんだ。
 フェンスの隙間に右足を入れて、私は私の後ろ姿を思いっきり蹴りつけた。姿勢を崩した私のシルエットが落下していった。さよなら、私。さよなら、日常。さよなら、みんな。

 夏休みの宿題を全部終えたような開放感だけがあった。大きな悲鳴と衝突音は、屋上までもよく聞こえた。

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