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【so.】埋田 寿惠[昼休み]

 たまきの意思を汲むなら、何も知らなかった体でわたしも中庭にいたほうがいい。そう気づくと、慌てて教室を飛び出て、階段を駆け下りて渡り廊下へ飛び出した。委員長が地面に散らばっている残骸を確認して、それが人体模型だとみんなに説明している所だった。たまきの急な思いつきとはいえ、栗原さんまで巻き込んで起こした事件が、あっという間に消費されているのを目の当たりにして、儚いなと思うと涙が出てきた。もう、涙もろくっていけない。誰にも悟られないように、左手で目元を隠しながらわたしは校舎へと足を進めた。廊下に入ると向こうから三条がアスリートみたいに駆けてくるのが見えた。

「埋田! 栗原! 教室に戻ってろ!」

 そう言い捨てて中庭に飛び出していって、何か叫んでいる。振り向けば栗原さんが立っていた。

「始まったね」

「ね」

「行こう」

 事件現場を最初に立ち去ったわたしと栗原さんのことを、見咎める者はいただろうか。とてもそんなことに気がつくような状況ではなかったはずだけれど。

「ねえ、埋田さん」

「サエでいいよ」

「…サエ…さん?」

「それでいいや。わたしはなんて呼ぼうか」

「えっ! 栗原でいいよ」

「良くないよ」

「じゃあ、栗原さん、で」

「友だちじゃないみたい。下の名前は何ていうの?」

「のっ、信子…」

「ノブちゃんでいい?」

「うっ、うん…」

 ああ、なんだか初々しい。中1の4月みたいな、あるいはサヨが転入してきた高1の4月。もう卒業までこんな瑞々しい会話を交わすことなんてないと思っていたのに。

「サエさん、今日はこれから、どうなっちゃうんだろう」

「そうねー、たまきの悪巧みに、乗っかってあげるのがいいのかなあ」

「乗っかる?」

「簡単に言えば、たまきを庇ってあげるとか? わたしは3時間目サボって保健室行ってたとか…これは本当だけどね。だから、その時ノブちゃんも保健室にいたことにすればいい」

「そんな」

「たまきは2時間目が終わって帰っちゃった。そういうことにしとこう」

「留学のこととかは?」

「明日になったら三条がホームルームで言うかもね。それでも、誰かに聞かれなければ黙ってたらいいんじゃないかな」

「うん」

 廊下を曲がって階段を上る。もう、たまきは学校を出ているだろうか。

「サエさん、あのね」

「何?」

「たまきって、制服から名札、外したのかな?」

 ノブちゃんは細かい所に気がつくんだな、と思った。

「外してると思うけど…どうだろ…あえて残しちゃってるかもしれないね」

「そしたら、犯人だって、分かるよね…」

「その時は、その時。わたしも一緒にやったことにするよ」

「私も」

「じゃあ、一緒にたまき追いかけてミラノ行っちゃおうっか!」

 ふふふと笑って教室へ入った。後から暗い顔の同級生が、ぞろぞろと教室へ入ってきた。わたしはおとなしく自分の席に座って、スマホの画面を見た。別に何も通知は来ていなかった。

「臨時の全校集会を行います。生徒の皆さん、教師の皆さんは至急、体育館へ集合してください」

 教室のスピーカーから放送が流れ、再びみんなぞろぞろと集団になって歩きだし体育館へと向かった。


 冷え切った体育館の床に座って校長先生の話を聞かなくてはいけないハメになった、そう言って、たまきに皮肉のひとつくらいは言ってやろうと思ったけれど、別に怒りも何もなかった。遅かれ早かれまた何かが起こって、こういったミサが開かれたはずだ。

「…それはわたくしの規範であり、人生のすべてです。先代から引き継いだわたくしなりに、一生懸命、身を粉にして尽くしてきたつもりでありましたが、まだまだ未熟であったようです」

 校長先生は尤もらしいことを言うけれど、それじゃ常日頃、わたし達の日常に関わってきていたのか。サトミの本心に少しでも触れたことがあったのか。それも知らないで、たまきのことを悪く言うなんて許せない。サトミやたまきへの無理解の批判に対する怒りだけは、沸々と煮えたぎるのを感じていた。


 集会が終わり廊下を歩いていたら、後ろの方から耳に入ってきた会話にどきりとした。

「山浦でしょ? 犯人」

「マジで?」

「いないじゃん、アイツ」

 物的証拠がないだろうからと安心していたけれど、状況証拠だけで簡単に特定されてしまったのか。たまきの計画は、あっさりと露呈してしまったのか。

「ホントに死ねば良かったのにねー」

 ヨシミが言った。怒りが理性をねじ伏せた。

「アンタが死ねば良かったよ」

 わたしは自分がそう叫んだことだけははっきりと分かったけれど、ヨシミを捨て置いて廊下を歩きながら、じんじん痛む右の手の平を見て、わたしはどうやらヨシミにビンタを食らわせたらしいことに気がついた。自分が怒りで我を忘れるタイプの人間なのだということに驚いたけれど、後悔の念は微塵も湧いてこなかった。わたしは当然のことをしたとしか思えなかった。たまきが水面に落とした一滴は、仮初めの泉に奔流を巻き起こしたように思える。パンドラの箱は開いたんだ。

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