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【so.】佐伯 則佳[3時間目]

 急遽、体育の授業が小ホールで卓球をすることになったらしいけれど、それは別にどっちでも良かった。ただ頭の中にはずっと「行動で示す」という行為に対して答えを出せない私の、情けない思いだけが転がっていた。

 卓球トーナメントのくじ引きの結果、決まった相手の井上さんと試合を始めてから、ただ自陣に入ってきたボールを打ち返すことだけを淡々としていたら、勝っていた。

「ありがとうございました」

 悩んでいても体だけはそれなりに動いてしまう運動神経の良さを、誇っていいものか呪っていいものか分からなくてため息が出た。

 トーナメント表で次の相手を確認すると、シードのキミちゃん。自然と目が合ったキミちゃんと空いている卓へスタンバイすると、私の顔を眺めてキミちゃんは心配そうに尋ねてきた。

「だいじょうぶ? 保健室行く?」

 なにか顔に出ていたんだろうか。

「体は大丈夫だから」

「じゃあ、悩み事かな?」

「…う、うん…そう」

 鋭い指摘にそう答えてしまって、ああ、何も答えなければ良かったなと後悔した。キミちゃんと軽くラリーをしながら、悩み相談をすることになってしまった。

「誰かに相談してみた?」

「まだ誰にも」

「私で良ければ相談乗るよ。これでも口は堅いんだから」

「ありがとう」

 きっとそれはその通りなんだろうけれど、私の悩みは人に言ってしまって良いものか、踏ん切りがつかなかった。返ってきた球を打ち返しながら、いっそ全くの他人の方が話せるかもしれないなと思った。そんな曖昧な私に嫌気が差したのか、キミちゃんの方から話を始めた。

「じゃあせっかくだから、私から今の悩みを言うね。実はすっごく好きな人が2人いるんだけど、どちらも同じくらい好きだから、決められないんだ」

 キミちゃんはソフトボール一筋な人かと思っていたから、意外すぎてサーブを失敗した。

「キミちゃん…意外」

 キミちゃんの顔を見ると、恥ずかしそうな笑みを浮かべていて可愛かった。

「ひょっとして…ノリカも好きな人がいる?」

 そう言ってキミちゃんが放ったレシーブを、体が動かずに見送った。

「…わかる?」

 すごくすごく恥ずかしくって逃げ出したいくらいだったけれど、キミちゃんだって2人も好きな人がいると告白してくれた。人数の少ない学校だし、ひょっとしたら相手は同じなのかもしれないけれど、そういう考えの人が身近にいたっていうことは素直に嬉しかった。

「ノリカにとって、その人はどういう存在なの?」

「存在…」

 キミちゃんに言われて、初めてそんな意識の仕方をした。私と相対化して考えてみたことなんて今までなかったから、答えを探すのも恥ずかしかった。

「自分にとってのアイドル…かな」

 身近な憧れの対象で、より近づきたい存在で、ええとそれからそれから。考えれば考えるほどあの人の笑顔や声が浮かんできて私の鼓動を速めてくる。キミちゃんはなおも食い込んでくる。

「イニシャルは?」

「え、それは…」

「聞きたい」

「分かっちゃうよ」

「誰にも言わないから言っちゃって」

 Masayo Jimboと、部長の名前をローマ字で思い描いて、そのイニシャルを口にした。

「…M.J.」

 キミちゃんは一瞬目を見開いたかと思うと、穏やかな笑顔を示して頷いた。

「確かにカッコイイ。気持ちはわかる」

「でしょ!」

 心の緊張が一気に蒸発してくような高揚感で、今にも飛び上がりたいくらいだ。

「しかもカッコイイ中に可愛さもあるんだよね」

 キミちゃんは目を閉じてしみじみと言った。

「分かってくれる?」

 そう、そう、そうなんだ。バスケ部部長としてカッコイイ存在として憧れられている部長は、ちょこちょこと可愛い面があって、たまに垣間見せるその一面が、狂おしいほど愛おしいんだ。

「分かるよ。同志じゃない」

 キミちゃんがとても頼もしく見えた。けれど私の想いに共感してもらった所で、やはりそれを行動で示すことだけは許されないことだと思い、気持ちが一気に萎んでしまった。

「どうしたらいいかな…」

「悩んでたって解決しない。すぐに行動だよ」

 キミちゃんは、そうした悩みを乗り越えた先輩のような頼もしさでそう言った。顔を上げると、キミちゃんの力強い表情に勇気づけられる思いがした。

「そうよね。ありがとう!」

「よし、試合しようか」

 我ながらいい笑顔を返して、それから真剣に卓球の試合をやった。負けてしまって悔しかったけれど、気持ちは太平洋みたいに大きく思えた。

「キミちゃん、また相談乗ってね。頼りにしてる」

 そしてキミちゃんと別れると、先生に「トイレ行ってきます」と伝えて小ホールを飛び出した。すぐに行動だ。

 静かな廊下を駆けて、教室へ飛び込んだ。花の匂いがして、誰もいなかった。私は自分の机に畳んであった制服を手に取ると、部長の机の上に畳んであった制服と入れ替えた。ポケットに何か入っていないか確認して、それだけは移し替えた。私と部長の制服だけを入れ替えて、私は教室を出て小ホールへと急いだ。今の私を漫画のコマに収めたら、心臓のドクンドクンという音が周りにびっしり書き込まれているだろう。それくらいの興奮を悟られないよう、何度も大きな深呼吸を繰り返してから小ホールへと戻った。さっきと何も変わらない時間が延長していた。

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