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【so.】曽根 興華[3時間目]

 いかにも体調が悪いんです、といった体を装って、生物室から戻ってすぐ、そそくさと教室を出てきた。教室からは離れたトイレまで行って個室に入り、便座の蓋の上から腰掛けてスマホを開いた。あと5分ほど時間を潰さないと休み時間が終わらない。こんな時いつも私はここで、スマホで撮った写真を見返して時間を潰していた。「やすちゃん」というフォルダの中に、中学の時に付き合っていた安田君との写真が沢山入っていた。そこに写っている自分の写真は、見るたびにどんどん幼さを増していくような気がする。やすちゃんも今はもっと大人へ近づいているに違いない。彼は田舎の全寮制の高校で頭を丸めて野球少年になっているはずで、もう2年は会っていない。
 やすちゃんの写真を1枚ずつ噛みしめるように見つめながら、心がきゅっと絞られるような感じを覚えた。もう5分以上経っていた。

「失礼します」

 地理準備室のドアをノックして、一応挨拶をして中へ入る。三条先生が机に座ってスマホをいじっていたけれど、すぐに顔を上げて立ち上がった。

「悪いな、急で」

「いつもです」

「ごめんごめん」

 そして先生は準備室の入口の鍵を掛けると、隅にある小さな冷蔵庫を開けて聞いてきた。

「何か飲むか?」

「いらないです」

 私は壁際に置かれている3人掛けのソファの真ん中に腰を下ろした。

「面談は終わったんですか?」

「ああ。それでちょっと聞きたいことがあったんだ」

 先生は冷蔵庫の中から取り出したコーラを口にしながら、机の上のスマホを掴んだ。右手でささっと操作しながら自然に私の隣に腰を下ろすと、先生はスマホを渡してきた。

「何ですか?」

「君らのクラスの、裏サイト、ってやつ」

 目を向けると、装飾など微塵も感じられない無機質なデザインのページに、名前の無い人たちの書き込みだけが続いていた。

「面談なに聞かれた?」

「なんで面談なんてやんの?」

「終業式のアレでしょ」

「アレってなに?」

「しらばっくれたって無駄なんだよ。全部わかってんだからな。覚悟しとけよ」

「グダグダ言ってねーで行動で示せよ!口だけヤロー」

「今日の被害チョーク…3本」

「やってやるやってやるやってやるよ見とけよ」

 書き込みはそこで終わっていた。

「…で?」

「誰が書いてるかとか、分かるか?」

 もう一度目を通してみたけれど、チョークのことが1時間目のことだということしか分からなかった。少なくとも私の友達に、書き込みそうな人は思いつかなかった。

「違うカーストの人たちのことは、よく分からないんで…」

「そうか。ありがとう」

 先生にスマホを返すと、先生はそのまま覆い被さってきた。この人はいつも自分勝手におっ始めるんだ。

「曽根、好きだ」

 何の感慨も湧かない言葉を繰り返し、荒い息遣いで私を撫で回す先生。着衣のままの方が興奮するとかいう理由で、脱いだり脱がされたりということはほとんどない。こう寒いと楽でいいけれど。
 私はいつも目を閉じて、直前までスマホの写真で目に焼き付けたやすちゃんの姿を思い浮かべる。やすちゃんは初めての相手だったけれど、たぶん体の相性がすごく良かったんだ。それは先生とこういう行為に及ぶようになって気がついた。先生は自分一人で気持ちよくなって果てる下手糞だ。
 いつこういう関係が始まったのか、具体的には覚えていないけれど、もう1年以上、月に何度かこういうことを続けていた。私は持てる全ての集中力と妄想力を駆使して、いま私はやすちゃんに抱かれているのだと暗示をかけて、それが少しずつ上手く行きだすことで得られる快感の為に、好きでも上手でもない三条先生の誘いを甘んじて受け入れていた。

「はぁぁ」

 やすちゃんと堪能した快楽の尻尾に触れるか触れないか、といった辺りでいつも先生は終了する。

「曽根、卒業したら! 結婚しよう!」

 調子のいいことを叫びながらエキサイトする先生の姿を、私は決して見ようとはしない。まぶたを開いたら魔法が解けて、残念な大人がいるだけだ。
 フカフカの大きな繭に包まれ出したような安心感を感じ始めたところで、先生は勝手に終わってしまった。私はまぶたを開けて、しばらく天井のシミを見つめていた。いつも目を開く度に天井にある、オーストラリアみたいな形のシミ。あるいは四国なのかもしれないけれど、地理準備室だからって、出来過ぎてる。

「良かったよ」

 先生は私の太ももをさすりながらそう言った。私は答えず、やすちゃんのことを考える。あまりにも悲しくなって一度泣いたことがあったけど、その時先生はひどく焦って、要らないと言うのに1万円を握らせてきた。それ以来私は先生を見下している。どれだけ馴れ馴れしくされようとも敬語を止めないのはその為だ。

「寒いですね」

 こんなことをしたのにね、と心の中で付け加えながら、私は立ち上がって窓際に立った。グラウンドには誰もおらず、そういえば小ホールでやるとか委員長が叫んでいたことを思い出した。みんな早めに戻ってくるかもしれない。

「曽根、さっきの、裏サイトのことな…何か分かったら、教えてくれな」

 申し訳なさなのか、ためらいがちにゆっくりと語る先生のせいで、チャイムが鳴り出した。

「先生、また」

 慌てて着衣を整えて準備室を出たところで、馴染みのある声が私を呼び止めた。

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