【so.】橋本 忠代[1時間目]
ホームルームを終えて現代文のノートを広げていたら、よく通る低音が響き渡った。
「おはよう!」
入ってきた逸見先生の大きな声で、左隣のつぐみちゃんが、いつものようにビクッとした。逸見先生は演劇部の顧問らしく、びりびりと響くような声をしている。先生はチョークを出すと、力いっぱいに「檸檬」と書きつけた。
「新藤、これなんて読むか分かるか?」
「どう…もう?」
「お前の好きな食べ物系の言葉だ」
「パン!」
みんな一斉に笑った。相変わらず新藤さんは面白い。
「レモンと読む。今回からはこの小説を取り上げることにする」
梶井基次郎か。前に全集を読んだけど、桜の下に死体が埋まってるって文章はよく覚えている。
「じゃあまず誰かに読んでもらおう。今日は12日だから…12番の神保」
「はい」
斜め後ろで神保さんが立ち上がって朗読を始めた。神保さんの声は綺麗だ。才色兼備とはこういう人のことを言うんだろう、眩しい存在だ。私の属する真ん中のグループからは手の届かない人のように感じる。
最初の2ページほどで朗読は止められて、先生が解説を始めた。チョークを殴りつけるような力強さで、砕けた破片がポロポロ落ちて、白い粉がふわっと教壇の周りを舞っている。1時間目の朝日が窓ガラスから入り込んで、それがまるでダイヤモンドダストのようにきらきらしていて綺麗だった。
「この筆者はどういう人物だと思われるか? はい、平」
「は、廃墟マニア?」
先生は誰に当てるといいボケが返ってくるのか心得ているんだろうか。
「そんな余裕のある人物だと読み解けるか? 自暴自棄になっていて、どこか死の気配を秘めているんだな」
死…か。その言葉はあまりにも重たい。一方で、私のお腹がぐるると鳴った。寒さのせいか、下しそうな予感。私にとって眼前に突如現れた死の気配…。
なんとか無事に授業を乗り切り、急いでトイレへ行った。5つのドアのうち、奥の個室と手前の個室は入っていたから、手前から2番めの個室に入った。寒いとすぐお腹を壊してしまうのが、私の毎冬の悩みだ。
「いずみちゃんが言ってたけど、ヨシミが怪しいって噂があるらしいよ…」
細田さんの声がして、何人か中へ入ってくるのが聞こえた。
「何が?」
中島さんだ。すると新藤さんも一緒かな?
「だからぁー、終業式のアレのことよ」
えっ。細田さんは何か知っているんだろうか。ヨシミ…って、田口さんのことだよな。私もなんとなく、田口さんが何か知っているんじゃないかと考えていた。
「あ、ノリちゃん見てみてこれ!」
奥のほうでドアの開く音がして、出てきたのは佐伯さんらしい。そのまま何も話さない。何を見せているんだろう。
「こわいよねーこれ。クラスの誰かが書いたってことー?」
落書き? 怪文書? なんだろう。細田さんの声が随分とはしゃいで聞こえるのは気のせいなんだろうか。
「終業式のアレって、パン屋のことでしょ!」
新藤さんの声。珍説あらわる。
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