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ヴァージンVS過去・現在・未来 37  ~番外編「忖度」についての一愚考~

ジャニーズ問題に絡む「忖度」について
忖度・・・
忖度とは、広辞苑によれば「相手の気持ちを押しはかること」という、本来ヒトとしての思慮深さを表す良い意味の言葉であった。
しかし昨今では特に森友問題以降「立場が上のもの、権威あるものの言うことが社会正義上間違っていても、自己の保身上、或いは自己の属する集団の利益のために言う事を聞く、あるいは目をつぶる」という、悪い意味に使われている。
しかし、忖度に悪い意味が付加されるずっと以前から、日本にはそのような身の処し方があった。
明治維新は下級武士階級の革命であったので、武家社会の上下関係の意識はそのまま明治政府に引き継がれ、戦前戦後の今日まで繋がっている。

江戸時代のお武家さん

上下関係全てが悪いわけではなく、芸や技の伝承・修得には必要な事は言うまでない。

日本の伝統芸能

しかし、社会正義に鑑み、一つの集団の中で権威を持つものが行った「悪行」が、その集団の中の上下関係によって不問に付される事は成熟した社会とは言えない。
近代的な会社組織の体裁をとる芸能プロダクションも、日本の芸能の発祥を仮に出雲阿国とするならば(アメノウズメの命と言いたいが)、その末裔である歌舞伎界と共に前近代的と言うよりも古代的、中世的な何者かを胎蔵しているのではないか。(この古代的、中世的な何者かの話は今回はしません)

出雲阿国
アメノウズメの命

これは芸能関係に止まらず、一般的な企業組織の中でも散見される。
ビッグモーターなどはその嚆矢かと。
上のものが社会的に間違ったことをやっていても「見て見ぬふりをしよう」という保身も含めて、問題定義は組織全体として、業界全体としても個人としてもマイナスであるという判断。
「見て見ぬふり」の他に日光東照宮の左甚五郎作と言われる「見ざる、言わざる、聞かざる」のように江戸時代270年間を卒なく生き抜く「知恵」が、江戸幕府の開祖徳川家康の廟に掲げられているという事は象徴的であろう。(本来の「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味とは違うがね)

見ざる、言わざる、聞かざる

270年間で培ってきた「悪い忖度」はそうやすやすと退散はせず、社会に根強くしぶとく生き残っている。
今回のジャニーズ問題は、60年代から我々素人の間でも知られていたことではないか。っというか、私は高校時代に既に聞いたことがあった。

ここにも初代ジャニーズが出てはりましたね

それをずっと「見て見ぬふり」をしてきた、メディア、マスコミのあり方が問われている。
テレビ番組は「視聴率」という、どこで誰が測定しているのか我々素人にはわからない絶対的なモノサシで生死が決まる。
代理店の方々は番組制作にお金を出してくれるスポンサーに、予想される視聴率の数字を示し、その結果得られる商品の売り上げと企業の認知度、好感度の上昇を約束する。
視聴率を稼ぐには「人気者」を出演させることにしくはなし。
当代の「人気者」の筆頭「王様」は「ジャニーズ」のタレント様方。
でも、タレントは自分の意思でCMや番組を選ぶ訳ではなく決めるのは会社、「ジャニーズ」の場合は社長。
要はお金の問題。
「LGBT」は個人の自由であるが、「小児に対しての不同意性交」は立派な犯罪である。個人の問題やお金の問題ではない。
その犯罪を知っているのに「干されちゃいかん」というので口をつぐんできたマスコミ、ジャーナリズムの、社会の中で責任を果たさなかった罪と、発信する情報に対する信頼感の低下は、今後戦争が起こるかもしれない緊迫時や感染症も含む災害発生時に、我々がマスコミ、ジャーナリズムから情報を得、それに基づいて取るべき対応に大きな影を落としてしまったのではないか?
早い話しが、
ホンマでっか?
なんか隠してんのちゃいます?
あんたらの言うこと信用できんわ!!
ということです。
1868年の明治維新から既に150年以上経っているのだから、そろそろ悪い意味の「忖度」を日本文化の中から消除しましょう。でないと日本文化の質は上がらない。

黒船来航
1853年

良い意味での縦軸、上下関係から生まれた日本の文化芸能を横軸である世界に広めていかなければなりません。と言っても270年の重さにはまだ負けとる。江戸時代270年間培ってきた民度の蓄積のお陰で明治維新が成立し、欧米列強から独立を保てたのだから。

1889年
帝国憲法発布

諸事表裏、長短有。
いったい何を言いたかったのやら?? ここまで読んでくれて堪忍な。


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