救いのない人生

新年になんてこと書いてんだってくらいすごいタイトルですよねwww
でも、俺の人生はタイトルの通り救いのない、いじめや差別をされてきた人生でした。

そんな人生が始まったのは、小学生からです。
そこら辺の女子よりガタイがよく、身長も高かった俺についたあだ名は
「マツ〇デラック〇」や「ミッ〇マングロー〇」
どれも体形などをバカにするあだ名ばかりでした。
まだ、この時は良かったほうです。

エスカレートしたのは、6年生から。
臭いなどといった理由で、ウイルス扱いされ、クラス全員から学年の一部から差別を受けるようになりました。
友人には嘘をつかれ、親もその子を信用し俺のことなんか信用してくれませんでした。
友人にも親にも裏切られ、小学生の俺にはあまりにも重すぎるいじめでした。
それ以降、親を嫌い、人を信用することができなくなりました。

そして、中学生。
小学校から人はほとんど変わらずなのでいじめや差別は変わらずありました。
俺の唯一の居場所は部活のみ。
中学では唯一信用できる友人もできました。
中学はまだマシな学校生活だったと思います。

そして、高校。
部活では先輩や同級生にいじめられ、クラスでも一部からいじめられていた為、居場所はほとんどありませんでした。
数か月で部活はやめました。
学校は唯一の友人と過ごす時間が楽しかったと思える時間でした。

このような感じで学校生活は今でも思い出すと泣きそうになります。
何度〇にたいと思ったかわからないです。
自〇未遂もしました。(首◯り、リ◯トカット)
なんの為に生きているのか、なぜ◯ぬのを躊躇っているのか
浮かぶのは疑問ばかり
そして、こんなことを話せる人間は当然ながらおらず…
ただ一人ずっと悩んでいました
そして、いつか泣くことさえ辞めてしまった
できなくなったのほうがあってるのかもしれませんが…
泣くことができなくなると、感情さえも出しづらくなってくるんです。
特に負の感情。
「泣いちゃだめだ」とか「こんなことで…」とかそんなことばっか頭に思い浮かんで、負の感情を押し殺すようになるんです。
俺がそうでした。
大事なときにすら泣けない。
今でもその癖は治ってないです。

そんな俺でも泣ける瞬間がありました。
Twitterで出会った唯一信用していた人に話すときです。何故か安心できました。
今でもなぜかは正直わかんないです。
まあそんな人すら俺は縁を切ったんですけどね

そんなこんなで唯一あった救いでさえも、自分から捨てるくらいには人を信用できない人間に育ちました。
こういう経験がある子にはわかると思います。
わからない子はこういう子もいるんだくらいに思っといてください。

ここまで長々と文を書き続けてきましたが、流石に読む側も辛いですよね。
何だったら、ここまで読めている方がすごいと思います。
だって、ここまでで1100字を超えてるんですから。
そろそろ終わらせろと思いますよね
はい、終わらせます
まあこんなん書いたのは、特に理由もないです、
不意に書きたくなったから書いたくらいな感じです
だって人の不幸知って何になるんだって言われたら、何にもならないんですから
なら、書くなって感じなんですけどねww

ここまで読んでくれた方はありがとう
途中でやめた奴らは正しい判断したな
こんな人生歩んできた俺ですけど、今は推しのおかげで生きれてます
あと、どんくらい生きるかわかりませんが、仲良くしてやってください

じゃ、おやすみなさい(時刻23:45)



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