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幸せの象徴


十畳の広い座敷の真正面には、立派な5段飾りの雛人形が雅やかに並んでいる。


紅い毛氈が目に眩しく、
なんて華やかな世界なのだろう。

その座敷には、大きな座卓が置かれ、よそゆきを着て、
お澄ましをした、私を含む
6人の少女達が座っている。


色とりどりのご馳走がところ
狭しと並び、さぁ雛祭りの
始まりだ。

先ずは、漆の盃に甘酒を注いで貰い、口を窄めて舐めてみる。
すこーしお姉さんになった
気分だ。
なんて幸せな気持ちだろう。


私も、あんなお雛さんが欲しい。


この情景は、
昭和43年から48年の間、6年に渡り、私が小学生時代に経験した雛祭りの様子である。


毎年、桃の節句は、幼馴染のMちゃんの家から、パーティにお招きを頂き、参加するのがとても楽しみだった。

私の故郷には、室町時代から受け継がれて来た、この町
独特の習わしが残り、
未だこの時代には、雛祭りを祝う風習が一般的で無かったように思う。


そんな環境だった為、
同級生の間でも、お雛様を持っているのは、Mちゃん
ただ1人で、私には彼女が
特別の存在のように思えてならなかった。

雛祭りが近づくと、Mちゃんから、クラスメイトの仲良し達に、お雛様パーティへの
ご招待の声がかかり、友人達と、その日が来るのを待ち侘びたものだ。


Mちゃんのお母さんは、
とても優しく温かい人柄で、又、お料理上手でもあり、
心尽くしのご馳走をたっぷり用意し、毎回、充分過ぎる程のおもてなしをして下さった。

夢見心地のパーティが終わって家に戻り、我に返ると、
羨ましさが募るばかり。


「私にもお雛さん買うて」
と、母に強請るが、
「人は人、家は家。」
と、厳しい答えが返って来る。
がっかりするのをわかって
いながら、懲りもせずに、
翌年も同じ事を繰り返し、
お雛様への執着が尽きる事
ない私であった。


優しいお母さんと、お雛様。
「Mちゃんは、ええなぁ。」
真綿で包まれたような、
幸せの中にいるMちゃん。


彼女の姿が、
幸せの象徴のように思えた。


お雛様を自分で買おう
と誓ったのは、幾つの時だったか。

嫁ぐ前に買い求めた
私のお雛様。
小さな陶器の男雛と女雛。


もう30年も、私に寄り添ってくれている宝物だ。

けれども、余裕の無い時は、雛飾りの存在さえ面倒になり、何年も、戸棚の中から
出さずに放って置いた事も
あった。
幸せのバロメーターの様な 私のお雛様。


今年は、早々とお雛様を
飾り、桃の花を添えた。
今日は、ちらし寿司を
作ろう。


側にある小さな幸せ。


これが、
今の私の幸せの象徴である。











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