見出し画像

ひとつの音に世界を聴く

みなさんお元気ですか?

地無し尺八演奏家で倍音も大好きでヨガや瞑想なども教えている青山雅明です。

今日から2月もスタートです!今日はとても寒いですね。三寒四温と言いますから暖かくなってきたーと油断してると翌日には「超寒いんですけど!」となります。

こんなぼやきを何万年も繰り返して、人類は変わらずに生き続けているのでありますね。

さて、僕のライフワークの『地無し尺八』のことを『法竹』(ほっちく)と呼びます。本当は『法竹演奏家の青山雅明です』と言いたいのですが、そうすると『法竹』(ほっちく)って何?知らないー興味ない〜っと言われそうなので『地無し尺八』とわかりやすく言っています。

『地無し尺八、にも興味ねーよ』という方は、ゴメンなさい。ここでサヨナラです。またお会いしましょう!

さて、それでは簡単に『地無し尺八』のご説明をします。

今現在日本で吹かれている尺八の多くは明治以降に開発された『近代の尺八』です、竹を二つに分断し均一な長さにして調律も西洋の音階に調律されています。正確な西洋音階の音を出すために漆やとの粉で竹の中の繊維を埋めて調律されているため、尺八の管の中をみるとツルツルです。ピアノなどとも合奏が可能で音は澄んだ美しい音色ですが竹本来の空間に溶け込んでゆくような柔らかな音色は失われてしまいます。人間に合わせて竹を加工して作る「楽器」となります。

『地無し尺八』とは、中に漆を薄く塗っている場合もありますが、竹の繊維をそのままにしているため竹本来の持つ柔らかで人間がコントロールしきれない豊かなノイズ成分も含まれます。

地無し尺八の音色は「朽ちたたけに風が吹き込む時の音」とも表現されます。竹一本一本の個性に合わせて息を吹き込むため、竹によっては出にくい音があったりしてそれはそれで苦心しますが、竹に人間の息を合わせるという考え方があります。

「近代の尺八」と「地無し尺八」どちらが良いとか悪いとかの問題ではありません。どちらも素晴らしいと思いますが、その違いをお伝えしました。

「地無し尺八」(法竹)の演奏で僕が衝撃を受けたのは、奥田敦也先生と海童道宗祖です。特にこの「薩慈」にはぶっ飛びました!


武満徹対談集「ひとつの音に世界を聴く」には海童道と武満徹とジョンケージの対談が載っていますが、これが最高に面白い!

『これは何わざにしてもみんなそうですが、結局は、ほんとうの音と言いますか、すべての音はなんにもない音が基本です。たとえば、法竹をききながらイビキをかく人がいます。それで法竹の音をスーッと消していくと、イビキだけが残る。イビキだけが音楽として、現在ただいまに露現して、私と調和した音を出しているのです。また法竹を吹定している側で、すき焼の音を立てている。そのときは、すき焼きそのものと自分が同化するのです。自分がすき焼きの音になるのですが、側のみなさまはすき焼きと法竹とを別のものと思っているけれども、実はすき焼きを吹いているわけです。法竹とすき焼きが音によって一如ですが、法竹を聞かせるからなんですが、法竹を止めさえすれば、すき焼きの音に化した自分が天地いっぱいに、この部屋ならこの部屋中に満ちているわけです。それを皆様はすき焼きの音とばかりに思って法竹の音も食っています。そうしたことはみな機縁によってできるわけでございます。自然の風景をみながら、法竹の音を段々細めて、自分をのせますと、自分は針みたいな精神になります。つまり張り切った微妙音になりきった神秘の姿です。が、そういう工合になってくると、宇宙の精神に通じて、隣の部屋で針が落ちる音も聞こえてくるのです。』


ここのあたりに「地無し尺八」(法竹)の音の感覚が表されています。ご興味のある方は「ひとつの音に世界を聴く」是非読んでみてくださいね。他の対談もとても面白いです。


法竹で「心月」という古典本曲を吹いています。よかったら聴いてみてくださいね。

よく聴くと僕のそばにいる猫(にゃんたまくん)のゴロゴロいう音が聞こえてきます。海童道風にいうと猫のゴロゴロ音と自分が同化している。猫のゴロゴロ音と同化した私が天地いっぱいに拡がっている?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?