理想の老人ホーム
ここ数週間、パリの寒さは増す一方だった。
寒さが増すと家での時間がより大切に思え、ゆっくりコーヒーなど飲みながらうっかり考え事をしているとあら不思議! 日照時間が6時間くらいしかない今の時期は気がつくと1日が終わってしまう。
あれ。2時間ってこんなに短かったっけ?
大したこともせず呑気なことを言っている自分がいつもの事ながら情けなくなる。
12歳くらいの精神年齢でしか生きられない私は、自分の中に理不尽なまでに強情な子供を養いながらやっとこさ生きているのである。
それはそうと、最近面白い本を見つけた。 それは日本人によって書かれた、ミラノのちょっと変わった老人施設に関する本だ。
昔から頭の中でこんな老人ホームがあったらいいなあ、などと考えながらも映画の中だけに存在するのだろうと思っていたような老人施設が、ミラノに存在する事を知ったのは全くの偶然からだった。
ある日の朝、なんとなくネットで音楽家の老人ホームとタップしてみたところ、この老人ホームの名前が飛び出してきたのである。
この施設は「カーザ・ヴェルディ」と言い、一定の基準で選ばれたプロの音楽家のみが暮らせる老人ホームで、驚くべきことにあの作曲家のジュゼッペ・ ヴェルディが自身の財産を注ぎ込んで築き上げたという。
19世紀末、ヴェルディがそこまでしてこの老人ホームを作りたかった理由はというと、成功前は貧乏な生活をしていたことのある彼が、浮浪者同然の老後生活を送っている元一流音楽家たちを救いたいという強い思いからだったらしい。
それにしても一流音楽家たちの成れの果てが浮浪者同然の老後とは!私は思わずショックを受けてしまった。
確かに19世紀のイタリアならありえるかな 、などと思ったりもする。
この本を読みながら、私は思わずイタリアと自分の間の不思議な縁を感じてしまうのだった(私が演奏していたミラノのオーケストラ も「ヴェルディ」の名前を冠していた)。
この老人ホームの非常にユニークな特徴として、ミラノのヴェルディ音楽院で学ぶ若者たちもそこに住んでいるということがある。
この本の著者も2016年頃にこのヴェルディ音楽院で声楽を学び、カーザ・ヴェルディに住んでいた日本人学生である。
一緒に住んでるとは言っても、健康なご老人たちが住む棟、終末期の患者さんたちのいる棟、そして若者の住む比較的新しい棟などがあるらしいのだが、1つしかないダイニングでは老人と若者が共に食事をするらしい。年齢や経験の差こそあれ、 彼らは皆「音楽」という同じ言語を話し、それこそが年齢の壁を超えて軽々と彼らを結びつけているとも言える。
若者たちはこの施設で熟練した音楽家たちから多くを直接学ぶことができるし、ご老人達もまた音楽家の卵であるこうした若者たちの役に立てるという大きな使命に生きがいを覚えながら暮らすことができる。
瀟洒な19世紀の屋敷の中には、グランドピアノが気前よく配置されており、練習部屋は常にご老人と若者で埋まっている状態だ。そして食事の時間には全てのご老人がぱりっとしたおしゃれをしてダイニングへ降りてくるという。
ダイニングでは本格的なレストランのように、 テーブルクロスもビニールではなく布を使用し、
そこでは全てのご老人たちはお客様(ospiti)として丁寧に扱われる。これはこの施設の完成を見ることなく他界したヴェルディ本人の希望だったようだ。だからもちろん、 どこかの国の老人ホームのように老人たちを子供扱いしたりはしない。
彼らは過酷な時代に自分自身の人生を切り開き、荒波を生きてきた、いわば人生の大先輩なのである。いくら身体が弱ったとしても、そんな彼等に対し最低限の敬意を話し方で示すのは当然であろう(現在特養で暮らしている私の母も、子供扱いされたら返事をしないと言っていた)。
さらに特筆すべきことは、カーザ・ヴェルディに住んでいるご老人たちの健康寿命である。
96歳が何人もいる。そして彼らは今でも館内で催されるコンサートでその美声や素晴らしい演奏を披露したりする機会にも恵まれている。
彼らの中には、自分の部屋をアトリエにして絵を描いたり、アクセサリーを作って得た収益を慈善団体に寄付したりする人もいる。
このように常に周りの視線にさらされながら、若い人達に引けを取らないアクティビティに精を出す事こそが、身だしなみを気にしたり、彼らの美意識を若い頃のままに保つことに自然と繋がり、結果的に健康寿命を維持する事に役立っていると言える。
ここまで話して、このような恵まれた施設はさぞメガ高級老人ホームの部類に入るのだろうと誰もが思うだろう。ところがこの点も少しユニークで、入居者よって差こそあれ、基本的に年金の80%を納めるということになっているらしく月額の平均は900ユーロ(14万5千円) 程度だという(2016年時点)。
私は日本の高級老人ホームの何千万から1億円のような金額を想像してしまったので、これは拍子抜けだった。
いやもしかするとそれぞれの居室は日本の高級老人ホームに比べ質素かもしれない。セキュリティ や看護師の干渉も日本に比べてゆるい気がすると書かれてもいた。
でも彼らにとって人生を意義深く生きるために一番重要なのはそこではない。
それぞれが持っている才能を若者たちと共有し、 日々楽しく他の入居者と切磋琢磨しながら暮らすことはお金では買えない財産ではないだろうか?
日本でも このカーザ・ヴェルディをモデルにした老人ホーム建設について、もっともっと 議論されて欲しいし、自分もそんな活動に何らかの形で与していけたらなんて思う今日この頃だ。