無本番・練習日記2021年5月31日~6月6日

2021年5月31日(月)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
音階(C-dur , a-moll)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番(Sarabande , Bourree)
 日々の練習で厄介なのは、昨日有効だった練習方法や気付きが今日も通用するとは限らないこと。練習内容が変わり映えしなくても、毎回違う事をやっている気がする。
 2日ぶりの練習。まずバロックヴィオラから、ジェミニアーニの8番のみ。これをやる時は大抵練習と楽器の音が軌道に乗るまで、8番-1,2の練習で時間の大半を使う。3つ目に行ければあとは何とかなるけれど、それまでは行きつ戻りつを繰り返し、毎度同じところで引っ掛かって進歩がないと感じることしばしば。
 モダンヴィオラも練習が捗ったとはいえず、ただバッハの無伴奏チェロ組曲を練習していた時に「作曲者が想定した音楽がどのようなものであったか」考えることを思い出せたのは幸いだった。
どの本の引用だったか、五線紙に思いついた曲を記すのはそこまで大変ではないのだそうである。問題はその先で、第三者が演奏すると、作曲者自身が思いもよらなかった音楽が五線紙から飛び出してきてしまうのだと。
作曲者が想定していた音楽を考えることで、少し練習を先へ進めることができた。残念ながら時間となってしまったので、残りを次回へ持ち越す。

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2021年6月1日(火)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
音階(C-dur , a-moll)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番(Bourree)
 「古楽」と「モダン」の棲み分けに、抵抗を感じている(少し前まで、バロックをやっていると話すのは相手を選ぶ必要があった。今もその傾向は残る)。しかし昨晩知人とのやり取りで、無意識のうちにその2つを区別してしまっていることに気がついた。演奏として目指しているのはバロックもモダンもない普遍的なものなのに、私の中にも枠や壁のようなものがあるらしい。楽器の個体差やスタイルの違いを認識することは大切だけれど、それとこれとは別物。「らしさ」を求めてしまう原因の一端でもあるかもしれない。
 バロックヴィオラはジェミニアーニの8番。相変わらず軌道に乗るまで、1つ目の4小節目くらいで引っ掛かっている。作曲者が想定した音楽がどのようなものだったのかも考えつつ、音の命中率を上げるべく練習することにした。自分の想定する音やイメージと、頭の中でいかに共存させるかも課題。
 モダンヴィオラは音階とバッハの無伴奏チェロ組曲4番のBourree。楽譜を見るとどうしても拍子を数えてしまうので、楽譜から目を離す時間も設けての練習を行う。Youtubeを探せば躍っている動画は見つかりそうなものだけれど、見るべきか否か迷う。

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2021年6月2日(水)
筋肉痛により戦闘不能。練習お休み。

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2021年6月3日(木)
他用のため練習お休み。

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2021年6月4日(金)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
ヴュー:音程のための10の練習曲
 コロナ禍のご時世で不便なことの一つは、演奏会の宣伝がやりづらくなったこと。チラシ挟みをしようにも本番がなかったり、開催数日前~当日まで、いつ中止延期になるか分からない不安定な状態での告知をためらってしまったり。
 今日は出掛ける直前に大急ぎで音出しを行った。湿度の上がってきた日に丸2日ケースを開けないのは気が引けた。ジェミニアーニは9番、ヴューは1番を弾いて撃沈。
 (余談)東京オペラシティに、テノール大島博+古典四重奏団の『冬の旅』演奏会を聴きに行く。通常ピアノと歌で演奏されるシューベルト作曲『冬の旅』のピアノパートを、弦楽四重奏にアレンジして演奏するというものだった。今回の編曲は古典四重奏団でチェロを弾いている田崎瑞博氏。今まで公開レッスンで耳にしたことはあっても『冬の旅』を全編通して聴くのは初めてだった。剥き出しの心(心臓)をゾワリゾワリと撫でられるような、快感とも不安ともつかない心地。演奏が終わったと頭ではわかっていても、拍手はおろか身動きすら躊躇うほどの集中力と没入感。あの5人だからこそ実現できた演奏だったのだろう。そしてそれに応じるかの如く、濃厚な雰囲気の客席(本当に濃ゆかった)。これは時間を共有することで生まれた空間だろう。

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2021年6月5日(土)
合わせのため個人練習お休み。
ドヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための協奏的二重奏曲 Op.5-3
 (余談)6月26日の「Corte del Traverso(トラヴェルソの中庭)」本番に向けて、今日はドヴィエンヌのデュオ3番を合わせる。動画撮影する時には到達できていなかった細かい部分も練習を行った。
まず1楽章Allegro Molto Con Espressioneの表現方法に時間を割く。個人練習と同じで、最初の数段がスルリと行くようになれば、あとは比較的軌道に乗ってくれるのだ。この曲の1楽章は3/4拍子、EspressioneだけどAllegro Molto。どこでこの両立を図るのか。音量のバランスなど二人で試行錯誤しつつ(一人でこれはできない)本日の着地点を見つけることができた。突破口の一つは当時の移動手段の話題。Allegroだからと闇雲にテンポを速めるのではなく、作曲家自身の日常にあった移動手段のスピード感を考える材料に加えること。ドヴィエンヌの時代は馬車だったはず。少なくとも蒸気機関車ではない。
加えて「二重奏だから」と構えていた部分があったらしい。普段オーケストラでやっていることと大きく何かを変える必要はないのだと知り、少し気が楽になった。ヴィオラは影の宰相のごとく、裏で糸を引いて音楽の流れを支える。裏で糸を引くには相手の様子も音楽全体の様子も把握している必要があるわけで、それが気配りにも繋がるのではないか。
2楽章は主に音量のバランス。個人的には脳内メトロノームからの解放。脳内メトロノームが鳴っている間は、周囲の音に対する注意力が半減していることに気がついた。せっかくフルートが興味深いor可愛いことをやっているのに、それに気付けていないのは残念極まりない。
余談だが、2楽章冒頭のフルートが谷村新司『いい日旅立ち』のメロディラインと同じとうっかり気付いてしまい、しばらく弾きながら笑いを堪えるのが大変だった。合わせの半分は音を出さない時間(雑談含む)でできている。

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2021年6月6日(日)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
クロイツェル:42の練習曲
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
 昨日合わせで気付いたこと、自分の中にある嫌な部分も音楽の一部として出してしまって良いのではないか。演奏で優等生になるという年齢はとうに過ぎたし、嫌な部分も使い方によってはスパイスになるのではないかと。
 今日の練習は自分の嫌な部分(意地の悪さとか)を受け入れながら音を出す時間となった。楽器は最近疎かになってしまっていたモダンの方を。
 音階の後はヴューの1番、クロイツェルの19番・20番・31番、バッハの無伴奏チェロ組曲の4番は全楽章。久しぶりにまとまった時間モダンを鳴らせた気がする。
 いつも迷うことの多いテンポ設定は、昨日合わせで気付いた「作曲者の日常にあったスピード感(移動手段など)」を考えて行う。例えるならモーツァルトは馬車や馬のテンポ感だし、ドヴォルザークは蒸気機関車。現在はコンピューターで作曲したことを感じさせる作品に出会う機会が増えた。それぞれの時代が反映される音楽の作品が持つスピード感。そのうち宇宙船の時代でも来るだろうか。
教本の書かれた年代を確認する日が来るなんて、ヴァイオリン時代には想像もつかなかったこと。見てみると思っていたよりも年代が古かったり、新しかったり。これはこれで面白い。そしていかに自分のリアルタイムに触れていないかを改めて知らされる。新しいと思っていたヴューの教本ですら1931年。第二次世界大戦どころか、五・一五事件も起きていなかった。教本の作曲年代を調べることで、昭和の激動ぶりも改めて知ることになるとは。

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