無本番・練習日記2021年1月4日~1月10日
2021年1月4日(月)
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing Violin
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
音階(C-dur , a-moll)
昨日の練習の続き。まずセヴシックの3番でロングトーン、ジェミニアーニの9番で準備運動。ジェミニアーニは昨日後半を端折ってしまったので、今日は9番全体を弾く。弾くたびに音符の捉え方を変える必要に迫られている気がする。それだけ惰性で弾けないということなのだろうか。そういえばバロックヴィオラを初めて弾いた時も、そこで苦労させられた。
準備運動を終えて、ドゥヴィエンヌの練習へ。今日こそ3・4・6番の3曲とも練習することを目標に掲げる。譜読みは終わっているので、昨日に引き続き、音になっていない箇所を中心に細かいところを詰めていく。同時進行で自分がどう弾きたいと思っているのか、自分自身にアンテナを張りながら音を出す練習。気を抜くと自動的に楽譜をなぞるように弾いてしまっているので、今後も注意が必要な課題と言える。楽譜に書いてある内容と、言語化できない直感。バランスを取っていくのが難しい。そして頭に刻まれた「普通・常識」が時折直感を鈍らせる。「楽譜に書いてある内容と自分がやりたい事のバランスをうまく保っていられるのが、超一流の音楽家」なのだそうな。この言葉を小林道夫先生から聞いた時も思ったことだけれど、やっぱり難しい。まず自分が何をやりたがっているのか、逃さないようアンテナを張り続けていることで一苦労。いかに今までおざなりにしてきたかの顕れ。慣れれば自然にできるようになるのだろうか。とはいえこの気配りで、意図的に音を変えようとするよりも効果的に身体が反応して音を作り出してくれるので、苦労の甲斐はある。
繰り返しも入れながら3曲を見終えて、モダンヴィオラは音階で少しだけ音出し。
こうして弾いてみると、モダンヴィオラは「線」だと感じる。面白い違いだ。
---------------------------------------------------------------
2021年1月5日(火)
音階(C-dur , a-moll)
ドント:練習曲とカプリス Op.35(ヴィオラ版)
ヴュー:音程のための10の練習曲
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing Violin
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
今日の練習はモダンヴィオラから。音階の後、久し振りにドントを取り出し、2番を弾く。数字の指定まではないもののPrestoと指示はあるため、遅いテンポから徐々に速さを吊り上げていく。ゆっくり弾いていた時は意識せずに済んだが、演奏速度を上げると腕の筋肉痛が応える。見開き1ページの半分を超えたところで腕が攣ってしまう。テレビを見ながらやった筋トレが原因なので自業自得。ある程度のところまで練習して、今日は通しで弾くことは諦めた。ヴューの練習曲は2番。メトロノームでテンポを確認したら記憶よりも大分早かったので、弓が素早く動かせるようにボウイングの見直しを図る。この番号は左手もさることながら、右手も大きなカギを握りそうだ。黄昏時で楽譜の見づらさも手伝って頭が沸騰しそうになってきたので、こちらも仕上げは次回以降へ。
バロックヴィオラはセヴシックの時間をやや長めにとる。3番(ロングトーン)と6番。右腕の感覚が切り替わってきたところで、ジェミニアーニの9番を一度通す。返し練習がしたかったが、時間が足りなくなってしまうため後ろ髪引かれる思いでの通しとなった。
準備運動を終えて、ドゥヴィエンヌは6番から練習を始める。今日は捗らない日だったようで、中々冒頭数小節から先へ進めない。終いには果たして自分が弾いているものが音楽になっているのかどうかを疑問視するようになってきてしまったため、「音楽になっているか」にポイントを置いて練習することに。それでも遅々として進まず、結局1楽章の前半で時間切れとなってしまった。
---------------------------------------------------------
2021年1月6日(水)
音階(C-dur , a-moll)
ドント:練習曲とカプリス Op.35(ヴィオラ版)
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
練習できないと思っていたら予想以上に用事が早く終わり、モダンとバロックで30分ずつの練習時間を確保できることに。今日の練習は急ぎ足。
モダンは音階を弾いて、ドントの2番。腕の筋肉痛はまだ抜けていない。筋肉は裏切らないけど、ストライキは起こすらしい。偶然、各番号の練習にバリエーションがあることを巻末に発見し、試しに2つ目のバリエーション(1拍ずつスラー)で少し弾いてみる。これは目先が変わって、曲の理解を深めるのにも良いかもしれない。そういえばこの本はまだ楽譜以外のページを開いていなかった。
時間が来たのでバロックヴィオラへ。準備運動はセヴシックの3番からロングトーンと、6番の2音ずつスラー。モダンの感触をわずかに残してドゥヴィエンヌをさらう。昨日と同じく6番で引っ掛かっていたものの、何としても今日は3・4番も弾いておきたく、何かないかと解決策になりそうなものを探す。6番は何だか形にならない。もがいているうちに「弾きづらい音は、その前の音に原因がある」という言葉を思い出し、それが今日の残りの練習の指標になった。
所々飛ばしつつ、3・4番も見る。4番の2楽章は、何度弾いてもモーツァルトのディヴェルティメントの2ndヴァイオリンを思い出してしまう。フルートが入れば印象は変わるかもしれないが、少なくともヴィオラパートだけ見ているとそのままなので、練習していて毎回可笑しくなってきてしまう。まさかヴィオラでこの動きを弾かせられるとは思わなかった。関連があるのだろうか。そのうち調べてみよう。
3番をつまみながら弾いたところで時間切れ。休符の扱いで気が抜けない。
--------------------------------------------------
2021年1月7日(木)
他用のため練習お休み。
1都3県で緊急事態宣言再発令。
----------------------------------------------
2021年1月8日(金)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
F.A.ホフマイスター:ヴィオラのための12の練習曲
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
緊急事態宣言が再び発せられたことによって今後の本番はどうなってしまうのか、不安で仕方がない(主催者側はもっと大変だし不安だろう)。そんな中でも日々の練習は続く。
モダンヴィオラからケースを開ける。個人的な課題は、モダンの後にバロックを弾くときの、身体のスイッチの切り替え。気分が向いた時は出来るだけモダンからさらうようにしよう。
長めに音階練習の時間を取り、ヴューの2番。ある程度練習してからメトロノームを点けるも、クリック音とメトロノームそのものに振り回されている気がしてならない。消音モードにすれば少しは違うのだろうか。とりあえず今日は流れの速さが把握できたところでメトロノームを止めた。その後バランスを取るために、ドントではなくホフマイスターを取り出し、3番を練習。一昨日の練習で思い出した小林道夫先生の言葉を思い返しながら、短いようで長い6段を弾いていく。「弾きにくい場所は、大体その前の音に原因がある」のはホフマイスターには非常に有効だが、弾きながらヴューに適用するのは難しい。音数が多いものにも使えそうな手段を模索しながらの練習。「迷わず確信をもって音を出せる状況を、その都度の直感と判断で作り出す」のが、現段階においては確実な方法であるようだ。「上手く弾こう」「いい音を出そう」など、見栄を張る隙間は吹っ飛んだ。
確信を得てヴューの2番で試したら先ほどよりは弾きやすくなったことも書いておこう。
バロックヴィオラはセヴシックで準備運動を行った後、そのままドゥヴィエンヌの練習へ。「休符を含む各音符、確信をもって音を出す」「迷わない」ことを念頭に置いて、3・4・6番の3曲とも音を出す。時間の都合で繰り返しは省略。長さの配分に悩んでいた装飾音が入れやすくなったのは意外だった。常に気を配っていなければ直感に対するアンテナは鈍ってしまうが、これを意識していれば個人練習が続いても何とかなるかもしれない。
--------------------------------------------------------------------------------------
2021年1月9日(土)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
F.A.ホフマイスター:ヴィオラのための12の練習曲
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing Violin
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
今日の練習はそれぞれ、モダンは「迷わずに済むように弾く」、バロックは「ごまかさない」が最終的な練習目標になっていた。
明日のドゥヴィエンヌ合わせ&録音に向けバロックヴィオラの練習に焦点を絞るべく、練習はモダンヴィオラから始める。音階、ヴューの1番&2番、ホフマイスターの3番。弾けないところは大抵理解不足のところ。そしてそれを曖昧なままにしてしまっているところ。とはいえあれこれ考えながら弾くわけにもいかないので、「迷わずに済むように」を目指すしかなかった。自分の中で、二つの感情が闘っているのがよくわかる。気を強く持たないと、バランスが崩れそうだ。
30分ほどでモダンの練習を済ませ、バロックへ。セヴシックの3番でロングトーンの時間を長めに取り、6番。ジェミニアーニの教本は9番を。こちらは「(自分や音符を)ごまかさない」の一点に尽きる。最初は一音も聞き漏らさない方向で集中していたが、次第に自分自身が息苦しく、演奏もせせこましくなっている気がした。「ごまかさない」方向に集中力を使った方が余裕が生まれ、音も聞き漏らさずに済むようだ。とりあえず今日のところは。
ごまかさない。「ええ格好しい」しない。
「ごまかせると思うなよ」が近いかもしれない。
-------------------------------------------------------------------
2021年1月10日(日)
合わせ&録音のため、個人練習お休み。
ドゥヴィエンヌのデュオ録音当日。トラヴェルソとのバランスを取るのに四苦八苦。一人の時と同じに弾けば音楽が交わらず、音の質も全く合わない。トラヴェルソとヴィオラとでは、音の体重が違うのだ。個人練習が続くことの怖さは、ここにある。年明けから一人で積み上げてきたものを、自分の中で練り直しながらの時間となった。
そして「立派な音、良い音を出す」ことが、いかに自分の中で「音楽」よりも優先されてしまっているか(脊椎反射的に優先されてしまう)。古典派と認識していた作品に、いかに偏りがあったか。思い知らされたのも合わせならでは。
ドゥヴィエンヌの二重奏をやらなければ、偶然聞こえてきたJ.シュトラウスの音楽に、「国籍が違う…!」と驚くこともなかっただろう。調性によるキャラクターの違いも、古楽器だとより顕著になる。見開き1ページ、譜めくりのない楽譜を合計3曲。ちょっとした不注意でバランスが崩れそうな気の抜けなさ。これを次はモダンで録る。再び練習が始まる。