20年前の芸大受験

昔受けた試験のことなど

 約20年前の今頃、私も受験生だった。年明けて中高大と受験シーズンに突入せんとするこの時期に、昔受けた試験の様子など思い出してみようと思う。

試験の課題曲について

 当時音大は藝大系と桐朋系、大きく分けて二つの傾向に分かれていた。試験の課題曲もその傾向が反映されていたような気がする。入試を終えた後桐朋の課題曲一覧を見て、併願の難しさを知った。内容がまるきり違ったのだ。
 私が受験したのは東京藝大。試験は1月のセンター試験に加え、1次~3次まで、以下のような試験が実施されていた。
<専攻実技>
1次試験:音階と練習曲
2次試験:協奏曲
<専攻実技以外の試験>
3次試験:ソルフェージュ、副科ピアノ

 ちなみに課題曲の発表は副科ピアノが試験の半年ほど前、専攻実技は試験の4か月前に大学内に掲示されていた。ネット発表が今ほどメジャーでなかった時代、そして他大学に比べアナログだった藝大は、大学内の掲示板と郵便物が受験生への伝達手段だったのだ。携帯カメラなんて無いから自らの手でメモを取る。間違えたら大変だ。

専攻実技の試験

 実技試験は基本的に暗譜で行われた。

 [1次試験:音階と練習曲]
 音階はカール・フレッシュの音階教本から。課題曲発表の際に指定された調の⾳階・分散和⾳・分散3度・半⾳階と、3度・6度・8度の重音(音階部分のみ)。演奏テンポは四分音符=100~120の指定あり。遅すぎても早すぎてもいけない。
 練習曲はカンパニョーリ『41のカプリス』とローデ『24のカプリス』からそれぞれ一曲ずつ、課題として指定された番号を演奏する。試験では全部弾かず、適当なところで教授が手を叩いて途中終了となる。
 (余談)私はローデを爆速で弾いたらしく、受験生の中で唯一曲終わりまで弾ききってしまったそうだ。某先生が数年後笑いながら教えてくださった。よく1次試験で落ちなかったな。今更ながらヒヤリとする。

 [2次試験:協奏曲]
 協奏曲はあらかじめ課題曲として提示されていた4曲の中から選択して演奏する。演奏箇所は当日指定。私が受験する年から、協奏曲の試験はピアノ伴奏が付く形式となった。大学側が用意してくださった伴奏者で、受験生本人が同伴した伴奏者は認められない。
 試験当日、はじめましての大学の先生とぶっつけ本番。事前の打ち合わせがあったかどうか記憶は定かではない。

専攻実技以外の試験

 大学の要項には「音楽に関する基礎能力検査及び副科実技等」とあった。個人的な印象としては「早い話が専攻実技以外で残った試験全部」だった。
 [3次試験:専攻実技以外の試験]
・ソルフェージュ
 聴音(単旋律、複旋律、和声(4声))
 楽典
 新曲視唱
・副科ピアノ
 
 1月に受験していたセンター試験は、どうやらこの3次試験の選考に関わってくるものらしい。音大だから影響はないものと思いきやそうでもないらしく、よほど専攻実技の成績が抜群でない限り、センター試験の点数で落とされる可能性は十分にあるとのこと。

心強い同門だけれど

 受験生が少ない楽器だったためか同じ門下生同士自然と交流が生まれ、入学試験の後で一緒に帰ったり、お昼ご飯を食べたりしていた。附属高校の生徒(芸高生)でもなくジュニアオケに所属していた訳でもない私にとって、一時的であるにせよ同門の受験生は心強い存在だった。しかし試験結果発表で、その楽しい時間は苦さも運んできた。
 1次、2次と試験の回数を重ねるたびに減っていく受験生仲間。結果発表を確認しに行くとき、同門の誰とも会わないよう願いながら歩いた真冬の上野公園。一度だけすれ違った時の気まずさ。
 心強い同門だけれど、結果が絡むとこうも難しくなるのかと遅まきながら知った高3の終わりだった。

隠して帰ったもの

 3次試験を乗り越えて受け取った入学書類の袋にはデカデカと毛筆で「芸大合格」と書いてあった。でも3次試験で落ちた人だっている。そんな中でこの袋を堂々と持ち歩くのは気が引けた。幸い片面だけだったので、帰り道は一生懸命隠して帰った。今もやっているのかしら「芸大合格」紙袋。

 最後になりましたが、がんばれ受験生。

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