七夕の魔法
『き~ら~ き~ら~ひ~か~る~』
幼稚園から聞こえる可愛らしい歌声が聞こえてくる。
「そうか、七夕かぁ」
雨がしとしとと降る中、道路をぼんやりと歩きながら思い出すのは、自分の幼い頃の思い出だった。
小学校の給食で食べた『七夕ゼリー』は美味しかった。
大人になった今は、どこかで目にすることはなくなってしまったけれど、1年に一度だけ目にするあのゼリーは格別な美味しさだった。
休みの子がいると、やんちゃなクラスメイト達はガッツポーズをして飲み物のように自身の給食を掻っ込むと、配膳台に集まってじゃんけんを始める。
休みの子の、余ったゼリーがかかった真剣勝負だ。
勝者の雄たけびが聞こえたすぐ後には、今度は牛乳をかけてまたじゃんけんが始まるのだ
懐かしいあの頃。男子に交じって、女子が居ても誰も何も言わなかった、男女関係ないのが当たり前だったあの頃。
あの頃は本当によかった。
そう思いながら重い足を引きずるように職場へと向かう。
片手の自由を奪う傘が枷のように感じた。
今日もまた同僚は素っ頓狂な事をして上司に雷を落とされるのだろうか。
私はまた自分の仕事を抱えながらフォローをして、上司のご機嫌もとらなくてはならないのだろうか。
私よりも年上で、先に入社したというだけで私よりもお給料をもらっている同僚。『男性だから基本給が高い』とも誰かから聞いた。
私は女性だからというだけで〇〇チャンと呼ばれたり、取引先に『女の子』とひとまとめにされるのだ。仕事の支持出しやとりまとめをし、仕事も私の方が倍も片づけているのに。
本当に理不尽な世の中だと思う。
悶々としながら公園横の小道を通ると、子供がベンチで泣いていた。
通行人も、まるで彼女が見えていないかのように振り返りもしない。
泣き続けるその子の周りには親は居ない様だった。
可哀想にと、気にはなるがこのご時世だ。善意で声をかけた途端、通報されたらかなわない。
幼い子供への声掛け事案はすぐさま警察が出動し、市内への警戒メールが飛び交い馬鹿にならない大事件になる。私の人生が終わるかもしれない。
だからと言って、泣いている子供を放置して歩き続けることなどできなくて、私は公園の脇の自動販売機でジュースを買うふりをして、子供の様子を伺った。
綺麗に髪の毛を結い上げたその子は薄絹を重ねたような服を着ていた
中々見ない出で立ちに私は一瞬怯んだけれど、意を決して声をかける。
「どうして泣いてんの?」
彼女は驚いて涙に濡れた瞳をこちらに向けると、私見てまたボロボロと雫を零す。
真珠のような涙は留まることを知らず、こすり続けた袖は屋根のあるベンチなのに雨に濡れたかのようにびしょびしょになっていた。
「そんなに目をこすったらだめだよ」
私は鞄からハンカチを差し出す。彼女は差し出されたハンカチをおずおずと受け取ると、目に当てて涙を拭った。安心したのか、少しずつ泣き止んでくれた。
雨も少し弱まってきたように感じる。
「お父さんかお母さんは?」
尋ねるとその子はぶんぶんと頭を振る。
「そうかぁ、どうしようかなぁ」
やはり交番に連れていくべきかと悩んでいると、雨だというのに野良猫が前を横切った。
手足の先だけ、長靴を履いたように黒い猫だった。
さっきまで泣いていた彼女は目を輝かせ、猫の後をゆっくりと追い始めた。
声をかけてしまった手前、そのまま放っておくことも出来ず私はため息を一つ溢しその後を追う。
傍から見ると随分と滑稽に見えるだろう。猫を追いかける子供、その子供を追いかける私。その構図が面白くて自分でも思わず苦笑してしまった。
パラパラと降っていた雨も、ミスト状になり、やがて雨粒は落ちて来なくなった。
猫は、時折振り返っては鳴き、まるで「こっちだよ」とでも言っているようだった。
子供は嬉々として追いかけるけど、日ごろの運動不足がたたったのか私の方は息が上がっている。
不幸な事に段々と太陽が雲の影から顔を出してきた。ジリジリと肌を焼く太陽光を晴雨兼用なのを良いことに傘で遮り猫と子供を追いかけた。
ビル群から出て開けた場所に来ると雨上がりの空に大きな虹がかかっている。
思わず感嘆のため息を漏らすと、子供に裾を引っ張られた。
視線を彼女に映すと、その子は笑顔で虹の麓を指す。
「あそこに行きたいの?」
尋ねると子供は大きく首を縦に振り、いつの間にか足元にいた猫も『にゃおん』と鳴いた。
私は、裾を掴んでいた彼女の手を取ると、虹にむかって歩き出す。
河川敷まで来ると、猫は川に向かって走り去ってしまった。
子供が残念がるかと思ったが、彼女は私の手を離しペコリとお辞儀をする。
『ありがとう』
小さい、囁くような声が聞こえたかと思うと虹に向かって駆けていった。
「あぶな…っ」危ないと言いかけた私の眼には不思議な光景が映った。
子供から少女へと段々と大人になっていく彼女と、彼女が通ったところからどんどんと消えていく虹。まるで、虹は彼女を迎えに来た橋のようだった。
虹が全部消えてしまうと、傘を手にたたずむ私だけが残された。
何もなかったかのように、さらさらと流れる川と、ジリジリと私を焦がす太陽。さっきまでの不思議な体験はなんだったんだろうと、しばし呆然としていた。
どのくらい空を見上げえていただろうか……。
腕時計を見ると始業ギリギリの時間だ。
私は慌てて会社に向かって駆け出す。
しかし、先程と違って心は晴れやかだった。
通り過ぎていく町並みは、雨上がりだからかいつもよりキラキラと輝いて見えた・
これも、あの子の、七夕の魔法なのかもしれない。
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