内堀弘『ボン書店の幻』


内堀弘さんの『ボン書店の幻』(ちくま文庫)読了。1930年代に、モダニズム詩集を独力で出版.印刷していたボン書店の青年店主.鳥羽茂の生涯を追った作品です。


私は学生時代、左川ちかという夭逝した女流詩人の詩が好きでして、彼女がよく寄稿していた雑誌が、ボン書店と北園克衛らが出していた『マダム・ブランシュ』でした。
雑誌のタイトルは覚えていたものの、ボン書店や鳥羽の名前は知りませんでした。
それでも、内堀さんの文庫本の付録にあったボン書店の刊行書目.詩人名のリストを眺めると嘆息もの。


自らも古書店主である内堀さんは、今は忘れられた鳥羽と、詩史に名を残さなかった詩人たちの生きた証を、地下の水脈を探るように丁寧に辿っていきます。


文庫本の冒頭に、実際に鳥羽21歳の写真が掲載されています。 写真の彼は、長髪で人好きのする、いかにも書生風の好青年。
慶應を退学して、出版業を始めた頃のようですが、内堀さんは、大正~昭和初年のモダンな空気に触れながら、そのアルバムをめくります。

鳥羽青年は、雑司ヶ谷で儲かりもせず、ただ好きな詩集を美しい造本に仕立て、新しい時代の息吹に生きていたようです。鳥羽が暮らした雑司ヶ谷鬼子母神の欅並木の風景が目に浮かびます。

戦争の足音が聞こえる時代とともに、貧困窮まって挫折した鳥羽はひっそり東京から姿を消しますが、当時は同じような青年が沢山いたのかなと。

その後の消息について、単行本(1992年)では結局わからなかったのですが、2008年の文庫版あとがきでは、鳥羽のその後が、思いがけない人物を手懸かりに語られています。

あとがきのラスト、鳥羽の最期の地に残された風景描写が泣けるくらい素晴らしい。ぐっときます。

というのは、その描写自体がさながら一篇の詩になっていて、なるほど、鳥羽は最期までやはり「詩人」だったんだと、何か救われた気持ちになるからです。 「詩人」というのは、生計を立てる職業の謂ではなく、あくまで個人のスタイル(生き方)だとあらためて考えた次第です。

故人を第三者が、同情心であれ「不遇の人生」だったと一言で片付けるのは、ある意味不遜なことかもしれません。

内堀さんの筆致にはそんなところがなく、爽やかな優しさに溢れています。
昔のアルバムにある、古びた一葉の写真を眺めながら、セピア色の物語を聴いたような読後感です。

特別、モダニズム詩に関心がなくても、書物を愛する方々にお勧めしたくなるくらいにいい本でしたよ。


2009年4月記

追記 その後、ちかの研究を本格的に進めるようになった私は内堀さんとも直接、またはお手紙でやり取りさせて頂くようになりました。内堀さんの筆致は実に美しい。

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