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そこそこ良かったよ。何なら今よりも。

私の場合、どこからはっきり「社会人」なのかは分からない。でも大学を出て仕事を始めた1年目、その行動も行動力も、間違っていなかったと思う。うん、良かったよ。

まず喧嘩してでも一人暮らしを始めたこと。本当にグッジョブだった。往復3時間だった通学(もしそのまま実家だったら通勤)時間のロスもあったけど、それよりも最寄り駅にもよっていない場所ゆえに「行き帰りに迎えが必要なこと」が足かせだった。やましいことがなくても、帰るために必ず親に連絡をして、状況によっては2時間待って帰宅しなければいけないのは、一人で行動できる年齢の人間には制約が大きすぎる。ちゃんと料理をしていたのも偉い。

ラボのお仕事は、英文記事をよく書いてたと思う。めっきり英語を使わない今ではなんで書けていたのか、という感覚さえある。取材をやらせてもらえたことも、教授陣の時間をいただけたことも、とにかく記事書きの仕事をもらえたこと自体誇れることだから、自信をもって取り組んで。

次も場所としては良いところだったけど、巡りあわせが……うん。普通酒臭くて手を震わせながら仕事をしている人なんていない。論理的な話は通じない、合理性よりも肌感覚が法律。だから真剣に悩まなくても大丈夫だ。今にしてみたら帰り道に暗涙止まらず数時間カフェに居座るなんてしていたら、即それなりの対策を取っただろうけど、そこはまだ若かったので仕方ない(笑)。

この年に感じていた「楽しさ」「おかしいと思うこと」、数年経った今でも、今だからこそもっと強く、正しい感覚だったと思う。楽しいことは自分を高みに連れていってくれるし、おかしいと思うことは自分を蝕んでいく。良くも悪くも少し経験を積んできた結果、今また人生を考える局面になぜか足を突っ込んでいる。経験が浅く無知なために正解の判断ができなかったこともあるかもしれない。だけど、持っていた芯は間違っていなかった。

だから、今さらだけど、大丈夫。


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