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抄訳・源氏物語 a系

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源氏物語にはa系、b系と言われるものがある。ここにはa系をまとめました。
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記事一覧

抄訳・源氏物語〜桐壺 その八〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その八〜

元服の式の夜、源氏は左大臣家の婿となった。
左大臣家では、他と比べようも無いほどの、盛大な婿取りの儀式が行われた。
とても若く高貴な美少年の婿を、左大臣はとても可愛く思った。
姫は4歳年上の16歳。葵上と呼ばれている。
葵上は自分が源氏よりも年上であることを恥じらって、不釣り合いなのではないかと思っていた。
左大臣家は帝の信頼も厚く、勢力を持っている上に、左大臣の妻は帝の同腹の妹。どこから見ても正

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その七〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その七〜

源氏の美しい子供の姿をいつまでも変えたくないと、帝は思っていたが
12歳になった源氏は、元服の式を行うことになった。
源氏のための式は、帝自ら全て指示して準備を行った。
源氏よりも先に行った春宮の元服の式には紫宸殿を使っての盛大な式だった。
帝は源氏にはそれ以上の、引け目を感じさせない立派な式させてやりたかった。公式的な式では物足りないと思って、各場所で豪華を極めた式を行った。

清涼殿の東面の庭

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その六〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その六〜

月日がたっても帝は今だに桐壺の更衣が忘れられず、試しに美しいと評判の姫を後宮に呼ぶこともあったが、亡くなった桐壺の更衣の美しさや優しさがより際立ち、悲しい思いをするだけだった。
そんな時に典待から『先帝の第四の内親王様が桐壺の更衣、そっくりの美しい宮さまです』と聞き、その宮の母親に入内をお願いしたが
「桐壺の更衣がいじめられて亡くなったと聞いている後宮に可愛い娘を入内させるなんて恐ろしくて出来ない

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その五〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その五〜

祖母を亡くした若君は内裏で暮らすことになった。
七歳になって読書を始めると他の子供たちと違い、聡明で賢いので帝はとても驚いた。
それ以外にも琴や笛などの管弦の才能もあるようで、教えていた者も胸を打たれるほどでした。
帝は母がいない若君を、後宮に連れて行くことが多かった。
女御や更衣たちに「母のいない可哀想な子だから、可愛がってやって下さいね」などと言って、弘徽殿の女御の部屋にも連れて行って、御簾の

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その四〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その四〜

更衣の葬儀も終わり、実家では更衣の母が悲しみに打ちひしがれる時に、内裏から使者が来た。帝は更衣が生きているときに、「女御」と呼んでやれなかったことが心残りだったと思われて、従三位の位を贈るとの宣命を読み上げた。更衣の母は嬉しさよりも悔しさの方が勝り、嘆き悲しんだ。
帝の心はもっと上の位でも。と思っていたが、流石に非難する者が多かったので、心の中だけで「后」と思うようにした。
生きているときは帝の寵

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その三〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その三〜

若君が三歳になり、袴着の儀式をする時、内裏にある豪華な金銀や衣装、調度品を使い、第一皇子の時よりも盛大にしました。帝の一存だったので、上達部たちは非難をしていたが、若君が成長していく姿や顔立ち、その性格の可愛らしさなどが、どの皇子よりも優れていたので、憎みきれなくなっていった。教養のある人たちからは
「このような人が、現世に生まれてくることがあるのかと」と驚かれるほどの若君だった。
その年の夏、桐

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抄訳・源氏物語〜桐壺 そのニ〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 そのニ〜

そんな辛い日々の中、桐壺の更衣が妊娠した。
内裏では血や死と言うものは、不浄とされていたため、実家で出産をした。
第二皇子として生まれた若君は、帝と更衣の絆が生前から深いものだという証となった。
生まれた皇子が、目を奪われるほどの美しさだと聞いた帝は、産後まもない更衣に一日も早く参内するようにとせかされた。
帝は若君が生まれるまでは、桐壺の更衣を朝晩と、時間も場所も関係なく、
自分の側に置いていた

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抄訳・源氏物語〜桐壺 その一〜

抄訳・源氏物語〜桐壺 その一〜

どの帝の時か、かなり昔の事、
女御、更衣と言われる妃たちが沢山いた後宮に、それほど高貴な身分でもない
一人の更衣が、帝から深く愛されていました。
自分は誰よりも大切にされるものだと、気位高く思っていて女御たちは、この更衣が目障りと思い、同じ位の更衣たちやそれよりも下の更衣たちは、なぜこの更衣だけがと、嫉妬の思いで見ていました。

更衣の父親は按察大納言、母親は由緒正しい家柄の出であったが、入内前

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