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ヴィオラと出会って②


※この記事は『ヴィオラとの出会い』の後の話になります。
自分のルーツを振り返るのにもう少しその先を、そして詳しく書いてみたくなりました。
拙い文章ではありますが、よかったら読んでみてください。
記事を数回に分けて書いていきます。



小学校の部活動で出会った、ヴィオラという弦楽器。

小学校卒業後も続けたかったけれど、進学する中学校には弦楽合奏部はなかったため、どうしようかと悩んでいたところにトレーナーで指導に来てくださっていた先生が

「私が入っている市民オケにジュニアオケがあるから、そこにおいで」

と、声をかけてくださった。

しかし、楽器は学校のものを使用していたので購入しなければならなかったのでひとまず親に相談。ちゃんと続けられるのであれば…、ということでOKをもらった。

後日そのことが祖父の耳に入り、なんと楽器代を出してくれたのだった。
どういう経緯でこのようなことになったのかは正直覚えていないが、大好きな祖父に初めてのヴィオラを買ってもらったことがとても嬉しかったし、特別なものがあった。


マイ楽器を手にすることができた私は、先生が薦めてくださったジュニアオケに入った。

ジュニアオケと言っても弦楽合奏の団体で、さまざまな弦楽合奏曲を練習しながら大元の市民オケが定期演奏会に向けて練習しているオーケストラの曲も1〜2曲練習し、大人の皆さんと一緒に定期演奏会に乗れるよう練習に励んでいた。
※日々練習していた弦楽合奏曲は、定期演奏会の中で『ジュニアオケ演奏披露コーナー』みたいなのを設け、そこで披露していた。

当時の私にとっては急な曲数増加と難易度アップがなかなかに大変だったが、より良い刺激を受けることができてとても楽しかったのを覚えている。

中学生になり勉強にプラスして部活動も掛け持ちしていたため毎日が忙しかった。
部活動は、吹奏楽部と特設合唱部。朝とお昼休みに合唱部(大会近くなれば放課後も)、放課後は吹奏楽部、週末は小学生から習っているピアノ、土日はジュニアオケと音楽漬けな日々だった。

しかし、学校のことが忙しく習い事もピアノに加えて塾も通うようになった私は、正直ヴィオラを練習する時間がなくなってしまっており、ジュニアオケも一旦離れることになった。
記憶が正しければ、中学2年生になる前だったかと思う。


今思うと、なかなかにハードな毎日だったが、せっかく買ってもらったヴィオラが可愛そうだったなと、もっとたくさん触れるべきだったなと後悔がある。
思春期という難しい年頃ではあったが、もう少しヴィオラと向き合っても良かったのでは?
と当時の自分に問いかけたい。

でも、この後すぐやってくる高校受験で
「進学する高校をどこにするか」
人生最初の運命の選択と言っても過言ではないくらい、
大事なことを決めた。

母校の高校ではない違う高校に進学していたら、
この選択を間違えていたら、
今ヴィオラ奏者として活躍していなかったかもしれないと思うと
少しゾッとする。



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