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大人っぽいは、大人ではなくイメージである。

なぜ、子ども扱い?

 友達が会社で子ども扱いされると話していた。社会人になるまでは、そんなことはなかったらしい。何が違いなのか気になったので、考えてみた。

 すぐ思いついたのは、歳の差の振り幅である。学生時代の歳の差は微々たることが多いが、社会では、ひとまず60歳を上、18歳を下と考えると42歳差もある。この歳の差が立場は違えど、同じ組織に属しているというのは、今までになかったはずだ。その振り幅によって、子ども扱いに感じるということ。
 だが、今回の話はさほど歳の差がない同期社員からも言われるらしい。そうなると、精神的な成熟度などが頭に浮かぶが、その友達に限っていえば実際に接していて幼稚だなと感じることはない。なので、今回は精神的な成熟度などの判断がしにくい部分はひとまず横に置いて、見た目という点で考えたことを書いていきたい。
 また、あくまでなんでだろうと考えていた内容なので、全く調べてもない。自分の頭でぐるぐると思考しただけなので、そんなに期待しないでほしい。

持ち物によるカテゴリー化

 子供っぽい、また大人っぽいというカテゴリー化が起こる原因として、見た目があると思う。それはもちろん童顔や老け顔といった顔の作りもあるが、立ち振る舞いや声のトーン、持ち物などの変化させやすい部分にも要素がある。

 今回はその中でも、持ち物に焦点をあてて話したい。例えば、黒い皮の二つ折り財布と布素材の二つ折り財布があるとして、どちらを大人っぽく感じるだろう。デザインによるところもあるが、大半は黒い皮の二つ折り財布だと思う。このことから元々、黒い皮の二つ折り財布には、大人っぽいといったイメージが備わっていることが分かる。そういったイメージが備わった物を身につける、持つことは大人っぽいイメージを得やすいだろう。なぜなら、そのもの自体に付属するイメージをそのまま纏うことができるからだ。社会人の持ち物でいえば、ペン、手帳、時計、スーツなどなどがあるだろう。いわゆるフォーマルといったものを選び、子供っぽいといったイメージを持つ物を無くすだけで、周りからのイメージも変化させることができるだろう。

注意点

 ただ、これは格式ばったものや価格の高いもの、ハイブランドを買えばいいということではないことを注意してほしい。大人っぽいイメージあるものであればいいのであって、安くてもそれっぽくイメージを形成できるだろう。見る人が見ればバレるとは思うが、ここではあくまでも「っぽい」というあやふやな概念に対抗しているのであって、本当に大人である必要はない。
 また、もう1つの注意点としては、別のイメージだ。例えば、蛍光色やパステルカラーみたいな色は、あまり見かけず、個性がでてしまう。大人っぽいという強いイメージに作ろうとしているなかで、個性がでてしまうとまた別のイメージが同時に形成されてしまう。こういった別々のイメージは共存するが、片方のイメージを弱めてしまう。そのため、今回のような場合には適さないと言えるだろう。

脱線

 通ずるところがあるなと思ったのは、自分が年相応の物を揃えていこうとしていることだ。最近買ったものでいえば、KameManNenの眼鏡やカガリユウスケのブックカバーだろう。正直、高価なハイブランドかといえばそうではない。ただ、ブックカバーに7000円出すのは、人によっては高いと感じるだろう。
 身の回りからこれでいいやで選んだものを減らして、これがいいというものを増やしていきたいと考えている。それは、自分に何らかのこだわりを持っているイメージをつけたいという下心もある。年相応は色んな捉え方があると思うが、個人的な意見で言うと、今の年齢の年相応は守るものも少なく、自由にできるお金、時間も多い。そのため、損得や有用性を度外視した買い物をすることができると思っているところも大きい。(まぁ、そもそも守りたいものを傍に置けるか、また守れるかすら怪しいが……。)

結論

 自分語りで道筋を逸れてしまったので、本題に戻ろう。大人っぽいは、大人ではなくイメージである。同じく子供っぽいも子供ではなくイメージである。社会人はこの体裁を保つイメージに対してこだわることも大事だとは思う。
 が、しかし、そんな他人が抱くイメージに拘って、自分自身の好みを殺さないでほしいと強く思う。自分自身は他人の頭に存在するイメージではなく、ハッキリとした実物なのだから。


なんちゃって。


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