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社会人一か月目の弱音

社会人になった。業界や部署の一員として、一人の社会人として、男性の多い会社で働く女性社員として、覚えることが山積みの毎日。具体的に言うと、現場仮配属になって早5日でメモ帳が半分埋まるくらい。

このnoteを読んでくれている方はご存じかもしれないが、昨年度の私はひたすらに精神をやられていた。家庭環境は最悪なうえ長年の夢は絶たれた。そんな脆弱な自分を誰にも見せたくない、頼ったところで人間なんていつかは裏切る、と強がった結果、一人で蒲団にくるまり泣きながら寝る日々を過ごした。日中でも空いている時間は常に泣いていた。焼酎瓶を片手に心中を図った夜さえあった。

社会人になってから一か月が経つ。わかったことはふたつ。メンタルの不調の半分は多忙により解決することと、大人になることは諦めることだということだ。

まずメンタルについて。この一か月、泣かない日が増えた。日々の予習や復習をこなし、業務上に生じた疑問について考えて、ご褒美に自分の趣味(コスメやエヴァンゲリオンなど)について考える。そして早い時間に寝る。病む時間を与えさせてくれないのが、社会人なのだと感じた。

ただ、漠然とした不安、寂しさのようなものが、魔物の如く私を襲うときがある。そうなったときの対処法はひとつ。寝ることだった。魔物が手を伸ばす。私は必死に目を瞑る。以前だと魔物に喰われてしまうがここはやはり社会人。勝率が上がってきた。誰かを頼りたくなる夜もあるけれど、こういう頼り方は自分をだめにすることを、自分がよく知っていた。今は辛くも勝つという状態だが、何とか、すんなり勝つようにしたい。

そして大人になるということ。私は長い間、将来の夢はひとつだった。それ以外でも一貫していたのは、何かを創作することだった。就職活動だってそれにまつわる業界を選んでいた。だが上記の通り、家庭環境と就職活動の波乱、その他が相まった。すんなりと解決できるものは何だろうと考え、就職活動を無理矢理終わらせた。仕事に忙殺されつつも、その傷は今も痛む。特に強く傷んだ出来事を記させていただきたい。

研修中の試験での出来事だ。私は中学の頃から真面目に勉強していたと思う。同期の大半は勉強をほぼやっておらず、部活一筋だった者ばかり。言い方が悪いのは承知だが、そんな面子に、勉強だけでは決して負けたくなかった。試験の答案が返ってきて、私は同期全体で二番。一番は、部活で大学まで行ったと話していた同期だった。私はその後彼と話す機会があったので、就活の話をした。彼はこういった。「この会社が第一志望で、ここしか受けていない」15~6社受けて今の会社しか受からず涙を呑んだ私は耳を疑った。同時に、もし自分が第一志望の会社で研修を受けられたら、どんなに幸福なことだっただろうと思えた。第一志望の会社に充てた、熱を帯びたエントリーシートを思い出した。魔物が押し寄せてきた。もちろん喰われた。

時折魔物に勝ちつつ喰われつつ、気づいたことがそう、大人になることは諦めること、である。文学が好きで専攻し、文学や活字に携わりたい、創作をしたいという私の夢は諦めなければならないのだと。大抵の理系の人間のように、やりたいことと専攻が一致していればよかったけれど、私が文学以外を専攻したくないと言い張る愚かで我が儘な人間だったのだと。その贖罪かつ成長の兆しが、断念することなのだと。そう思えた。

私の好きな小説、森博嗣の『喜嶋先生の静かな世界』に、こんな一説がある。大学から院、それも博士課程まで修了した主人公が、社会人となり自らを憂う箇所である。

いつから、僕は研究者を辞めたのだろう?
帰宅する途中、坂道を上りながら、僕は夜空を見上げるようになった。街の明かりがぼんやりと周辺を霞ませていて、星はか弱く高いところにしか見えない。
ずっと、空なんて見なかった。
自分のこと、研究のことで頭がいっぱいだった。
今は、いろいろなことを考える。それは、大人になったとか、一人前になったとか、バランスの取れた社会人になったとか、家庭を持ち、人間として成熟したとか……、そういった言い訳の言葉でカバーしなければならない寂しい状態のこと。(373-374)
森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』(2013)

言葉の使い方で90分怒鳴られ、文学の読み方が間違っていると言われた大学時代。思い出すだけで涙が出る。だが、どんな私でも受け入れてくれるこの世で唯一の存在である文学について考えを巡らせることができた時間は、かけがえのないものだったと実感した。社会に出たら、否、今の私の環境だと、文学に触れていない方が生きやすいのではないかと思えてくる。私にとって、世界で一番大切な文学なのに。自らの夢や好きという温かく確固たる感情を捨てなければならない。

そうはわかっていても捨てられないのが性というもの。こうして泣き言を紡ぎ、第二新卒での就職を考えてしまう。こんな私を受け入れてくれて、皆温かい会社なんてまたとない。そうは思っても、自分の夢を捨てられない。何より希望部署に行くまでの下積みが6年は長い。

そんなまとまりのない弱音を夜な夜な零していると、横に気配を感じた。今日も負けちゃうんだろうな。


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