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ウクライナ旅行記2024【1日目】

緊張しているのかよく眠れないままその日を迎えた。

ポーランドのクラクフ中央駅、9時50分発プシェミシル行きの列車。
この区間はまだポーランド鉄道が運行する通常路線のため、ポーランド国内を移動する乗客もいるのだが、早くも隣の座席にはウクライナ人女性が座った。

まずは国境手前の街プシェミシルまで約2時間半。
友人Gから「今晩会えるのを楽しみにしている」とメッセージが届き、いよいよ本当にウクライナへ向かうのだと実感する。

プシェミシル駅に着くとアコーディオンによる【Oi u luzi chervona kalyna】の演奏に出迎えられた。ウクライナの愛国歌として知られ、とりわけ2022年の侵攻開始直後に歌手のアンドリイ・フルィヴニュク氏が軍服に身を包みソフィア大聖堂の前で最初のフレーズを歌った映像がソーシャルメディア上で大きなムーブメントとなった。

アコーディオンの音色に耳を傾けながら、プラットフォーム間を移動するための地下道から地上に出ると、有料の(掃除の行き届いた)お手洗いがあってひと安心。 売店や待合室も完備されているが、発着便を示す電光掲示板は故障中だった。次の列車がどこから発車するのかわからない。
まだ時間はあるので街の様子を見てみようと駅舎の外に出ると、ジプシー風の家族連れが屯ろしていて決して治安が良いとは言えなかった。 駅周辺散策は早々に諦めて駅舎内に戻り、ぼんやり遠くの景色を眺めていると一番向こうの線路に懐かしい青い塗装の車両が見えるではないか。
先ほどの地下道へ再び降りてみると、【ウクライナ行きは4-5番ホーム】という案内が。 到着時はお手洗いを探すことに必死で見逃していたのだ。

この案内に気付かなかったら乗り遅れていたかも
ハルキウやオデサへ行く列車もあることに驚く

矢印の指す方向に向かって歩いて行くと駅の外に出てしまった。さらに線路沿いに進んでいくと、遠くにスーツケースを持った人々の長蛇の列が見える。あれが出国審査場で、駅周辺を散策している時間などないのだとすぐさま理解した。

審査場の中は空港にある入国審査場と同じように窓口が並んでいる。
いよいよ私の番。 審査官は私のパスポートの中でもウクライナへの出入国歴を特に入念にチェックしていたように思う。 ポーランド人でもウクライナ人でもない第三国からの渡航者だからなのか、追加で顔写真撮影があった後に無事出国を許可された。

ようやく先ほど駅舎から見えていたウクライナ鉄道【Укрзалізниця】の車両とご対面。すでに感極まる。

この時はもうウクライナに到着した気分だったが…

ここからはウクライナ鉄道のオペレーション。 私はリヴィウで下車するが、終点は首都キーウのため寝台車両だった。

どんなメンバーと4人組になるのかが旅の快適さを左右すると言っても過言ではない。 ドキドキしながら自分の席(正確にはベッド)のあるコンパートメントへ入ると、お母さんと10代と思しき娘さんの親子がすでに到着していた。そしてここに”ばっちりメイク”のお姉さんが加わった。

ところでこの頃のポーランドとウクライナ西部は連日気温30度前後の猛暑。
まさかここまで暑くなるとは思っておらず、私は半袖Tシャツにジーンズという服装だったのだが、これは大失敗。かつてはこんな猛暑になることもなかった国の旧式寝台列車に空調設備などあるはずもなく、列車内はサウナ状態と化した。

14:45 定刻出発 
列車が走り出すと、窓から風が入ってきて幾分かましになった。
娘さんはひょいっと梯子を登って上段のベッドに収まったものの、お母さんは登るのを諦めたのか通路に出て窓の風に当たっている。 私も壁に背中をもたれかけ、靴を脱ぎ、両足をベッドに投げ出した。
すると既にくつろぎモードに入っていたばっちりメイクのお姉さんが「あなたの枕も上にあるわよ、あったほうが背中が楽でしょ?」と声をかけてくれる。
頭上に収納されていた枕を引っ張り出してきて、背中に当てると快適さが増した。

あまりの暑さに飲み物を持参していなかった乗客達が売店を兼ねた車掌室に集まってきているらしい。ついには上半身裸のおじさんも登場。
ばっちりメイクのお姉さんはショートパンツにタンクトップという服装で、マイペースにスマホで動画を見たり、持ち込んだサラダを食べている。この慣れた様子から察するに、きっと彼女はこのルートでの国境越えを何度も経験しているのだろう。
キーウに住む友人のLはいわゆるキャリアウーマンで、戦争が始まってからも頻繁に国外出張に出かけている。バスも含めたあらゆる手段とルートを試した結果、鉄道でワルシャワへ出るのが最も”マシ”だと教えてくれた。Lとはキーウで会う予定だったが、急な出張のため私と入れ違いでポーランドに出国することになり会えずじまいとなった。
このお姉さんはどことなくLに雰囲気が似ている。

娘さんは熱心にペンで本に何やら書き込んでいて、数独やクロスワードか何かのゲームに励んでいるらしい。お母さんはコンパートメントに戻ってきたけれど上段には登りたくないとのことなので、私のベッドを半分こすることにした。

国境の街メディカでしばし停車。 プシェミシルと比べるとメディカ駅には駅と呼べるようなものが何も見当たらない。

サウナ状態のコンパートメントからの眺め

15:23 ついに国境を越える
国境にはそれらしき物理的な線や壁は見当たらなかったので、Googleマップにかじりついていなければ気づかなかったであろう。

国境をわずかに越えたところで再び停車。ここから無風の1時間が始まる。

ウクライナ側の国境警備隊が列車に乗り込んできて、女性隊員が丁寧に一人ひとりに挨拶をしながらパスポートを回収していく。 私には英語で意思疎通ができるかを確認した後に、国籍を聞かれたので「日本」と答えると、続けて入国の目的、滞在中の宿泊先、滞在日数、過去のウクライナ入国歴、直近の入国日などを非常に礼儀正しく質問された。

余談だが、つい最近ウクライナでは第二言語として英語の地位を高める法律が可決されたと聞いた。 国政に関わる政治家のみならず、自治体の首長レベルにまで英語が必須とされ、子供は幼稚園からコミュニケーションスキルとしての英語教育が受けられるそうだ。侵攻が始まってからは、各地方の首長や軍関係者が英語で海外メディアのインタビューに応じ、地域の現状を語る場面を皆さんも多く目にしたのではないだろうか。

国境警備隊も感じいいじゃない、なんてホッとしたのも束の間、先ほどの女性とは打って変わって屈強な(ハリウッドスターのロック様のような)男性隊員がやってきた。 このコンパートメントに外国人がいると報告を受けているのだろう、私と目が合うなり挨拶もなしにスーツケースとバックパックを開けるよう指示をしてきた。 指示どおりに両方とも開いて差し出すと、おもむろに覗き込み、でも手を入れたりすることもなく、溜め息混じりに「なんだ洋服だけか、なら良し」と返却された。次にそれならばと「薬を持っているか?」と尋ねてきた。

正直に頭痛薬とビタミン剤を持っていると答えたところ、これまた全て見せろと言うので、日本から持ってきた常備薬の入ったポーチを差し出した。隊員はポーチから薬のシートを取り出し、カタカナで "ロキソニン" などと書かれた文字をしばしじっと睨みつけたかと思うと、「読めねえ」とひと言呟き、丁寧に薬をポーチの中に戻して返却してくれた。
いったいどんな危険な所持品を期待していたのだろうか。
後から友人から聞いた話によれば、戦時下であろうと平時であろうと、よく準備された慣れた様子のアジア人女性が単独でウクライナに渡航してくることは非常に珍しいので、スパイの疑いがかけられる可能性がゼロではないのだそうだ。(ちなみに日本人だということが証明された時点でかなり疑いは晴れる…)
なるほど、ポーランド側でもウクライナ側でもウクライナへの渡航歴を詳しく見られたのもこういった理由が関係しているのだろう。
晴れて ”ただの旅行者” だということが証明され、屈強な隊員は別の車両へと移動して行った。

16:15 無風の車内はいよいよ限界に近づいてきている
クラクフ発プシェミシル経由リヴィウ行きのチケットはポーランド国鉄のサイトから購入した。各国区間でのオペレーションが別になるため、2便分のチケットQRコードが必要となるが、1度の購入決済で両方のチケットが発行されるのは大変便利だった。(ちなみに帰りの便はウクライナ鉄道のサイトから購入することになる)
チケット購入時の予定運行時間は2時間半とのことだったけれど、入国審査の時間が含まれているのかはわからない。定刻での到着は最初から諦めるべきだったのだろうか。ホテルに到着が大幅に遅れると連絡を入れようとしたその時。

16:20 ついに最初の女性隊員がパスポート返却のために姿を現す
一人ひとりの名前を呼び、顔写真と照合しながらパスポートを返却していく。私のパスポートに入国スタンプが押されていることを改めて確認をした上で、”Nao, Have a nice trip” と優しい笑顔で手渡してくれた。
4年ぶりのウクライナ入国。心の中で泣いた瞬間だった。

こうして列車は再び出発したものの、あと1時間でリヴィウに到着するのは無理だろうと半ば諦めの境地でいると、馴染みの線路では本領発揮とばかりに列車はこの日最速の猛スピードで走り始めた。
ばっちりメイクのお姉さんはこの間にしっかりとメイク直しを済ませる。さすが。

16:55 あっという間にリヴィウまでの半分地点を通過
どうやら定刻に到着しそう。依然日差しは強いものの、この頃には暑さは少しばかり和らいだように感じた。それでも暑さで予想以上に体力を消耗したので、この日は泣く泣くGファミリーとのディナーはキャンセルすることにした。 まだまだ先は長いのでここで無理をする必要はない。

17:25 ほぼ定刻でリヴィウ鉄道駅に到着
私を含めコンパートメントにいた4人全員がリヴィウで下車した。

美しい鉄骨アーチのリヴィウ駅

最後にこの駅に来た時は周辺の改修工事をしていたので、久しぶりに美しい駅舎の外観を見ることができた。

1904年開業アール・ヌーヴォー様式の駅舎

 "タクシータクシー" と言いながら近づいてくるおっちゃん達も健在。広場のベンチに腰を下ろし、いつものようにUberでタクシーの手配を試みるも待てど暮らせどドライバーが見つからない。リヴィウではUberが使えたはずなのに。(これには地域差がありハルキウではUberは普及しなかったので地元の配車アプリを使っていた)
それなのに私の目の前にはタクシーが次々と到着し、客を乗せて走り去って行くではないか。そのタクシーをよーく見てみると、車体には ”Bolt” か ”Uklon” のステッカーが。
実はワルシャワ空港でも Uber よりも Bolt の待合エリアの方が混み合っていたのでその存在は気になっていたのだ。どうやら今は(少なくとも東欧では)Bolt の時代らしい。

早速、Boltのアプリをダウンロードし、初期設定をするとあっさりタクシーが手配できた。 ただ日本のクレジットカードの登録ができず、日本のカードに紐付いたApple pay も使えなかったので仕方なく現金払いを選択することに。暑さと疲労で一刻も早くホテルに着きたかったので仕方ない。幸い現地通貨フリヴニャを持っていたので助かった。
親切な運転手さんに最初に提示されていた金額をお支払いし、ホテルの近くで無事に下車。クレジット決済のように後からアプリ上でチップをお支払いすることができないので、お釣りを辞退してチップとさせて頂く。

一つ目のホテルは初めて泊まる ”Danylo inn” 。旧市街に入ってしまうと高確率でエレベーターがないため、旧市街の少しだけ外側のエリアで選んだはずなのに、またしてもエレベーターがない。 私の確認不足で旧市街の "外側" ではなく、"ちょうど入口" に位置していたのだ。 それでもレセプションは2階、部屋は3階だったので許容範囲内。
1階にはカフェがあり、建物内はとても綺麗に整備されている。
それでいて旧市街ならではの懐かしい雰囲気が残されていていい感じ。

早速、買い出しのためにウクライナのマツキヨ(?)こと ”eva” とスーパーマーケット ”Сільпо(silpo)” へ。Сільпоが入る小さなショッピングモールの館内は計画停電のため真っ暗、エスカレーターも止まっていたが、地下にある生鮮食品店のСільпоだけは明かりがついていた。

20時を過ぎてもまだまだ明るい街中を歩いて部屋に戻り、ここぞという時に疲れを癒すために日本から持参したお味噌汁を夕飯に頂く。デザートは大好きなヨーグルト。

滞在中は良質な乳製品摂取に励みます

部屋にはGoogle TVなるものが設置されていて、YouTubeやNetflix を鑑賞できるのはいいけれどローカルチャンネルを見つけるのに苦労する。
現地ニュースではウクライナ平和サミット、G7サミットなどの国際情勢に加えて、計画停電下で人々がどんな工夫をしているかを紹介する「電気のない生活」と題したプログラムも放送されていた。

21:51  バチン!という音とともに部屋中の電気が消える 
事前にGが送ってくれていたホテルのあるブロックの計画停電予定表を見てみると、予定通りの停電であることがわかった。と同時に、周辺の個人商店が自家発電機を稼働させ始めたため、あたり一体にモーター音の大合唱が響き渡る。

部屋には充電式のLEDライト(日本製!) が備え付けられており、部屋全体を照らすには十分だった。USBポートもあるので他の電子機器の充電もできるらしい。
便利なことにハンドルも付いているので、洗面所へ持ち込んで就寝準備を済ませることができた。

お世話になったLEDライト
日本の家にもほしい

午前1時頃 再びバチン!という音とともに電気が戻る

持参した2つのポータブルバッテリー、スマートフォンなどの電子機器、前述のLEDライトなど全てを充電ケーブルにセットしてようやく眠りにつくことができる。
長い1日だった。


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