僕はお見送りのときに「ありがとうございました」とは言わない

今日は小話的なnoteを。

僕があるバーで働き始めて一週間くらいの頃、黒髪ショートヘアー、20代後半くらいの女性が来店されたときのことです。

丸顔で姿勢のきれいな方で、その日はハーフボトルのスパークリングを開けていました。

一人でバーに来てかっこよく飲む女性というのは当時の僕にはすごく珍しく、一体何をしている方なのか見当もつきません。いらしたのは夜中に近い時間でしたし、ネイルもきれいでどことなくきらびやかな雰囲気を持っていたので、普通の会社員ではないのだろうなとは思っていました。

その女性はいくつか僕に質問をしてくれました。

「いつから働き始めたの?」

「今、何歳?」

「○○さん(マスターのこと)が誰かを働かせるなんて珍しいよね。この子、何か持ってそう」

(何にも持ってないです…毎日怒られてばかりですよ)と思いながら、ショートヘアーが大好きな僕はどこかぼーっとその方に見惚れるような感覚で返事を返していました。

そうするとその女性が言ったんですよね。

「ねぇ、○○さん。この子、今度飲みに連れてってもいい?行きたいシャンパンバーがあるのよ」

「どうぞ」と、マスター。

そのあとの話では、どう見ても僕が何かできるようには思えない、でもこのマスターが雇ってるってことは何かがあるはず、だから掘り下げてみたい、みたいなことを言っていました。

なんかこういう気持ち、今の歳になるとよくわかる気がします。

けれど当時の僕は、タイプかつすごくきれいな女性に誘われるなんていう経験はないわけです。だから、慌てるような感じで

「あ、ありがとうございます!」

と返したんですよ。すると、マスターが、

「お前そこは『ありがとうございます』じゃないだろ。『よろしくお願いいたします』だろ?まだ何もしてもらってないんだからさ」

と僕に冷たい声で言うんですよね。

女性はそのやりとりを見てクスクスと笑い、「マスター、そういうところが今はかわいいのよ」と言いました。

そのお誘いは本気だったのか酔いによる戯れだったのかわかりませんが、連絡先を交換するのみで結局行くことにはなりませんでした。僕、受け身だったんですよね、当時は。

そういえば、連絡先を交換するときに、お店ではこう呼ばれてるから、と源氏名を言われたのでどこかのクラブの方だったのだと思います。

高級なクラブにはこんなかっこいい女性がいるんだなと思ったのと同時に、自分は返事一つもろくにできないんだなと感じさせられた出来事として今も覚えています。

「ありがとうございました」とは言わない

もう一つお話を。

レストランでお見送りをするとき、またはされるとき、店の玄関でこちらが見えなくなるまでお見送りをしてくださることがあります。

あれは「せめて見えるところまではお客様の安全を見届けよう、という意識だよ」と僕の先輩は言っていたのですが、その意図はさておき、そういう余韻を残してくれるレストランというのは気持ちのいいものがあると思います。

(もちろん、営業の形態や、その時の状況によっては難しいこともあるかもしれませんし、それをしないからといって悪い店とは思いません。あくまで気持ちからの行動であってほしいですし)

その先輩があるとき、別のスタッフがお見送りをしているのを見て叱ったことがあります。

「今、『ありがとうございました!』って言ってたけど、それだめだよ」

そのスタッフは(え?なんで?)みたいな顔をして先輩を見ました。その先輩は続けます。

「ありがとうございまし『た』、っていうのはそこで関係が終わっちゃう言葉なんだよね。せっかくお客様が店にお越しくださってできたご縁を、お客様からならともかく、僕らから『た』って切ってしまうのはおかしいでしょ。そこは『ありがとうございます』って言って、これからの関係も望んでいることを示す方がいいよ」

一つ一つの言葉について、恐ろしいくらい敏感な先輩でした。

「『荷物預かりましょうか?』と言うな、お客様のお持ち物を『荷物』なんていうマイナスの言葉で表現するのは失礼だ。『お手回り』っていう言葉が日本語にはあるんだから『お手回り、お預かりいたしましょうか?』でいいんだよ」

そういうことを言う先輩でした。

言葉とはあなたを表すもの

たとえば、

・「違和感」は「覚える」ものであって、「感じる」ものではない。

・「お名前」は「伺う」ものであって「頂戴する」ものではない。

・「カルボナーラの方(かた)」はいない。いるのは「カルボナーラをご注文なさった方」である。

言葉は変化するものですし、誤用というにはいささか細かすぎる話ではありますが、しかしある種の場面では不正確な言葉というのはとても野暮に聞こえるものです。

お客様によっては「あ、そういう言葉遣いの人なのね」と思われてしまうこともあります。あるサービスマンから「『お名前様、頂戴できますか?』と老舗百貨店のお客様に言ってしまったことによってお叱りを受けた」みたいな話を聞いたこともあります。

プライベートであれば、単にそう思って見下してくる人とは付き合わなくてよい、のですが、接客を仕事として多くの人に価値を感じていただく場合に、相手と同じレベルで言葉が使えないというのはとても不利になることがあります。

僕自身、いつも相手に合わせた言葉遣いができているかというとそうでもないのですが、この言葉は場にそぐわなかったなぁみたいに感じることは多々ありますし、同時に丁寧に言葉を選んだからこそ続いている縁というのもあるような気がしています。

身近な人ほど言葉遣いというのはいい加減になりがちですが、あなたの思いが正確に伝わらないというのはあまり良いことではないと思うので、いつもより言葉にちょっとだけ意識を向けてみるのもいいのではないでしょうか。

皆様も良い一日を。ではまた。

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日本ソムリエ協会認定ソムリエ。イタリアワイン専門。好きな作り手はジーニ、ヴィエディロマンス、バローネピッツィーニ、レマッキオーレ、カラビオンダ、ラルコなど。Twitterは、 https://twitter.com/vino_cavolfiore
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