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着飾っている鎧を少しでも脱いでみる

〜人生のオーナーシップを自らの手に〜Vol.8

今回の一連の発信をご覧頂いた方何人かから、
「ヴィニーのその本音を出そうとするエネルギー、正直さ」は
素晴らしいよね。といったお褒めの言葉、認知を頂いております。
心より感謝しております。ありがとうございます。
ここで、一度自分でこんな問いを自分自身に投げかけてみました
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「なんで、僕は、こうして自己開示をしようとしているのか?」
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もちろん
「ヴィニー、凄いね」なんて褒められて嬉しくなる気持ちを再体験しようとしているところも無いと言ったらウソになります。
でも、それにしては、この開示することへの抵抗感や、気後れ感が自分の中で大きいことを鑑みると、自己開示をこの場ですることに寄って押し寄せる不安(リスク)と得られる報酬(賞賛)とが見合ってないような気もしました。

※実際、友人がFacebookで書いていた
『無防備にハートを開いている時に伝えた言葉が受け取られなかったらと思うと怖い。』という言葉に大きく賛同します。

では、何故この怖さを乗り越えてまで開示しようとしているのか?

少し、僕の事例をご紹介します。
(読んで下さっている方にとって、自己開示に関する、何かしらの参考なり刺激になるかもしれません)

上記の問いに対する僕の答えは次の通りです。
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「怖さを乗り越えても尚、ありのままの自分で誰かと繋がる歓びがたまらない
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ここまで思わせているのは、実は自分を偽っているときの
なんとも言えない孤独感と自己否定感が忘れられないからです。
現在の私の容姿は、頭は「ツンツルテン」で、あごひげを生やしています。
このツンツルテンの容姿をさらすようになったのは、2002年(37歳)ごろです。(あごひげは主に独立してから)

大学を卒業する頃から、頭髪がどんどん薄くなり始めたのですが、それが自分で受け容れられずに、薄毛がバレないように、粉体になった髪を薄い部分に振りかけ、スプレーで固着させる方法をやり始めたり、かつら(アデランスとアートネーチャーのどちらも)を購入したりして、なんとか薄毛を隠そうとしていました。

その当時のかつらは、被ってみると、一方の会社の物はヘルメットみたいで、頭が盛り上げって見えたりで、外出するのも恥ずかしい。
もう一方は、強力な接着剤で頭皮にかつらを貼り付けるので、帰宅後に外すときに地獄のような痛みと手間がかかりといった具合であまり使わずにやめました(苦笑)
結構、どちらも高額(一つで数十万、洗浄用に複数購入すると・・・。)でだいぶ財布が軽くなりました。

一方、
粉体の髪を振りかけるのも、なんだか、頭が粉をふいているようだったり、スプレーで固めているとはいえ、不注意で頭をどこかにぶつけると、不自然に剥がれたり、仕事で工場のラインに入るときなどに義務づけられるヘルメットの着用などには、細心の注意が必要だったり。
とはいえ、
薄毛を隠すにはこれ以外の方法は見当たらず、結局22歳から37歳まで使い続けていました。

この粉体の髪をふりかける方法、
まだまだ数多くの髪の毛が残っている若い頃はまだ、ふりかけて隠す部分が少なく、自然に見えて良かったのですが、
歳を重ねるうちに、地毛が残り少なくなった中で、髪のふりかけで隠そうとすると、まるで、ペタッとした海苔を頭に貼り付けているようにも見え、会う人会う人が「奇妙なものを見る」感じでした。

それでも、たいていの人は「あんまり凝視してはいけない」「気づいてはいけないものに気づいた」気持ちにもなる。
それでもやっぱり確認したくなる。だから、「ちらちら目をやる・見る(笑)」といった態度を見せていました。

その当時は営業でしたから、お客様も目のやり場に困るといった感じでした。
また、当時お付き合いさせて頂いていた恋愛対象に対しても、隠していました。
(まぁ、バレていて、百も承知だったのだろうとは思いますが・・・。)
会社の同僚などは、僕が必死に自分のハゲを隠そうとしていることを察知して、気にしないように振る舞ってくれていました。(随分と気を使わせてしまっていましたね 苦笑)

僕自身は「自分のハゲを見破られてはいないか?」「自分が粉体の髪を振りかけていることがバレてはいないか?」
となんだか気が気ではなかった、常に相手の視線を気にしていたのをよく憶えています。

そうなると、どんどん自分と他者の間に「厚くて高い壁」を張り巡らし、自分(自分の真の姿、ハゲを恥ずかしがっている自分)
を見破られまいと、壁の奥に心を・自分を閉じこもらせて行き、猛烈な孤独感、孤立感を心の中では感じていました。
これに加えて、この一連の事で自分に与えたインパクトの中で1番大きかったのは、自尊心を著しく毀損し続けていたというものでした。

自分はハゲでは受け容れて貰えない。自分の本来の姿をかつらや粉体の髪で粉飾しないと、隠さないと自分は愛して貰えないんだ、馬鹿にされるに違いない。そんなメッセージを知らず知らずのうちに、自分への暗示のように伝え続けてきていたのだろうと思います。

この孤独感と、自分の自尊心の毀損こそが、自分を粉飾することの悪影響だろうと思います。

さて、こんな自分がどのタイミングでカミングアウトしたのか?
直接的には、営業部隊から本社に異動になったタイミングで、本社への最初の出勤日に粉飾しない姿で出勤しました。
以前からの知り合いには「垂水さんの勇気は、凄いと思います」と薄毛で悩む人から声をかけてもらったり「今の方が、全然素敵です」などという言葉で勇気づけてもらい、徐々に安心していきました。

とはいえ、カミングアウトの日は助走も無くいきなり迎えたと言うよりも、会社以外の集まり(自己啓発の場。中小企業診断士試験クラスへの受講や、コーチング学習のクラスなど)で徐々に自己開示をしていくことで、自分を徐々に慣らしていきました。

カミングアウトした後の感覚ですが、それは、言葉では表せないくらいに嬉しかったし。素のままでいることが、如何に身軽で、爽快か?ということを思い知らされました。

いや〜。「自分がどのように見られているか?」「自分がコンプレックスをひた隠しにしようとしていることがバレないか」
といったようなことを、これまでのように年がら年中気にしなくて済むようになったし、大きな心配事が一つすっぽり抜けたので
様々なことを感じ、そこで起こる喜怒哀楽にダイレクトに繋がって、満喫できる精神的な余裕を持てるようになりました。

まぁ、とはいえ、何事も100%ということは世の中には無くて、「自分がどのように見られているか?」ということを気にする自分は今もいるのですが、そればかりに自分を操縦されなくなっただけでも、随分と身軽に、感受性豊かになったと思います。「毎日を満喫できるようになってきた」と言えるのかも知れません。

そして、その素でいる自分で、大切な方々や仲間達と繋がると、歓びも倍増していくんです。
当然、自分が無闇に厚くて高い壁を張り巡らせないので、周りの人々も僕のことを理解してくれたり、取っつきにくさが軽減し付き合いやすくなるだろうし。

そんなことを体験したくて、自分の本音や本質を開示していってみようと思っています。
(このことで、当然のことながら、周りの人も良いねという人と、面倒臭い奴だなという人にはっきりと分かれて行くでしょうね。これは引き受けるしか無いかなと諦め始めています)

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なんで、僕は、こうして自己開示をしようとしているのか?」
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それは、
「粉飾した、素を隠した自分で周囲に溶け込もうとすることの痛みを、これ以上味わいたくないから」

なのだろうと思います。

そして、
「怖さを乗り越えても尚、ありのままの自分で誰かと繋がる歓びがたまらない」

からそうしています。

だれにも、大なり小なりコンプレックス(物理的なものだけとは限らず、心理的なものもあるかもしれません)があって、
あること自体は一概に悪いことでは無いけど、それをひた隠しにしようとしたり、何かしらの粉飾をしようと躍起になったりすることもあるかもしれません。

そんなこともあるけど、そうしたことに躍起になることを弱めて、素の自分を発揮できるようになることが如何に爽快であり、身軽になり、感情や感覚を通して毎日を更に満喫する道を歩んで行くよろこびがあることを、僕は体験したし、そうしたことに苦しんでいる方には、少しでも素でいられる時間を増やしていく
勇気づけをしていきたいなぁと思っております。

ちなみに、
「そんなの気にしなくて大丈夫だよ!気にしすぎだよ〜。」この言葉に人知れず傷つく経験も実はしております(爆笑)。
そうしたところへの優しさも、この一連の体験から得られたと思います(笑)

「コンプレックスなんて、自分の妄想なんだから、気にせずオープンにした方が良いよ」

と短絡的に言いたいわけじゃない。
その『隠したい、粉飾したい』この自分の中の声を大切にしつつ、時間をかけても良いから『やっぱり、素のままで受け入れられたい。素で居たい!』という心の声にも耳を貸してあげて欲しい。そしてこの『やっぱり、素のままで受け入れられたい。素で居たい!』という心の声も少しつづ叶えてあげて欲しい。
その為の、勇気に少しでもなればと思って、書きました。

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着飾った鎧は、世の中を歩き続けるための処世術として身につけたものかも知れませんが、それが、自分を窮屈に、自分の魅力を低減させているかも知れません。

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写真は、7年前頃、砧公園で桜吹雪が舞う頃の思い出。

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自分が大切にしている「人生のオーナーシップを自らの手に」という世界観やこの言葉の言霊が僕に体験させてくれたこと、僕が思っていることを発信していく時期に来たという感覚に従い、不定期ではあるものの、発信を始めてみました。
(何も真理を説くつもりはありませんし、どれも私の仮説です。)

ご覧になって頂いた方の何かしらの参考や刺激になれば嬉しいです。

では、また。

エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水
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おまけ
毎回毎回、自分の経験ばかり発信して、「単なる自己顕示欲」なのではないか?
と揶揄されかねないなぁ。という不安も正直自分の中の「繊細安心くん」が警笛を鳴らしています。
今回、その8を書きだす前に、自分の内側で「繊細安心くん」の言い分を
充分に聞き、「繊細安心くん」が納得した上で発信しようと考えました。
単純に自分の経験を顕示し、それを乗り越えてきたんだ!と誇示して、「すごいね」と言われたいがためだけに、発信しているのではないか?
そんな自慢話のような発信をするのはしたくない。というのが
「繊細安心くん」の主訴。
そこに対して「挑戦冒険くん」の言い分。
・確かに、自分がここまで乗り越えてきた数々の経験、そこから学び得たものは僕にとっては誇りであり、それを読んで喜んでくれる人がいることが嬉しい。
・一方で、周囲に認められ、受け入れられることを切望するが余り、自分を粉飾し、素の自分を虐げ、自分に自信を持てないばかりか、粉飾がバレないように周囲との間に壁を作ってしまい、周囲に認められたいが為に行った行動が、逆に作用し余計に周囲との距離を作ってしまうと言う悲劇にはまっている人にとっては、何かしらの参考だったり刺激になるのではないか?
(万人に響くとは思わないけど、それは致し方無い)
・だからこそ、自分で自分の経験と叡智を卑下して引っ込めてしまうのは、自分自身にとっても、この発信で何かしらの影響を受け得る人にとっても勿体ない。
このやりとりを通して
まぁ、不安が完全に無くなっての発信ではないけど。一旦は納得感が生まれました。
僕もまだまだ未成長の部分だらけで、様々なシーンで不安になったり躊躇したり、引き籠もったりを今もしているけど、これを見てくれている人と共に、いろいろと乗り越えて行きたいなぁ。と思っています。
これからも応援してくださると嬉しいです。よろしくお願い致します。
ヴィニー垂水
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自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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