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日常や家庭での主体性を発揮するとは?

〜人生のオーナーシップを自らの手に〜Vol.7

前回の発信では、
自分に対する期待や役割に対する「あなたならでは」「あなただからこそ」の応え方を探っていくことを通して、自分の魅力を最大限発揮し、結果に関しては最良なものを目指すための枠組みとして

<1>Must・・・自分の役割、期待されていること、期待役割、社会が求めている事、使命
<2>Will・・・やりたいこと、信条、価値観、こだわり
<3>Can・・・自分に出来ること、自分のリソース(強み、能力、経験、キャラクター、特性など)
というものをご紹介しました。

前回は、判りやすいかなと考え、組織における仕事、役職、や起業などにおける「Must」を事例にご紹介しましたが、
実のところ、これは仕事や起業などだけに限らず、日常生活や家庭でのテーマにおいても役に立つものです。

これをどのように日常生活や家庭のテーマにおいて活用するのか?
を僕の実例を基にご紹介してみたいと思います。
(前回能書きをたれた僕自身が体現できず、悪戦苦闘していることを先に白状しておきます)

<1>Must
僕に訪れたMustは、「母の介護」です。
僕は、仕事で自己実現を果たすこと(自分のリソースを仕事を通して最大限に活かし、社会に貢献することで幸せを感じることが僕にとって自己実現だと思っています)に30代以降の人生では最注力をしてきました。
「仕事に没頭しすぎたから」が必ずしも理由では無いのですが、結果として、結婚したり家庭を持つことも無く、仕事と趣味に時間を集中投下してきました。(色々なことに臆病だったからだと白状します 苦笑)
そのような中、降って湧いたような母の介護。
救急車に同乗して、救急病院に向かい、即時緊急手術に。
集中治療室で医師から「一応、応急処置はしましたが、医療的に後は出来ることがありません。後はご本人の生命力次第です」と告げられ、昏睡する母を目の前に「ここまでの感謝とお別れ」をしました。
集中治療室で、主治医に対して「医師の方々は、生きて患者を退院させることが目標となっているかもしれませんが、家族としては、私が24時間付きっきりで介護しないとダメな状態で退院されても困るので、無理してまで、生還させなくても結構です。母の生命力に委ねる方針でお願いします。母とは心の中でお別れをしましたから」と伝えたことを憶えています。

その後、目を見張るほどの本人の生命力の強さからv字回復。半年ほどで退院してきました。主治医が退院時に、「奇跡のようですね。余分に与えられた人生だと思って、楽しんでください」と母に伝えていました。但し、要介護認定をされての帰宅でした。
ここからが、母の介護の始まりです。
食事、洗濯、掃除、に加えて、患部の処置などが必要となり、週に3度の訪問看護が1回あたり1時間ほどで、患部の処置は任せられるものの、その他は僕が取り仕切る事が必要となりました。仕事との二足の草鞋生活のスタート。

さて、ここからが悪戦苦闘の始まりです。
僕は一人っこで、父は15年前に他界しており、親一人子一人。
この「Must」を流れ上、一旦は引き受けたものの、このまま続けるのか?
この葛藤は始まった当初はもとより、今も完全に解決はしては居ません。
3度の食事、洗濯、掃除はもとより、身動きが随分と制限されている母からの要望・要求、通院(大学病院、いきつけの医院、整体医院)の介助に至るまで随分と自分の時間も自由も占領されていく感覚は、自分を「被害者感情」に取り憑かせるには充分でした。
(なんで、母のために食事を作ったのに、「これは味付けが悪い」とか「塩が多い」と文句を言われたり。先程朝食を食べ終わったのに、終わったと同時にお昼は何にするの?と聞かれたり、はたまた母の下着まで洗濯しないといけないんだ!!など)

前回、私はこのように書きました。
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この「Must」は引き受けざるを得ないのが現実ですが、ここで大事になるのが、引き受ける本人が「自分はこの「Must」から束縛・拘束される被害者である」という視点にはまって、束縛・拘束してくる相手(組織・上司・株主など)の期待通りに「Must」を達成することが自分の役割である、と視点が凝り固まってしまわないことです。
要は被害者にならないということ。(人生のオーナーシップを自らの手に)
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これを退院当初に、僕も思い出し、被害者に陥らずに、なんとか「人生のオーナーシップを自らの手に」するにはどうしたら良いか?
僕の場合、思いついたのは、母を介護するという「Must」を引き受ける目的になり得る自分の「Will」を意味づけしたことでした。
実は、僕は父が亡くなるときに、仕事が多忙であったことを理由に、父の死に目に遭えなかったという罪悪感というか、後悔がありました。(父の看病などは母に任せっきりでした。)
だからこそせめて母は、自分が看取ることで、自分なりに親から育ててもらった恩返しをすることがこの後後悔しないようにする。という「Will」が自分の中で見つかりました。
できること(「Can」)は、それほど大きくは無いし、得意とも言えないけど、母をこの手で看取りたいという「Will」を基に、プロフェショナルの看護師やケアマネージャーのサポートを受けながら、やりきれたらいいな。そうしたら、後々後悔しないだろうし。
この人生で子供を持つことは無さそうだけど、代わりに母の看取りをすることで、自分のためばかりでなく他者のために頑張るという経験もできる。
(結婚もしていない、子供も育てたことが無いという気後れ感が、これを想わせているようです。)

こうして、一旦オーナーシップを握り、二足の草鞋生活を送ってきました。「自分がやらずして誰がやる!自分の出番だ!」
最初はこうして、始まったのですが・・・・。

この状態のままで順風満帆にいくほど、人生甘くはありませんね。
結局、介護が始まってみると、母の面倒を看る必要から、1泊2日以上に家を空けていません。
(オンライン仕事が増えて、環境は見方してくれています。一方で旅行などには全く行けず。1泊2日のキャンプが関の山)
その結果、ほぼ母と顔を合わせる毎日。
元々、母とは、反りが合わない部分も子供の頃からあったので、四六時中顔を合わせ、尚且つ、母からの要望の嵐を受けつづけると、むくむくと被害者感情が自分を飲み込んでいくものです。
母の介護は、緊急対処であり、また続いてもそれほどには長い期間にはならないであろうと思ってきたので、自分が我慢して、看病するうちに、看取る時期がそのうちにやってくるであろうと想っていました。
母の要望、リクエスト、僕への依存はどんどん深まり、重荷に感じ、息苦しくなる。
それほど余命は永くないであろうと勝手に踏んでいた僕の予測は(ありがたいことに)外れ、もうかれこれ4年が経ちました。
母には長生きして欲しいという気持ちと同時にいつまで、この介護が続くのだろう?(自分の楽しみを削がれ、自分の人生を奪われていくような時間がいつまで続くのだろう?)
といった、社会通念的には親不孝な気持ちも正直湧きます。
(いっそ「Must」を放り出したい。もしくは、母の大往生はいつになるのか?と考えることもあることを否定できません)
※この世間的にはダークサイドとも言える気持ちがあることを、当初は罪悪感をもって、隠していましたが。
これも自分の一部と、少しずつ赦せてきたことが、僕にとっては大きな一歩にはなりました。
僕も、ここまで4年。よくやってきた。だからそんなことを想うこともあるよと自分に言えるようになりました。

今も、正直言って
被害者感情に呑み込まれることもあり、その泥沼の中から、一片の「人生のオーナーシップ」を見つけ、這い上がってくるようなことの連続です。
そのためには、自分一人で抱え込みすぎない。自分が被害者感情に呑み込まれるほどに我慢しない。
できることをして無理しない。自分のニーズを母にアサーティブ(自分も相手も尊重して正直に)に伝える。
(でも、時には、母に怒りをぶつけることもあるのだけど、それもまた致し方無いよなと、自分を甘やかして、自分の爆発を食い止めたりもします。)
なんてことをして、悪戦苦闘しております。

「人生のオーナーシップを自らの手に」するって、一筋縄ではいかないし、一度握ったら生涯続くわけでは無いので、(少しでも)握れるようにチャレンジし続ける
こんなことが大切なんだろうと、僕は経験から想っています。

さて、あなたは、どう思いますか?

※先般母に、「そのうちに一週間家を空けて旅行をしてくるからね。このまま家に引き留められていると怒りと恨みでおかあさんの首を絞めかねないので、そうした最悪の惨事を起こさないために、我慢してね」と言い放って、一旦溜飲をさげました。。。。大人げない(苦笑)。
でもそれを言い切れた自分を誇りにも思ったりしています。(がはは笑)
※世のお母さん全てを敵に回しちゃうかな。この投稿で。


(写真は2010年に行ったオーストラリアアウトバックでの写真。現地ツアーに一人で参加して砂漠で野宿したことが思い出深いです。旅行行きたいなぁ。)。


自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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