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【メドックの革命児・DomaineUCHIDAとは?前編】

今回は日本人醸造家インタビュー・第三弾をお送りします。

ご紹介するのは、フランス・ボルドーでナチュラルワイン造りをされている内田修氏です。内田氏はメドックの中でも大変珍しいマセラシオン・カルボニック製法を用いたカベルネ・ソーヴィニヨン100%の『Miracle』が代表作です。

シャトー・ムートン・ロスチャイルド、ポンテ・カネといった皆さんが一度は聞いたことがある超高級ワインを生むボルドー地方メドック地区。ワイン愛好家の方なら一度は訪れたいと思ったことがあるこの偉大な地でワインを造っている日本人の方がいらっしゃいます。

-本日はインタビューを受けていただきありがとうございます。内田さんはここメドックでナチュラルワインをお一人で造られていられますが、どのような経緯があったのでしょうか。

内田氏:はい。『DomaineUCHIDA』は2015年に創設し、オリジナルワインを造っています。その前は、ロワールで畑を借りてワインを造っていました。フランスに来てもう20年ですね。本当にいろいろなことがありました。

高校時代の挫折からフランスへ

-内田さんは高校卒業後、フランスのワイナリーでホームステイをしています。そもそもなぜフランスへ行く事を決めたのですか?

内田氏:私は高校時代に長距離の陸上競技をしていました。高校は興譲館高校というオリンピック選手も輩出する強豪校です。私も箱根駅伝を目指していたくらい本気で取り組んでいました。しかし、結局行くことができませんでした。これが人生における大きな挫折ですね。そんな時、日本を出て海外を見てみたいという気持ちが出てきました。色々な国を検討していましたが、芸術や歴史のあるフランスを偶然選びました。本当にたまたまなんです。

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-偶然選んだフランスでワインに出逢うわけですね。

内田氏:そうです。ホームステイ先は、おじいちゃんがワインを造っている小さなワイナリーでした。当時は、ビオなんて概念はないですが、そこでは無農薬でワインを造っていました。この経験が後に自分がナチュラルワインを造る原点になっています。勿論、この時にワインに興味を持ったのですが、まさか自分がワインを造ることになるとは思っていませんでした。

暗黒のフランス高校時代

-その後、語学学校を卒業後、*バカロレア取得のため、フランスの高校に編入されています。大変なことも多かったのではないでしょうか。

内田氏:本当に毎日が地獄でした(笑) 私はこの高校時代を「暗黒時代」と呼んでいますが、語学的な面は勿論、年齢差というのも大きかったです。当時はいじめのようなものも受けていました、あだ名も「こんにちは」でしたし(笑) 今のようになんでもネットで調べられる時代ではないですし、まだ日本という国はよく知られていなかったと思います。本当に辛辣でした。

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-それでも諦められなかったのですね。

内田氏:何度も辞めようと思いました。語学学校とは違い、朝から晩までいじめが続くわけですから。でも、諦めたくなかったのです。フランス語だけじゃなく「バカロレア」を取ったという自信が欲しかったのです。幸い、気の置けない友人も出来たので。

*バカロレア・・・フランス教育省が発行する「高校卒業証明書」のようなもの。大学進学の為には、このバカロレアを取得する必要がある。    (フランス留学センター様より引用)

ワインを造るきっかけ

-フランスでの滞在を始めてから7年間で300以上のワイナリーを訪問されていますが、どのタイミングでワインを造ろうと思ったのですか?

内田氏:ワイナリー訪問は語学学校時代からしていました。ワインに興味を持ち始めたのは、最初のワイナリーでのホームステイでしたが、その時はこんな道も良いかもと思っていた程度でした。しかし、ワイナリー訪問をし、フランスの高校に編入しようと思った頃には、ワイン造りを意識していました。バカロレアは、ボルドー大学醸造学部に入学するための資格なわけですし。

-その後、ボルドー大学醸造学部に入学されています。当時の様子はいかがでしたか?

内田氏:醸造学部なので、当然ワインに関する講義も多くありました。しかし、高校時代の経験もあり、自信はありました。

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エスポアグループでの苦い経験

-大学卒業後は一度帰国されています。何か特別な理由があったのでしょうか。

内田氏:いえ、単純に金銭的な問題などがありました。また、今まで日本の高校卒業後、フランスで働いていたので、社会人として日本で働いてみたいと思ったのです。

-エスポアグループというワインの輸入業界で働かれています。当時はどんな様子でしたか?

内田氏:正直、帰国した時は鼻高々でした笑 「フランスから内田っていう男が来るぞ!」と歓迎されたものです。フランスの大学を卒業していましたし、今なら何でも出来る!って思っていました。

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-実際に働き始めてからはいかがでしたか?

内田氏:まず、大阪の事業所にワインを売ってこい!と言われました。正直余裕だと思っていました。ワインの知識に関しては自信がありましたし。しかし結局、一本も売ることが出来ない日々が続きました。例えば、ワインを取り扱うレストランではボルドーにいましたって言うと盛り上がりますが、ワインに興味がない場所にも売らなければならなかったのです。そんな人達からしたら、凄いですね、で終わってしまいます。ここで鼻っぱしを折ってもらったのは良かったかもしれません。

-内田さんは現在、『ワイナーズ』というご自身のワイン輸入会社を経営されています。

内田氏:エスポアグループでの経験がここで生きていますね。主に自分のワインをフランスから日本に輸入していますが、貿易に関しても自分で管理したいと思っています。現在では、ワイナーズを通してでしか取引はしていません。

・DomaineUCHIDA創設

-その後、ご自身のオリジナルワインを製作されています。どのような経緯だったのでしょうか。

内田氏:最初はロワールで畑を借りながらワインを造っていました。その後、本格的に自分のワイナリーを持とうと思った時、場所選びに悩みました。友人からは、新規でも参入しやすいロワール地方などを勧められました。自分の愛着があるボルドー地方も考えていたのですが、その中でもアントル・ドゥ・メールなど参入しやすい地区を勧められ、間違ってもメドックは選ぶなと言われました。だからこそメドックを選びました。最初のホームステイ先がメドックであり、愛着があったことは事実ですが、人と同じことをしてはいけないと思いました。人と違うことをしなければいけないんです。幸い周りの助けもあり、偉大な土地・メドックで畑を借りることが出来ました。しかし、苦難の道は続きます。

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(後編に続く)



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