『AD』 第1章 ツカミはOK?!

「AD」とは「アシスタント・ディレクター」。大阪のテレビ局でADとして活躍する元気な女の子が主人公の小説です。

かつて青松書院から出版されていましたが、今では入手困難になっているようです。

番組の舞台は、朝の情報番組。2010年に書いた小説なので、機材等は現在と異なるところは多いと思いますが、生番組作りの現場の空気や動きは私の実体験に基づいていますので、リアルなはずです。

全部で8章の連作形式の長編小説です。まずは第1章を公開します。

*途中までは無料でお読みいただけますが、章全体は有料とさせていただきます。

では、楽しんでお読みください。

AD 第一章 ツカミはOK?!

「エエッ、面接ゆうのは、ここでするんですか?」
 思わず叫んだ二宮晴美は、慌(あわ)てて周囲を見回した。
 隣のテーブルの白髪の老人が、驚いた顔で晴美たちのテーブルを振り返った。老人は、独りでパイプを吹かしながらコーヒーを飲んでいる。何となく謎めいている雰囲気(ふんいき)が、いかにも〝テレビ局〟だ。
 少し離れたところで携帯電話で何かを話していた若い男も、晴美の声の大きさに立ち上がった。「何事か!」という顔で、きょろきょろと辺りを見回している。ツイードのジャケットに赤ネクタイ、赤いチーフという、街中では確実に他人目(ひとめ)を引く格好だ。
 晴美は、大声を出して注目を集めてしまい、恥ずかしかった。今度は、目の前で履歴書(りれきしょ)をチェックしている朝野のほうに身を乗り出して、小声で同じ質問を繰り返した。
「面接ゆうんは、ここでするんですか?」
「そうや。お前、大学生の就職面接みたいに、会議室かどっかで、面接官がずらっと並んで待ってるとでも思ってたんか?」
 テレビ近畿の中にある喫茶室の客は、最初は晴美たちだけだった。だが、九時前辺りから周りのテーブルも埋まり始め、いつの間にか満席になっている。
 喫茶室には小さなテーブルが二十ほど。他に、会議室で使うような大テーブルが三つ置かれている。
 大テーブルの一つでは、番組のスタッフらしい集団が、絵図面を覗(のぞ)き込みながら、しきりに何か打ち合わせをしている。一月五日、仕事始めの日だというのに、まるでケンカをしているかのような口調だ。正月気分を引きずったのんびりした雰囲気など、全く感じられない。
 打ち合わせをしているスタッフたちだけではなく、他の客たちも皆、ひと癖もふた癖もありそうな顔つきをしている。
 外に面した壁は一面ガラス窓になっている。快晴の冬の青空に、大阪城が緑色の屋根を輝かせている。時折びゅうと吹き抜ける強い風のために、窓のすぐ外に立っている枯れ木の枝が震える様子がわかる。
 朝野は、晴美が書いてきた履歴書に目を走らせたまま、まるで顔を上げない。晴美に向けている朝野の頭頂部は、見事に禿(は)げ上がっている。暑がりなのか、霧吹きで吹き掛けたような汗が、びっしり浮いている。
 いやしくも《面接》というからには、ものものしい会場に案内され、テレビ局のプロデューサーといった人たちを前にして行われるものだとばかり思っていた。面接官に履歴書をとっくりと調べられ、自己紹介をして、特技やら志望動機やらを訊(き)かれる光景を思い描いていた晴美は、あてが外れて、少し、いや、大いにがっかりしている。
 晴美は、履歴書に貼る写真も、専門学校の写真科の友達に頼んで撮影してもらっていた。
「実物のほうが、絶対にカワイイはずやけどな」と内心では思っていたが、写真もなかなかイケている。金髪にソバージュ、顔は右から見られたほうが一寸(ちょっと)だけ可愛く見えるので、逆の左に心持ち傾(かし)げて、唇の端をニッと持ち上げた顔を作って写真に納まっている。自称〝小悪魔的〟だ。
 面接官との受け答えも、何を訊かれても即座に答えられるように、たっぷり準備してきた。とにかく、専門学校では仲間たちから《企画魔》と呼ばれていたのだ。私の才能を面接会場で思い切り発揮したる、と張り切っている。
 大阪でテレビ番組制作の専門学校に通っている晴美は、学校を通して、朝野を紹介された。朝野は番組制作プロダクションの社長で、テレビ近畿の情報番組『おはようキンキ』のアシスタント・ディレクターを捜していたのだ。
 テレビ番組制作のディレクターに憧れて業界に入った者は誰でも、まずアシスタント・ディレクター、通称ADとしてスタートすることになる。
「だって、社長。絶対スーツで来るんやで、と言わはったから、てっきり、そういう面接やと思ったんです」
「たかがADの面接で、わざわざ会議室なんぞ取るかいナ。顔を見て、ちょこっと喋らせてみて、使えそうなら使うてみる、という程度のもんや。それでもなあ、初めて会う人とは、スーツくらい着てくるのがは当たり前違うか? まあ、必ずしもスーツでないとあかんことはない。けどな、テレビというと勘違いして、トンでもない格好で来る奴もおる。だから念のために、そう言ったんや。それに『おはキン』さんは、そういうとこには、やかましいらしいしな」
 浅野は、ようやくのことで目を上げた。晴美に履歴書を返しながら、「字イが綺麗(きれい)やな」と、褒(ほ)めてくれた。口を尖らせている晴美の機嫌を取るかのようだ。
 褒められて途端(とたん)に晴美は嬉しくなった。萎(な)えかけていた気持ちも、また張り切ってきた。
「字イは、おばあちゃ……、祖母から習っていたんですわ。もお、幼稚園に行く前くらいから。そら、厳しくて……」
 得意になって喋(しゃべ)り始めた晴美は、口をつぐんだ。朝野が、キッと自分を睨(にら)んだのに気づいたのだ。「喋りすぎや」と言わんばかりの顔だった。
晴美はことあるごとに母から、「あんたは要らんこと言イやから、気いつけなあかんよ」と言われてきた。子供の頃の記憶がよみがえった。

 朝野は、グラスの中のアイスコーヒーを啜(すす)った。晴美は、朝雄の禿(は)げ上がった額に浮いた汗を見て「うわあ、見てるだけで、のぼせてくるわ」と声に出しそうになったが、母の戒めを思い出す。
 朝野は晴美の心の中には頓着しない様子で、晴美をまじまじと眺めた。
「字イも綺麗でそれはエエけど、お前のその頭なあ。まっキンキンの金髪やないか」
 言われて晴美は、右手で髪に触れた。
 金髪は晴美の高校の頃からの憧れで、一人暮らしを始めるとすぐに、染めたのだ。
(私は、これが似合うんや。断然、カワイイ)と晴美は自信を持っている。
「言うたやろ、普通の髪の毛に戻しとけ、て」
「あきませんか、これ?」
 晴美は少し心細くなった。
「『おはキン』のシーピーは、身なりからして厳しい人らしいんや」
「シーピーて、何ですか?」
 訊き返す晴美に朝野は「やれやれ」といった顔つきで、指でテーブルに《CP》と書いて見せた。
「チーフ・プロデューサー。番組で一番偉い人や」
(そんな偉い人が金髪が嫌いなら、ハナから、あかんやん)
 晴美は目の前が真っ暗になった。
「そんならそうと、はっきり事前に言うといてもらわな。番組で一番偉いヒトが金髪が嫌いやから、ちゃんと黒い髪の毛にしとくように、て」と、朝野に文句を言いたい気分だったが、もう手遅れだ。
 晴美は、すっかり腐ってしまった。
 朝野は「まっ、仕方ないやろう」と、意外に平気な顔だ。喫茶室を見回しながら、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを啜(すす)っている。
 晴美は喫茶室の壁に貼られている大きなポスターに目をやった。黄色地に緑色で『月~金曜日 あさ五時から生放送! おはようキンキ』と大きく書かれたポスターだ。真ん中で笑顔を見せているのは、司会の浦田アナウンサーと玉井ユキの二人だ。
(髪の毛の色くらいで落とされて、たまるかいな)
 晴美の心に闘志が、猛然と沸(わ)いてきた。身体が熱くなっていくのがわかる。
 晴美は座ったまま両手を握り拳にして腰に当てた。正拳突きの型。着慣れないスーツの肩や肘が窮屈(きゅうくつ)だったが、晴美は、んっ、と一つ、気合いを吐き出した。
 ラベンダー色のカーペットが敷かれている喫茶室の外には、クリーム色に光る床が続いている。境目のところに看板が立てられていた。
『この先は、スタジオです。番組出演者および関係者以外は、ご遠慮ください。テレビ近畿 スタジオ管理部』
 看板の横には、警備員が手を後ろに回した姿勢で立っている。
 スタジオからは、晴美と同じくらいの年格好のADたちが飛び出してくる。何本も積み重ねたVTRテープの箱を抱えている。ADは誰もが揃って、枕ほどに膨(ふく)れ上がったウエストポーチを腰に巻いている。喫茶室を駆け抜けて、突き当たりにあるエレベーターホールに向かっていく。
 晴美は喫茶室を行き交うADたちの姿を見ているうちに、体中に漲ってくる力を感じた。
「よっしゃ、私もあんな風にガンガン仕事するんや! そのためには、面接には絶対、受かったる!」
 心の中で晴美は叫んだ。

 細身のジーンズを穿(は)き、白いセーターを首に巻いた男が晴美たちの傍を通りかかった。若々しい格好をしているが、揉み上げに白い毛が勝っているところを見ると、朝野と同じくらいの年齢らしい。
 朝野は立ち上がって男に挨拶(あいさつ)をした。
「明けましておめでとうございます」
「おお、朝野ヤンか、おめでとさん。新年早々、ご苦労さんやな」
 男は晴美に目を走らせた。晴美は黙って、ぺこりと頭を下げる。
「この子、ADに使ってもらおと思いまして」
「ふうん。新卒かいな」
 男は晴美の頭の先から爪先まで、遠慮なしにじろじろと見た。「こんな背も小さくて頼りなさそうな子で大丈夫か」、という心の中の呟(つぶや)きが顔に表れている。
「いえ。専門学校をこの春に出る予定の子ですねん。『おはキン』さんのADに」
「『おはキン』言うと、CPは酒井か…… この子が……へええ……」
 男は、気の毒そうな顔つきをして去っていった。
 何や今の会話は?
 晴美は眉間(みけん)に皺を寄せて、思い切り不安な顔を作り、朝野を見た。朝野は「気にせんでエエから」と澄ましている。
「気にせんでエエから、て言われても、そら、気になります」と言いかけて、晴美は言葉を飲み込んだ。
 大阪でのテレビ業界歴が三十年を越える朝野らしく、喫茶室には知り合いが引っきりなしに行き来する。
「朝野ヤン、毎度」「社長、お疲れさん」「おはようございます、社長」等々。
 言われる度に、朝野は少し腰を浮かせながら頭を下げる。相手は晴美が『おはようキンキ』のAD志望者だとわかると、気の毒そうな顔をするか、或いは曖昧(あいまい)な笑いを浮かべながら「まあ、頑張って」という気休めの言葉を残して行ってしまう。
『おはようキンキ』のスタッフになると、いったいどんな目に遭わされるんやろう? 誰か、はっきり教えてくれればエエのに、と思うと、晴美は次第に尿意を催してきた。
「明けましておめでとうございます。朝野さん」
 スタジオから出てきたのは、水色のセーターに白のスラックス姿の女だった。肩まである艶やかな髪に、色白のふっくらとした顔立ち。清楚な美人だ。
 晴美は壁に貼られているポスターに目を走らせた。『おはようキンキ』の女性司会者、玉井ユキだ。
「おお、ユキちゃん、久しぶりやなあ」
 朝野は嬉(うれ)しそうに声を上げた。「〝ユキちゃん〟、て、社長は知り合いなんやろうか」、と晴美は目を見張った。
「十年ぶりよ」
「そうか、あん時はユキちゃん、まだ現役女子大生やったもんなあ。でも、変わらんなあ」
「社長も、変わってないわよ」
「アホぬかせ、腰抜かせ、苦労続きで髪の毛も、こんなんじゃ」と朝野はユキに向かって自分の頭をにゅっと突き出した。
 ユキはキャッキャと笑いながら、朝野の禿(は)げた頭をぺたぺたと叩いている。ユキは番組の中では、〝冷静で決して乱れないキャラクター〟として知られている。朝野を相手に子供のようにはしゃぐユキを見て、晴美は呆気にとられた。口が自然に開いてくる。
「今日は、何なの?」
「ユキちゃんの番組で、この子をADに使うてもらおうと思って」と朝野が晴美を目で示した。
 晴美は慌(あわ)てて立ち上がって頭を下げた。ユキは、「そう」とだけ言って、晴美を少しだけ見た。ユキの目は一転して、まるで値踏みをしているかのように冷たい。
(怖(ごわ)ッ)
 晴美は緊張して背筋を伸ばし、姿勢を正した。先ほどまでの尿意は、スッと引っ込んだ。
「反省会が終わったところだから、もうすぐCPも出てくるわ」
 ユキは視線を朝野に戻した。晴美を見ていた冷たい視線とは打って変わって、はしゃいだ調子を取り戻している。
「朝野さん、今度、ご飯でも食べに行きましょう」と手を振りながらユキは喫茶室から出ていった。

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