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人生にいてくれた犬のこと

今日は愛犬の命日なので、愛犬のことを思い出していた。

ガラケー時代に亡くなってしまったので、今手元に写真はあまりないけれど、何しろ物心ついたときから側にいてくれたので、思い出せることはたくさんある。

愛犬は黒のラブラドール。メス。
生後2ヶ月でうちにきた。

私は当時3歳で、生まれて間もなく親から離されてしまった子犬を可哀想と思う想像力なんてあるはずもなく、
新しく我が家に仲間入りしたその子をすぐに気に入った。

ただ愛しくて、好きで好きでしょうがなかった。
リボンをつけて、お気に入りのぬいぐるみのように可愛がった。おぼつかない抱っこをしてみたり、一緒に寝たり。
私は小さいままなのに、犬はあっという間に大きくなった。

お気に入りのポムポムプリンのサンダルをはじめ、ほとんどの靴がかじられ、行方不明になった(たぶん胃の中に消えた)。
夏は一緒に水遊びをした。泳ぐのが上手で、海にもびびらず気持ちよさそうに泳いでいた。
冬は雪遊びをした。寒いのに雪をばくばく食べた。足をガクガクさせながらもどんな深い雪の中も楽しそうに散歩した。
雪が積もりどこもかしこも真っ白になった風景の中、黒い犬の存在感はより明確になり、安心感をもたせた。

散歩をするにも小さな私1人ではまだとても無理だったので、姉と母、もしくは父と散歩した。

小学校高学年になったあたりからやっと1人でも散歩できるようになった。
中学生になってからは行動範囲を広げて、当時ゲットしたウォークマンを聴きながら歩いたので、当時の曲を聴くと散歩中の光景を思い出す。

一日中ほぼ眠っているだけで暇を持て余していたラブラドールの体力は底知れず、遠くまで歩く気配を察知した時はいつも嬉しそうで、
太くて立派な尻尾をふんふんと振って前を歩いた。

名前を呼ぶと一応振り返るけれど、すぐ前を向く。

犬が絶対的に従うのは父親。

次いで母親、以下同列。
といった感じで、家庭内で一番小さい私に対しては主人というより姉妹的な扱いで、なんなら妹だと思っていたのでは?と思う。

生まれてすぐ人間と育ったので、多分自分のことも人間だと思っていたに違いない。
犬を見ると吠えたし、犬のことは嫌い、もしくは苦手だった。他の犬と仲良くしているところを見たことがない。
ただ、祖母の家にいる先輩犬に対しては大人しかった。他者のテリトリーと年功序列は一応知っているのだなと感心した。

散歩途中で他の犬の気配を感じるとすぐに背中の毛が立ち上がり、今にも吠えかかりそうな威嚇モードになる血気盛んなタイプだったので、
引っ張られては堪らないとエンカウントを避けルートを変えるのに必死だった。

今でも、道端で仲良くお喋りしてる散歩中の飼い主とその犬たちをみると羨ましいというか、うちには無かった光景だなぁと思う。

犬だけではなく、見知らぬ人にも厳しかった。
小学生の時に、普段あまり遊ばない同級生の女の子がうちに来たことがあった。

「うちの犬は凶暴だから触らないで」と忠告したにも関わらず、彼女は何故か自信満々に手を伸ばし、唸り警告されたにも関わらず撫でようとしたら案の定噛まれてしまった。
幸いなことにごく浅い傷で済んだけれど、後からそれを知った私の親はものすごく焦り、その子の家に謝罪しにいった。

私は「あんなに忠告したのに勝手に触った◯◯ちゃんの方が悪い」と心の中ではずっと不満に思っていたけれど、のちに一般的にペットとして飼われている犬は基本的に人懐こいということに気づいて、
うちの犬は特に神経質な性格だったんだなぁと知る。


それくらい、犬は私たち家族のことしか信用しておらず、心を許していなかった。
逆に言えば、犬は私たちにはすごく可愛い存在だった。

基本的にクールで、人見知りで神経質で、機嫌が悪い時は主人にすら唸って不機嫌アピールをしていたけれど、
それでもやっぱり可愛かった。

やっぱり、顔が可愛かったな。
鼻が長めのラブラドールでほっそりとしており、美人(犬)だった。人間だったら北川景子みたいな見た目だったに違いない。

耳の毛が特にツヤツヤしている。
厚みがあって重い。めくるとくさい。

ほぼ室外犬だし田舎だし、シャンプーなんて滅多にしなかったので結構ゴワゴワしてて、犬くさい(悪い匂いではない)。
撫でるならアゴか頭。それ以外は怒る。
撫でるのをやめると、「もっと撫でろ」と言わんばかりに、手を頭の上へ持っていこうとする。
嬉しそうな顔はしないくせに、尻尾はたんたんと振るのでそれが可愛くてずっと撫でてしまう。
爪が長く、歩くたびチャッチャと軽快な音がする。
走る姿が軽やかで綺麗だった。
一度、散歩用のリードを誰もいない中学校のグラウンドで放したら、今まで見たことのないスピードでグラウンド中を駆け回ったことがあった。
もう帰ってこないんじゃないかと怖くなるくらい勢いがあって、生き生きしていた。
たくさん呼んだら、しばらくして満足そうに帰ってきてすごく安心した。

若いころは特に縄系のおもちゃが好きだった。
食べてしまうのか、気づいたらなくなっている。

フリスビーやテニスボールを獲るのが上手。それは見事に跳んでキャッチして、嬉しそうに持ってきた。

ブラシをしてあげるととても嬉しそう。お腹を見せながらも、甘えるというよりえらそうに撫でられていた。


0歳から死ぬまで、ほぼビタワンしか食べなかった。
というかビタワンしかあげなかっただけだけど、毎回毎回飽きずに美味しそうに一瞬で平らげた。
いつもビタワンだけなので、誕生日にはお小遣いでウェットフードの缶を買ってあげてあげるのが楽しみだった。私も嬉しかったし、犬もきっとすごく嬉しかったんじゃないかなと思う。

人の話すことはほとんど理解していたはず。
ドアを開けるのが上手く、網戸を鼻で開けてはよく室内に顔を出した。
「閉めて」と言っても伝わらないふりをして入ってこようとした。可愛いのでそのままにした。

半室外犬で基本的にデッキと玄関で生活していたから、寒い冬の日など気まぐれに家の中にいれてあげると嬉しそうに徘徊したあと、よくストーブ前に鎮座した。


たくさん思い出がある。
でも、一番嬉しかったのは、当たり前に毎日いてくれたことだと思う。

小学生中学年のあたりから鍵っ子になった。
家に帰ってドアを開けると、お母さんはいないけど犬がいた。それだけで安心したし、留守番も心強かった。

中学生。学校が嫌というわけではなかったけど、スクールカーストの存在する社会は生きづらかった。
今思えばバカバカしいけど、派手な子たちにいじめられないように、毎日気を遣っていた。

でも、家には犬がいたので、もしいじめられて友だちがいなくなっても、犬がいるからいいや、1人じゃない、という謎の自信を得ていた。

高校生。帰宅部で暇だったので、夕方の散歩は私が担当した。夕方の田んぼ、砂利道、高架下。
なんてことないけれど、忘れることのない風景が目に焼き付いている。

ある日、テスト勉強のため夜中まで起きていて、ふと気晴らしに外に出たくなった。
家の目の前に出るだけとはいえ、怖かったので犬についてきてもらった。寝てるのになんだよとも言わず嬉しそうに外に出てくれた。
寒くてすぐ家の中に戻ったけど、見上げた星空を忘れない。

高校3年生の夏、私程度のコミュ力では人間関係の発展が見込めなそうと地元暮らしに見切りをつけ、突然上京を決意。

もうとっくにシニアになっている犬との暮らしを自分から断ち切ることになる、それだけが心残りだった。

大学1年生の冬、生活費を稼ぐためバイト漬けの毎日。
愛犬が危篤と母からの連絡。動揺しつつも、新しくかけもちで始めたバイトに心身ともに疲弊しており、休ませてほしいということもできず、文字通り私は動くことができなかった。
今ならすぐに新幹線のチケットを取って帰るけど、新幹線代を出すのも躊躇われた。

あっという間に死亡の連絡を受けた。
人生で一番泣いたのはあの時だし、身近な人の死を経験したことがなかったので、初めての死の経験にしばらくの間落ち込んでいた。
私なんかの寿命をいくらでもあげるのにと何度も思った。失恋なんかよりも辛かった。

犬のことを看取れなかったことは、今でも後悔している。

しかしそれはもう仕方がないことで、仕方のないことと思って、それまでの思い出を大切にして生きていくしかない。
黒くて大きな犬が我が家に残した喪失感はその場にいなかった私には計り知れないほど大きかったに違いない。

ということで、愛犬と初めて出会った日からお別れした時までを振り返ってみた。

今日は早く寝ようと思っていたのに、もう1時になってしまった。


「犬が飼いたい!」と私たち子どもが駄々をこねて飼ってもらったわけではなく、犬を飼うことにしたのは父親の選択だったそうなので
犬をうちに連れてきてくれた両親(母親も元々犬が好き)に心から感謝をしている。

子供のころに親がしてくれたことのなかで何が一番嬉しかったって、犬と過ごさせてくれたことだなと今日しみじみと思った。

五感を通じて犬と過ごす日々を楽しんだ。
姿はいわずもがな、匂いも、音も、感触も思い出せる。犬用のおやつの味ですら。

私が成長する間、ずっとそばにいてくれた、大きくて賢くてクールで可愛い犬。
名前は、3歳だった私が名付けた。
最近夢でも会えていなくて寂しいので、出てきてほしい。また夕焼けの中を散歩したい。
名前を呼ぶから、振り向いてくれたら嬉しい。モモ。

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